†††君の名は千の言葉より多くを語る†††



ナルトは見慣れた自分の部屋を、しいて言うなら傷だらけのフローリングを見下ろしていた。
己の背後にある存在はとりあえず意識の外に追いやってしまって、暗示のように繰り返す。
(ここはオレのベッド、ここはオレのベッド、ここは・・・)
そうここはナルトのベッドなのだ。
ベッドと言えば休む所であって、眠る所であって、時に涙する所である。もちろん今は枕を濡らすなんてことはないのだが、十ウン年来の寝心地はあまり変わることはなくナルトをいつも心地よい眠りへと連れてくれる愛着ある代物で、多分木製である脚が折れてしまわない限りはこのまま末永くお付き合いしていくのだろうなと常々思っている、とそこまで考えて、
(うっわ。二人分の体重って大丈夫か?)
ナルトはつかの間の逃避から乗り越えねばならない現実へと舞い戻る。
だがしかし、二十歳を過ぎたとはいえ巨漢でもない大人二人があがったくらいでベッドの脚は折れないし、必ずしもベッドの使い方がそれだけではありえないのだがナルトの思考は『自分のベッドに限って・・・!』という親馬鹿ならぬベッド馬鹿になっていた。
つまりは動揺していた。
しかし時間にして約1分の現実逃避は彼を次の行動に移らせることに功を成したようで。
「サスケ、重たいからどけってばよ」
「嫌だ」
ようやく口にした言葉もやはり即答するサスケに、無駄にされてしまった。
両手は己の胸の下で窮屈そうに下敷きになっており、右肩から下全体に彼の体重がかかっている。そんな自分達の異常な状態と、これに負けじと劣らず己をこれから襲うサスケの言葉でナルトの平常心や心の安寧などはさらに崩れ去ってしまうのだった。



それはもう本当に前触れもなく、唐突にやってきた。



時間的には深夜と呼ぶにはまだ少し早い頃、週に1度あるかないかの頻度で使われるそれが来客を知らせた。
既にベッドにて安眠を貪っていたナルトは、己を起こした機械音の応酬に起き出すことを逡巡する。大人しく連打されているであろう呼び鈴を思うと、壊れるから止めろと怒鳴りたくなったのだが、それをじっとこらえてをシーツを握って耐えること1分。
「・・・・・・・」
気の長い方ではないと自覚する自分が存外我慢したものだと、ナルトは不機嫌に思いつつも緩慢な動きでベッドから這い出した。
この時間帯にこの部屋に、住人の迷惑考えずこんな暴挙に出る人物をナルトは一人しか知らない。
ペタペタと玄関へと続く廊下を歩きながら、欠伸を1つする。
相変わらずうるさく鳴る呼び鈴に
「今開けるってばよ!!」
と寝起きの掠れ声で、それでもめいいっぱいドアに向かって怒鳴り付けた。
解錠しドアノブを回してドアを押し開けた途端、あちら側からも待ってましたとばかりにノブを引かれ、ナルトはその勢いに引きずられるようにして前のめりにバランスを崩す。
「うわっ。グムッ・・・!」
上がった悲鳴はすぐに激突して来た塊りのせいでくぐもったものになった。そしてキツイ酒のにおいにナルトは眉を潜める。
「サスケ、てめーこの酔っ払いが・・・・!」
ナルトの肩にしがみつくように腕を回して寄り掛かるサスケを、地を這うような低音でナルトは毒付く。それに意味不明な唸り声を上げるとサスケはズルリとそのままれ倒込もうとした。
「おいっ!」
相当飲んでいるようでまともに立つことも出来ないサスケを、やれやれとばかりにナルトは肩を貸す。ここで転げられたらきっとサスケは自分で起き上がることは出来ないだろうし、そうなってから運ぶのは大変骨が折れることだろう。だからといって朝まで玄関に転がしておくなんてことは流石に不憫であると思えてしまうあたり、この男にはどうにも甘くなってしまうなと思うナルトだった。そうして結局ナルトはサスケを自分のベッドに運ぶ。
その途中、「・・・ナルトか?」とようやく人語になったサスケの言葉にナルトは「そーだってばよ、酔っ払い」と軽く合わせて、肩を貸したサスケの体をベッドへ降ろそうとした時。
「ぐぇ・・っ」
もの凄い力でサスケに後ろから押された。ちょうど屈んだ体勢だった為、意図も簡単に、そして勢いよく二人してベッドへと倒れ込む。ベッドとはいえ見事に顔面からダイブしてしまい、さらにはサスケの体重まで加算された衝撃はナルトに潰れた蛙のような声をあげさせた。
「何すんだってばよ、バカスケェ!」
ナルトは泥酔者に付き合ってられないとばかりに、重しのように覆いかぶさるサスケの下から這い出ようとした。のだが、
「ちょっと待て、ナルト」
と、案外にまともな言葉を発したサスケにナルトは何だと動きを止める。
「・・・・・・いや、そもそもお前はナルトか?」
「・・・・・・そーだってばよ。さっきも言っただろ。てめー、どんだけ飲んだんだ・・・・・」
声だけ聞くと普通に話しているように聞こえるのだが、やはり酔っているなナルトは思った。
「店の親父とカカシに泣かれるまで」
その一言で全てが分かってしまってナルトは苦笑する。
既に目は覚めてしまっていて、珍しくも泥酔しているサスケがどことなく面白くもあり、ナルトはこのじゃれあいに付き合ってやろうという気になっていた。子供のようにしがみついて来る彼がどうにもいつものサスケらしくなくて笑えてくる。右肩に乗るサスケの頭が重たくはあったけれど。
「・・・・・・もう一度聞くが、お前はナルトか?」
「しつけぇサスケ。この酔っ払い」
「オレは酔ってねぇ・・・・・。酔ってねぇ・・・・・」
「酔っ払いは皆そうゆうんだってばよ。ほら、眠いんだろ」
ナルトはこの暑苦しくもある状態は取りあえず勘弁と、邪険にならないようにサスケをどかそうとした。
「これが最後だ。お前は本当にうずまきナルトか?・・・・いやウスラトンカチか?お前はウスラトンカチか?」
「もー、オレはうずまきナルトで、ウスラトンカチじゃねぇってばよ」
何度も言わせんなと、ナルトは続けようとして背後から回された腕に「うわっ」と声を上げた。
「そーか違うのか・・・・・。ならかまわねぇな。でもオレにはナルトに見え・・・・・・・いや、でも違うのか・・・」
「言ってる意味と、やってる意味が分からねぇぞ。っておいっ!サスケっ!苦しいっ!!」
訳の分からない独り言を唱えたかと思うと、思い切り、それはもう加減も減ったくれもなく回された腕に力を入れられて、たまらずナルトは声をあげる。それからナルトの肩に乗っていたサスケの頭がぐいっとナルトの首筋まで潜り込んできて始めて、もしやこれは抱擁と言うのではないかと焦り出したナルトであった。



