†††君の名は千の言葉より多くを語る†††



微かにする藺草の香りと上質な布団の肌触りからナルトは思い当たる屋敷とその主人の顔を無意識に思い浮かべた。ここに来るのは随分久しぶりなような気がして、最後にうちは邸を訪れたのはいつだったかと思ったところでナルトはハッと目を覚ました。
「サスケ・・・!?」
起き上がろうとして酷い眩暈に襲われた。少しの嘔吐感にナルトは体を丸めてやり過ごす。
(確か助けようとして・・・それとサスケ・・・)
その時すぐ側でワンっと鳴く声がした。見上げた先に白い毛に覆われた赤丸が行儀良く座っていた。
「赤丸・・・!」
名前を呼ぶと尻尾をちぎれんばかりに振りナルトの髪に鼻面を押し付けてきた。その頭を撫ぜてやりながらナルトは問いかけた。
「良かった赤丸。無事だったんだな。キバは?」
赤丸が少し動き、その向こうに敷かれた布団の膨らみを見付けて彼がまだ目を覚ましていないことを知った。
「ここはどこだろう。それにサスケの気配がしてたんだってばよ」
目に見えて慌てた様子を見せない赤丸にナルトは危険な場所ではないと判断し、誰にともなくつぶやいた。自分の良く知るうちは邸よりも手入れの行き届いた見事な和室、寝室となる部屋への配慮か障子から透けて入る朝日は陰る木々で抑えられているようだった。隣の部屋とを仕切る襖も色合い少なく、しかしそれを引き立てる欄間の細工は細かく美しかった。うちは邸に似た雰囲気に彼を重ねてしまっただけなのだろうかと、今は全く感じることのない彼の気配にナルトは落胆する。そんなナルトを現実に引き戻すように赤丸がナルトの袖を口で引っ張った。
「何だってばよ?」
「ワンワンワンワンっ(サスケがいた!)」
何かを訴えるような赤丸にナルトは困惑気に頬を撫ぜた。
「ううぅ、悪ぃんだけどオレ赤丸が何言ってんだか分からねぇんだってばよ」
「ワンワンワンワンっウウゥワンっ(だからサスケがいたんだって!!)」
「えーっと」
どうしても伝えたいことがあるのか赤丸はナルトに訴えることをやめようとしない。
「キバァ。起きろってばよぉ。赤丸が何か言いたいみたいなんだって」
隣の布団まで這っていき、ナルトはすやすや眠るキバの頬を軽く叩いた。
「ワンワンワンワンっワンワンワンワン(サスケの隣にいた女がお前達に睡眠薬みたいなのを飲ませたんだ。だからキバはまだ目を覚まさない!)」
赤丸は尻を向けるナルトのジャケットの裾を口で掴み、キバを叩くナルトを止める。
「だってキバを起こさねぇと、本当オレってば分からねぇんだって」
唸る赤丸にナルトはほとほと困ってしまって、一先ず赤丸の正面に座り直し、
「えと、ここは四季トモナリの屋敷かってばよ?」
質問をしていく事にした。それを聞いて赤丸は首を二、三度大きく縦に振った。
(やっぱりあの時見たのは四季エンジ。それにしてもあの術は何だったんだ)
空に浮けばあんな感覚だろうか。平行感覚もなくただ不安定で、しかし空気も音もない空間は酷く冷たかった。
「あ、そうだ赤丸。ここにサスケはいなかったってばよ?」
ナルトは自分でも馬鹿な事を言っていると思いながらも口に出さずにはおれなかった。赤丸が返事をする前に、この部屋に近付く人の気配を感じてナルトと赤丸は身構えるようにじっと閉じられている襖を見据えた。程なくしてすっと開いた隙間からあの時確かに捉えた青年の顔が見える。
「犬の鳴き声がしたから。良かった、気が付いたようで」
そう言いながらゆったりと部屋に入って来た青年は表情柔らかくナルトに向かって笑んで見せた。自分たちが木葉の忍であるとすでに知っているだろう四季家の嫡男に、ナルトは警戒するように厳しい視線を向けた。
そんなナルトに合わせるように畳に膝をついた男は、
「私は四季エンジ。ここは四季家領地の屋敷。君達が眠っている間勝手に手当はさせてもらったけれど、荷物は預からせて貰っているよ。家柄私は命を狙われやすいんだ」
悪いね。とエンジは最後に付け加えると、「何か飲む物と軽い朝食を」と後ろに控えていた女に命じた。
「あんた何でオレ達を助けたんだってばよ」
「だって君達は私を助けてくれようとしていただろう?」
エンジはにっこりと人好きのする笑顔を見せた。ナルトは一瞬その笑みに和みそうになり、慌てて気を引き締める。
(流されてんじゃねぇってばよ!ちょうど四季家には忍び込むかしてサスケの情報を掴むつもりだったんだ)
計らずして内に入り込みいきなり大物とご対面とはさすがオレ!とナルトは己の強運を賛辞する。
「君達は木葉の忍だろう?もし君達が仲間を捜しにここまで来たと言うのなら、私の頼みを聞いてくれないだろうか?もちろんこちらも協力は惜しまないつもりだよ」
