にて候、
第一章9



熱い、熱い。

このままではきっと死んでしまう。
体の中はどろどろになったように熱くて、
外は痛いのか熱いのかもう分からなかった。

時折流し込まれる水さえ喉を焼くようで、
もうほんの少しも動きたくはないというのに。

父上、母上、竺丸

一目お顔を見てから眠りにつきたい。

ずっとずっとそう思って、
しかし、目に入るのはいつも、紅い着物が鮮やかな、
顔を白いさらしで巻いた女だった。

熱におかされながら一度聞いたことがあった。

「お前は悪霊なのか?
梵天を連れにきたか?」

女はゆっくりと、首を横に振った。

「母上は?」

最期にお顔を、という言葉は声にはならなかった。

「お会いできませぬ」

それは何故

「あなた様のご病気は他人にうつりまする」

なら何故お前は

「わたくしは一度あなた様と同じ病を患ったことがございますゆえ、
うつることはございませぬ」

これからはお前が

「はい」

なら顔を

「お見せすることはできませぬ」

なにゆえ

「言えませぬ。
ですが、あなた様がその病、見事乗り越えられた暁には、
すべて仰せのままに」

それから、目を覚ませば必ず紅い女がいた。


紅は、『死』を連想させ

紅は、『生』を実感させた



「梵天!」
肩を揺すられ、急速に意識が浮上する。
どくどくと脈打つ音が耳に聞こえそうなほど、梵天丸の心の蔵は強く打ちつけていた。
「べん…まる」
「魘されておったが、大丈夫でござるか?」
隣の布団から抜け出した弁丸が心配そうな顔で覗きこんでいた。
梵天丸は身を起こすと、軽く頭を振る。
「大丈夫だ」
たまに見る夢。
生死を彷徨ったあの十数日をはっきり覚えているわけではないけれど、こうやって見せられる夢は強烈な印象を梵天丸に与える。
「怖い夢でも見られたか?」
衝立の反対側で眠る虎哉を気にしてか、小声で弁丸は梵天丸を気遣う。
「怖い……」
生還する夢でもあるのだ。あれは、怖いとかそんな感情じゃなくて。でも、
「怖くはねぇが、嫌な夢には違いねぇ……」
汗で顔に貼りつく髪を払いのけ、梵天丸は低く呟いた。
「どんな夢でござろう」
ぺたんと梵天丸の布団の端に尻をつけ、弁丸が問う。
弁丸にはこのさらしの下のことを言ったことはなかった。聞かれたこともなかったから捨て置いた。言いたくなかったのだ。
「疱瘡を患って、この右目が見えなくなった時の夢」
「疱瘡?!梵天の右目は見えんのか?!」
弁丸ははっと顔を上げると、声を上げた。
「馬鹿…!声が大きい…!」
「す、すまぬ」
大きく開いていた口を慌てて両手で押さえた弁丸が、くぐもった声で謝罪する。
「それがし怪我をしておるだけかと。本当にもう見えんのか?」
「見えねぇよ」
「ずっとでござるか?」
「ああ、ずっとだ」
「ずっと……」
弁丸はそこで言葉を途切らせると、口を閉ざした。
重い沈黙が二人の間に流れる。
もし、ここで弁丸がこのさらしを取って顔を見せろと言おうものなら、梵天丸は有無も言わさず殴ってやるつもりでいた。疱瘡といえば、醜い痕が残る。子供の興味本位を理由で見せられる程、軽いものではない。そんなこと弁丸に分かろうはずはないのだが、一番触れられたくない部分なのだ。一番、弁丸には知られたくない。ここにきてそう思う様になった。
幾度となく拒絶されてきた右目。
母でさえ美しい面を酷く歪め、部屋を出ていった。弟にも見せたことはない。
一度、時宗丸には見られたことがあった。あの気が強くやんちゃな従兄弟が怖いと泣いた時には、やはりと思った。
慕ってくれていた家臣らが手の平を返すように、冷たい視線を向けるようになった。
それでも、梵天丸が今在るのは、
「痛かったでござろう」
弁丸が気遣うように問いかける。それは梵天丸にとって腹立たしく感じるものではなく、反対に過去の梵天丸を気遣う弁丸の優しさに癒される。
「ああ、痛かった」
だから、素直に言葉が出た。
「苦しかったでござろう」
今の梵天丸を気遣うことはしない弁丸。
それは今の自分が気遣われるような在り様ではないということ。
「何度も死ぬかと思った」
「右目がなくとも梵天は剣をとったのだな」
そこには称賛さえ伺える響きが混ざっていて、
「ああ、強くなるために」
隣で弁丸が大きく頷いた。



紅い女が言った。
「この面をお見せできなかったのは、あなた様が生を諦めてしまわれないようにする為にござりました。過ぎた真似を致しました。どうぞお許し下さいませ」
顔に巻かれたさらしがゆっくり解かれてゆく様を、梵天丸はじっと見つめていた。目が、離せなかった。
「疱瘡は醜く痕が残りまする。ですが命あることがまずは大事。一度は命を断とうとしたわたくしでも、役立つことができました」
そう言って、梵天丸が見やすいように顔を上げた紅い女の面は、想像を絶するものだった。梵天丸の視線を一斉に受けながら、女は淡々としたいつもの口調で梵天丸の現状を口にした。
「あなた様の右目は持っていかれてしまいましたが、残った左目、掴み取られた命。どう使われるかはあなた様次第」
女はそれだけ言うと、慣れた手つきでまたさらしを巻き始めた。
「梵天の右目は持っていかれたか」
「はい」
「痕も残ったか」
「右目周辺に」
「お前のように醜くなったか」
「はい」
女は抑揚のない口調で梵天丸の問いに応える。
「しかし、あなた様は今後、疱瘡に脅え、命を落とすことはありません。疱瘡に打ち勝った証と思えば、これほど心強い後継ぎ様はござりますまい」
その言葉がほんの少しだけ梵天丸の心を救った。





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