「好きなんだ」
ぼそりと呟いたサスケの言葉に、ナルトはぎょっとして体を一瞬強張らせる。
「誰のこと言ってんだ・・・・・・?」
「この場合てめーしかいねぇだろう」
「・・・・・・あぁあぁ、オレも好きだってばよ酔っ払い。だから早くどけ」
ナルトは聞かなかったことにしようと、早々に事態の収拾に取り掛かる。だってこれが本気なら笑えるではないか、サスケが自分を好きだなんて。
顔も見えていない、酒も入っている。今なら冗談ですむ話なのだ。
「酔ってねぇ。・・・・・・オレの頭はいつになくクリアだ」
そうは言われても濃厚に鼻につく酒のにおいと、彼らしくない言動がどうにも寸劇のようなのだ。そしてまだナルトはこの茶番を嘘だと思いたがっている。
「忍に向いてねぇ感情に流されやすいとことか、睨みつけてくる可愛げのねぇ眼とか、視界に勝手に入り込んでくる目障りな髪の色とか。カンに障るでけぇ声とか。あー、いつも牛乳の跡がついてる口元もか。深爪してる割合の方が高い指とか見るとガキくせぇとか思っちまうけど」
「てめー普段んなこと思ってんのかよ」
ナルトは今の空気を混ぜ返そうと悪態を吐く。
「ああ、いつも思ってる・・・・・・。オレはそんなてめーに・・・・・・ありえねぇくらい惚れてる・・・・・ガキの頃からずっと・・・・・・」
(うわーうわー)
何だか己の悪口を並べられただけのような気がしないでもないが、これは、つまりは、通常であれば男女の間で行われる『告白』というやつではなかろうか。いや、間違いなくそうなのだが。
身動きの取れない状況ではあったが、心の中では全力疾走をした後のように心臓がドキドキしている。それこそありえないくらいに。
(静まれ・・・!)
ナルトは深呼吸を1つする。
まずは落ち着かなければならない。
サスケは好きだ。大好きだ。出来ればずっと側にいたいし、いて欲しいと思う。
しかしそれはサスケの言う『惚れている』とは意味が違うのだ。
ナルトに偏見はない。男だろうが女だろうが嫌われものの自分を好きだと言ってくれるならそれに答えたいと思うし、嬉しく思うだろう。でもサスケはダメだ。
サスケだけはごめんだ。
だから落ち着かなければならない。
さらに体重がかかった。それと同時にサスケの腕の力が一気に緩んだのが分かった。
「・・・・サスケ?」
「・・・・・・・」
恐る恐るナルトはサスケの名を呼んだ。いくら待っても返事はない。
ナルトはそれこそ空気が抜けたように力を抜く。疲れた。これを疲れたと言わずして何と言うのだ。
「一生寝てろ、バカスケ」
背中全体に感じるあたたかさと、規則正しく聞こえてくる呼吸にナルトはもうぐったりと体を伸ばす。そして、起こさないようにと、ゆっくりサスケの下から這い出した。ベッドの端へと腰を下ろし、眠るサスケの顔を覗き込む。
(目が覚めたら、サスケは・・・・・・)
覚えているんだろうか、この格好の悪い酔いつぶれた挙句の告白を。
正直ナルトもこれが事実であるかどうかなんて、半々くらいにしか思っていない。いや、そう思わないとこれからサスケとどう接すればいいか分からないではないか。
そうじゃないかもしれない、だからいつも通り。馬鹿やって喧嘩して、そして笑い合う。そんな当たり前な毎日をナルトは愛する。
だから覚えてなければいい。
今のサスケとの関係を崩す恐れのある出来事はひとつでもあってはいけないのだ。
勿論、今だけではなく、この先の全く予想もつかない未来で離れる可能性を今作ってもいけない。
サスケには悪いが、元来自分は頑固で我儘だ。
もしサスケが覚えていたとしても、冗談であったと酔っ払いの戯言であったと通してやる。
それは、安直な自分からしたら途方もなく困難であると思えてならないが、しなければならないと言い聞かせた。