願ってもないエンジの言葉にナルトは飛び付きそうになりながらも、ここは堪えろよと言い聞かせる。お互い命を助け合おうとしたが先ずは信用できるかどうかの見極めが肝心だ。
「話しくらいは聞いてやるってばよ。オレはうずまきナルト」
「ナルト?」
名前を呼ぶのではなく己の中で確認するかのようなエンジの様子にナルトはチラリと視線をやった。
「オレの名前がどうかしたってばよ?」
「いや、昨夜君達を知り合いの薬師に看てもらったんだけど、その手伝いの男が君と同じ名前だったから」
「ふーん」
同じ名前など珍しい事ではない。確かに里でこの名は自分しかいないだろうとは思う。邪であるとされる九尾を封印され、周りにはあたかも己が九尾であるような扱いを受けてきた自分と同じ名を持つ者などナルトが知る限りいなかった。今知りたいのは同じ名を持つ誰かではなくてサスケなのだ。
「余談だったね」と、エンジは苦笑するとキバの方を見やり、
「連れの方が目を覚ましてから話そうか」
そうエンジは切り出した。まだ覚醒しそうにないキバの様子にナルトは首を横に振った。
「ならどこから話そうかな。君達の里では私の父トモナリと前当主の嫡男ツユクサとの間で政権争いが勃発していると捉えてるんじゃないだろうか」
「上の奴らの考えてる事なんてオレは知らねぇってばよ」
ここまでの道中、キバからの情報で印章と遺言書が何者かに奪われ、それがツユクサらではないかとトモナリは疑っていると聞き、ツユクサの依頼を受けていた木葉の忍をトモナリが捕らえている可能性もあるはずと、先ずはここを目指していた。しかしその情報をこちらが知っているということを答えるのは得策ではないだろう。
「君からしたら信じられない事かもしれないけれど、私と兄さん・・・ツユクサは兄弟のようにして育った。とても仲が良かったんだ。私は今でも彼を兄だと思っているよ。そんな彼が父に刃を向けたなんて信じられない。何かあったとしか思えないんだ。四季家はツユクサを罰っしようだなんて考えていない。だから私は大切な兄弟をもうずっとあれから探している」
どこか遠くを見るような目で語るエンジに、ナルトはそっと目を伏せた。
兄弟のように。
自分にもそう思う人がいる。本当の兄弟よりも深く繋がりたいんだと思ったのは後にも先にもサスケだけだ。今全てを押し退けて彼を探している。
目の前で語る男をどこまで信用すればいいかなんてその言葉からナルトは判断出来ない。しかし今心に届き伝わる彼の想いは本物だと、恐らくは同じ想いを抱えているだろう自分には分かってしまった。

探している。何より君を。

ナルトはゆっくり顔をあげるとエンジを見据えた。最後にいつも頼るのは己の足りない思考ではなく直感だったろうと。
「ツユクサらに印章と遺言書が奪われたままだって聞いてる。もしそれが本当だとしたら、ツユクサが四季家を狙っていると思われても仕方がないってばよ」
「そうだね。盗んだ忍は君がしていた額宛てのマークと同じものをしていたから、実際それらはツユクサが持っているだろう」
「ちょっと待てってばよ。木葉はそんな任務は受けてねぇ。今回の依頼はツユクサの護衛だけだった」
「なら、護衛中に依頼を受けたんじゃないか?」
「それはありえねぇってばよ」
綱手の資料にそんな事は一言も書いてなどいなかった。何かがおかしい。その時それが最良であるとすればその隊の隊長は独断で任務を受けることが出来るが、速やかに報告せねばならない規則がある。それなのに、
(何があったんだってばよ)
「でも見てたんだったら何でお前は止めなかったんだってばよ。あんな凄ぇ術使えんのに」
そう言ってナルトは少しへこむ。こんないかにもボンボンな若様に自分達はやられてしまったわけだ。いくら助けようとしたからといって、油断していたなんて通じない。
「ああ、あれは使えないよ。本来は自分が浮く為の術だから」
「え、お前飛べんの?すげぇってばよ!」
「そんな大げさなものじゃないよ。飛ぶことは出来るけど確実に走る方が早いくらいだし、その方が断然疲れない。実際は大気を操っているんだけど、有効範囲は狭いし相手は歩いてその範囲を簡単に抜けてしまえるし」
足止めにもならないよ。とエンジはあっさりと言ってのけた。
「え?」
「だから暴走する馬から飛び降りる事は簡単だけれど、そうすれば私の愛馬は崖から落ちてしまうだろう。だからといってあの速さで走る馬の巨体を無理矢理止めて骨折でもさせたら大事だし。無の空間を作るんだったら空に浮いてる時しかなかったわけでね」
