にて候、
第一章7



今は武田に身を置く虎若子だが、親兄弟は信州の上田城にて家政しているとのこと。甲斐の虎との様子を目の当たりにしたことから忘れてしまいそうになるが、彼はあくまで人質なのである。遠く離れた弟のことを懐かしそうに、そして慈愛の念を込めた眸で梵天丸に話して聞かせた。
「先日、甲斐に桜の花が咲き始めた頃、上田に帰郷して参ったのだが、やはりそれがしと同じように赤い着物を着せられておって、まるで愛らしい童女のようでござった」
己も愛らしい童女の格好をしておきながら生真面目に言う様が可笑しく、しかし彼の言う愛らしいは情があっての言葉だろうと、梵天丸は米沢をたつ際、自分も行くのだと泣いてすがった弟竺丸を思って聞いた。
可愛い弟。母義姫の愛を一身に受け、真っ直ぐ素直に成長する弟。
梵天丸が疱瘡を患うまで、兄は伊達を背負い弟はその兄を支え更なる伊達家の繁栄を、と兄弟仲良きことをことほがれた。
父輝宗には幼き頃より何に置いても引けを取らぬようにと、あらゆる方面での師を与えられ父直々に教えも賜った。母義姫に会いに行けば季節の菓子を振舞われ、溢れんばかりの情を貰い受けた。弟竺丸とは喧嘩もしたが春には花を愛で、夏には虫を取りに行き、長い冬には共に春を待った。もちろん、家臣ら城の者も見目麗しく聡明であった兄弟二人の成長を喜び、そして可愛いがった。
そう、梵天丸が疱瘡を患うまでは、万事が上手くいっていたのだ。
この名のどこに疫を祓う力があったのか、清浄を現すとは聞いて呆れる。己の顔には不浄が残り、その不浄を持つ自分は強堅であらねばならない伊達家には相応しくないと、一部の家臣が主張し始め結局はお家を分裂させた。
常人より劣る人物を伊達の頂きに据えることはできぬと。
不浄の者となった梵天丸の替わりに担がれたのは1つ下の竺丸。母義姫の寵児。
病床に臥す兄に毎日花を届けさせた、優しい梵天丸の弟。しかし、目に見えて派閥が激化してくれば、情だけではない思いを抱かせる対象になりつつあるのも事実。
そんな複雑な心情を抱える梵天丸からして、目の前の虎若子が弟に対して語る声音はどこまでも純粋でてらいのないもの。胸の奥がちくりと痛んだが、梵天丸は気づかない振りをした。
自分とは違い過ぎる相手。人質としてここにいるはずの彼の中に、自分と同じ色を見つけることは出来なかった。
もし巣の中に己に仇なす外敵がいたと知れば、それでもこの虎若子は手を差し伸べるのか。
ほととぎすの雛のように情をかけるのだろうか。
「……アンタと弟は似てるのか?」
憂いを感じながらも、梵天丸は聞きたいことと違う言葉を選ぶ。
「どうでござろう。御髪は異なるようにと城の者にはよう言われたでござるが」
「似てるんじゃねぇか」
「弁丸は2つも下。それがし、あんなに小さくはござらん」
憤慨したように虎若子が言う。
「顔のことを言ってんだがな……。まぁ、名があるってのは有難い。アンタが問題ないならそう呼ばせてもらう」
「問題などござらんが」
「名無しってのにも意味があるんだろう?」
梵天丸はあの日、虎哉に遮られた問いをした。
女子の装いをさせる以上に身を守るような事を課さねばならない、何らかの理由があるはずだった。
例えば生まれながらにして病弱であったというのがそれに当たりそうなものだが、今の虎若子を見ればその限りではない。
「それがし、7つの歳まで生きられぬと言われたでござる」
「それって大問題だろ。アンタ、持病でもあるのか?」
梵天丸の家でも吉凶を占う占術師はいた。時に軍師の役割もする彼らは主の子が生まれれば、必ずその子の先を占い、祝福と加護を祈祷した。
問題ないという虎若子の言葉から、病に打ち勝ったのかと一瞬思いはしたが、以前女子の格好をしていたからこそ大病にはかかったことがないと言っていた事を思い出す。
「至って健康でござる。だからお気になされるな。それに弁丸という名はそれがしが署名に使っている名でもあるのだ」
にこと笑って虎若子は大きく頷いた。
どこか慕う表情。竺丸と被る。弟はこれ程に強い覇気は持ち合わせてはいないけれど、疑うことを知らない眸の色は同じだった。
「なら今からアンタを弁丸と呼ばせてもらう」
特別を手にした。
「それがしも貴殿を梵天丸と呼ばせてもらうでござる」
特別を許した。
まさかそれを後悔する日がくるだなんて思いもせず。


果たして、うぐいすの雛であるのは梵天丸、弁丸のどちら、それとも……。





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