覚えていませんように。

忘れていますように。

そう心の中でナルトは何度も願った。



「おい、ナルト。・・・・っ・・・クソっ。起きろ」
ぐいぐいと肩を揺すられ、ナルトは軋む体を身じろぎした。
「・・・体が痛ぇってばよ・・・」
掠れる声でナルトは呟くと、一度欠伸をする。昨夜、泥酔したサスケにナルト愛用のベッドを与えて、来客用の布団などあるわけもなく、自分は冬用の布団を床に敷いてどうにか包まって眠った。
「ナルト」
「うあ?サスケ?」
何とも顔色の悪いサスケが見下ろしてきて、昨日の出来事をナルトは思い出す。一瞬ぶわっと恥ずかしさが込み上げて、ナルトは布団の上でゴロリと寝返りを打ち顔を隠した。ついでにぎしぎしする体を思い切り伸ばす。
落ち着いたところで、サスケに向かって「おはよう」と声をかけた。「ああ」とサスケの短い返事は辛そうで、酷い二日酔いに合っているのだろうと思われる。
「オレは昨日、酔っ払ってここに来たのか?」
サスケはナルトの横になる布団の傍に直に座り込むと、顔を歪めて額を押さえた。
「うん、すっげぇ迷惑だったってばよ。まさかサスケ覚えてねぇのか?」
ナルトは出来るだけ自然にそう問いかけた。
(覚えているか?それとも誤魔化す?)
「ああ。クソ・・・頭痛ぇ」
サスケは寝癖のついた髪をガシガシと搔き毟る。いつにも増して眉間にしわを寄せるサスケを見て、ナルトは内心ほっと嘆息した。
(悪ぃなサスケ。オレってばずっとお前と一緒にいたいんだ)
何となくだが、サスケはナルトに対する想いを告げないような気がしていた。きっとサスケも少なからずはナルトと同じ事を思っているはずだから。そして昨日のサスケの言葉が真実だったとしたら、サスケの想いはもう随分長い。それでも、
(やっぱ、応えらんねぇってばよ)
今の関係を壊したくない。自分とサスケは仲間で、親友で、ナルトはサスケを兄弟のように思っている。その関係に終わりはないのだ。
そう、ずっと続く関係。それを手放したくはない。
今まで何も持たずに生きてきたから、これだけはどんなことがあっても手放したくないと思うのだ。
「水持ってきてやるよ、サスケ」
「ああ、悪いな」
「別に今に始まったことじゃねぇってばよ」
ナルトは寝起きのだるい体を起して、この可哀想な、しかし愛しくもある男の為に台所へと向かうのだった。
 
 

やはりこれは前触れだったのだろうかと、今ナルトは思う。



忘れてほしいと願ったのは、あの告白だけのはずだった。





君の名は千の言葉より多くを語る_2→
閉じる