「そしたらそこにオレ達が飛び込んで来たってわけか」
「そうなるね。もし私が今君にあの術で攻撃しようと思ったら、君を押さえ付けるか掴んでおくかしないといけないんだよ。どう考えても賢いやり方じゃないね。私もあの時は必死だったから力の加減が出来なくて。随分体に負担をかけてしまったようだ。すまなかった」
「いや、もう大丈夫だってばよ。それより何でツユクサは印章と遺言書を盗んだんだ?あんたの話しを聞いてたら、まるで敵対はしていないみたいな言い方だってばよ」
ナルトは最初に感じた事を口にした。
「それはツユクサが四季家の当主になりたいだなんて本気思っていないからだよ。彼はね、多分印章に使われているアサギ様の骨と、彼の最後の言葉が欲しかったんだ」
「骨?」
「代々四季家の印章は前当主の骨が使われているんだよ。だから今の印章にはツユクサの父アサギ様の骨が使われている。ツユクサはアサギ様をそれは深く深く愛してたからね。私も大好きなお方だったよ」
そう言ったエンジの顔は酷く寂しそうだった。生前の彼からしたら伯父にあたる人と生りを思い浮かべての言葉だったのだろう。
「ツユクサはアサギ様の骨を使って何かをしようとしているのかもしれない」
「なにかって・・・」
「それは分らないけれど。あまり良くない事が起こりそうなんだ。だから早く彼を見つけて止めないといけない。ああ、それだけじゃない。私は早くツユに会いたいんだよ。君が探す”サスケ”という忍に会いたいように」
「なっ・・・・・・!」
「うわ言で何度も呼んでいたから」
エンジはにっこり笑って言った。
途端に顔に熱が集中するのが分かって、ナルトは束の間寝床に突っ伏したい心境にかられた。しかしそれを無理やりねじ伏せナルトは答える。
「オレは・・・・。オレも兄弟のように思ってるアイツを探してる・・・・・・」
「君達が探している仲間とツユクサは一緒にいると思う。こんな事を君に頼むのはお角違いかもしれないけれど、でもそれを承知で私は頼まずにはおれない。ツユクサを、私の兄弟を一緒に探してくれないだろうか」
真っ直ぐ揺るがない瞳。これと同じものを自分は持っているに違いなかった。
「何であんたはオレに頼むんだってばよ。ここには雲隠の忍がいるはずだろう?」
四季家程の富豪の大名が身内の探索を通りすがりの忍に依頼するだなんてやはり何かあるように思えて仕方がない。彼がどれだけツユクサという男を大事に思っているかは分かった。だからこそ何故自分なのかが気になるのだ。
「同じ想いを持つ君なら分かってくれるんじゃないかって。君が仲間を呼ぶ声は必死で、とても私には痛かった。きっと私も同じように彼を呼んでいる。それと君の瞳の色はツユクサによく似ているから」
見知らぬ誰かを重ねて熱心に見つめてくるエンジにナルトは困惑したように眉を寄せた。
ずっと、我慢をしている。
澄ました顔が似合いの男が笑い出すまで屁理屈を並べ立ててやりたかった。何で一人にするんだと、好きなくせに何故離れるんだと、理不尽であると分かっていてもなじってやりたかった。誰かを強く思う気持ちにあてられナルトの胸も熱くなる。
「オレもサスケの事は兄弟みたいに思ってるってばよ。もうずっと探してる。会いてぇ・・・って思う。オレも真っ黒い髪と目の奴見かけるとあいつを思い出す。だからあんたの気持ち少しは分かるってばよ」
ナルトは知らず握りしめていた手を解きじっと見下ろした。朝鳥のさえずりが聞こえその優しい声にナルトはしばし目を閉じる。
少しの沈黙が二人の間を流れた。
「もしかしたらなんだけど」
ナルトの言葉に押し黙っていたエンジが歯切れ悪く口を開いた。
「さっき言った、君達を見てもらった薬師の手伝いの男っていうのがね、記憶がないそうなんだよ」
「え?」
エンジの意外な言葉にナルトははっと顔を上げた。
「黒い髪に目の色も確か黒だったかな。凄く奇麗な顔をしてて、”ナルト”って名前しか覚えてないからそう名乗っているんだと」
それは君の探し人に近くないだろうか?とエンジは付け足した。
ナルトの瞳がゆっくり見開かれる。
眠りの淵で感じた気配。
間違ってなどいなかったと確信する。
「あ・・・あ・・・それ、サスケだ・・・・・・」
吐き出すようにナルトは呟いていた。強く込み上げてくるものがあった。
しかしこらえようとぎゅっと目をつぶる。
我慢なんてずっとしてきた。彼の強さと、自分の直向きさを信じてきた。
彼に会うまで涙など見せるものかと何度も心に言い聞かせて。
でも今、こらえられるわけがなかった。
何故なら、そこにいた。
生きていた・・・・・!
ナルトの見開かれた瞳から溢れ出した涙が頬を伝う。その濡れた感触にナルトはくしゃりと顔を歪ませた。隠すように左手で顔をおおう。
「彼の名乗っていた”ナルト”って名前は、君の名前だったんだね」
エンジは納得したようにそう言った。
その言葉に、わなわなと唇が震えてナルトはもう片方の手も顔に押しやった。迫り上げてくる嗚咽を抑え込むように指に絡まる前髪をくしゃりと握り込む。
まるで子供のようだと今の自分を笑う。こんな人前で、みっともなく涙を流す自分を嘲りながらも、しかし震える唇も指先もまだおさまりそうになかった。
「・・・・・名前・・・・なんて・・・・っ」
めったに呼ばないくせに。
いつもムカつくくらいに、ウスラトンカチだのドベだのと呼ぶくせに。
「自分の名前を・・・・・覚えておけってばよ・・・・っ」
サスケの”いつも思っている”と自分に告げたあの日の言葉を思い出す。 そしてそれに返した自分の気持ちも。なかった事にしてくれと願った。忘れて欲しいと強く思った。
「でも全部忘れろなんて言ってねぇぞ、サスケ」
胸奥から込み上がってくる衝動を、吐き出す言葉にのせた。こもった声にもう涙の後は残っていない。
その想いに今応えたいと思う。
もし自分がサスケのように全てを忘れてしまっても、彼の名だけはここに刻み付けておこうと思った。
ナルトは一度目元をぐいと袖で拭い、何も言わず待っていてくれたエンジに顔を向けた。
「これからサスケを迎えに行く。その薬師さんの居場所を教えてくれってばよ」
ナルトは騒ぐ胸はそのままに、にこやかに笑んでいるエンジに懇願したのだった。



視界が一気にクリアになった気がしてサスケは首を巡らせようとした。しかし全く動こうとしない己の体にあの月明かりに照らされた仲間の無残な有様を思い出し、サスケはギリリと歯を噛み締めた。己の意思とは無関係に仲間の命を次々と奪った。その感触はいっそ生々しい程にこの手に残っている。それを今の今まで忘れていた事と、自分を好き勝手に操る輩がナルトを狙っていることに激しい怒りが沸き上がった。
表情は一切ない。しかしその中で色を変える瞳だけが満ちた怒りを現し、すさまじい威圧感を放っていた。
目の前の虚ろな目付きでじっと自分をを見つめる秀麗な男を、この手で必ず殺してやるとサスケは固く誓う。呪いの言葉は焼かれた喉から漏れることはなかった。
「貴方はとても危険な人です。その状態でさえまだ抵抗しようと、私の命を狙っているのでしょう?」
朝露濡れる葉を一枚千切り、淡い鼠色の髪をした男は切り口からする青く爽やかな香りを吸い込んだ。青白く透けるような肌は健康的とは言えなかったが、その陰りが間違いなく彼の魅力を引き立てていた。
「貴方にはもう一仕事して頂かないといけません。本当なら記憶のないままの状態にして差し上げたかったのですが、私の術は単純でひとつのことしか出来ないのです。貴方は仲間を手にかけました。それと、これから貴方が犯す罪も全て私の術のせいです。こう言った所で貴方の苦痛は和らぎはしないのでしょうけど、せめて貴方が望む人の手でその命を終わらせてあげることが、私に出来る最良であると思っています」
耳が拾う柔らかな声に、サスケは激高した。
ふざけるな・・・・・・・・!とその端然とした顔をした男を睨みつけた。あからさまな殺気が彼の周りを漂う。
自分の命を他人にどうこう言われる筋合いはない。煮えたぎる怒りが清しい朝の気配を払拭させる。
(ナルトに何をさせる気だ・・・・・・・!)
すぐそばで見かけた彼は最後に会った時より随分痩せてしまっていた。
動かぬ体に食いしばる歯の合間から洩れる声は不明瞭だったが、睨む瞳の強さは緩めない。
「もうすぐです。きっと彼は貴方を追ってくるでしょう?ほら、空に雲がかかり始めました。私たちはそれを眺めながらもう少しここで待ちましょう」
男は緩やかに笑んで見せると、もうサスケの方を見ようとはしなかった。










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