†††君の名は千の言葉より多くを語る†††



規則的に明滅する光とそれに合わせるようにして電子機器の無機質な音が広い処置室に不協和音のように響いている。意識してそれを耳に入れるとやけに大きく聞こえ、苛立つ心に拍車をかけるようだ。白い簡素なベッドに寝かされた若い男を見下ろし、綱手は小さく舌打ちした。
「そのチャクラが直接脳に働きかけているのは分かった。しかし術をかけられたのが雷の国からだとして何の媒体もなしにこの微弱なチャクラがここまで持つとは思えない」
寝かされた今回の事後処理班の一人であった男の頭に手の平を添えた医療班員は大部分をマスクに隠し、綱手の言葉に覗く目だけを困惑気に伏せた。
この医療器具が取り揃えられた一室では今回雷の国へと赴き情報を携えて来た班員達の身体検査が行われていた。もしここで何も出なければ尋問をしなければならないところであったのだが、
(何らかの術で操られていたか・・・)
ここで班員の内の一人、キバにのみサスケの情報を流した男が相手の術中に掛かっていると判別出来たのは幸いである。尋問となれば長期戦になることは避けられない。何より仲間であった者を鞭打つのはどれ程無情を徹底していたとしても痛むモノは痛むのだ。それが忍として火影として間違っていると綱手は思わない。そうやって悔やみ後ろを振り向く事は次に進むべき道標の戒めにもなる。ただ加減が大事であるというだけで。
(しかし、これでナルトを呼び込む為だという確証が上がったな)
綱手は見下ろしていた視線の先にあった医療班員の指がぴくりと動いたのを見逃さなかった。
「どうした?」
素早く顔を上げ促す。
「微かに見知ったチャクラを感じたんですが、これは・・・」
「それをさっきから調べろと言っているんだ、言え」
「は、はい。はっきりとは申し上げられませんが、脳に植物の残骸のようなモノを感じます」
「植物だって?」
「はい」
「経緯は?」
矢継ぎ早に問い掛けてくる綱手に慌てたように医療班員は答える。
「経口摂取かと思われますが」
(四季家の会食の場でと考えるのが妥当か)
綱手は豊満な胸の前で腕を組むと目を閉じた。嫌な予感が絶えずつきまとう。人を操る術など数多ある。薬物、暗示、憑依、その中でも今回のコレは相当質が悪いと言えた。戦闘時には不向き、体内に種子を植え付けるなど不可能に近いだろう。そうなると自ずと導き出されるのはある程度見知った人物から受け取る飲食物からの殖産。脳でどう作用するのかはまだ判然としないが媒体がある事で術の効き目は抜群だろう。
(脳に直接作用するのか)
綱手の眉間が寄る。厄介な事になりそうだと苦汁の表情を見せた。ナルトの事は気掛かりだが、今は行方不明になっている班員達の経緯が気になった。
ナルトには国外任務禁止を言い渡してはいるが、綱手自身彼が昔のように腹の九尾の事でそうそう遅れを取るなどとは思っていない。次代の火影はとうの昔にあの戦友の馬鹿弟子と心に決めている。ただ惜しむはまだ時期でないという事。
(もう少しなんだがな)
悔いても仕方がないが、もし既にこの火影という名をあの男に託していればこのような変事は起こらなかったか。そこまで考えて綱手はその思いを振り払った。
(あの子を守る為に火影にするわけじゃない。それに、これくらいの事でどうにかなるようじゃ、木葉の里は譲れないね)
綱手は迷いを振り切るように顔を上げた。
今己が想定しうる最悪のパターンでなければと綱手は最後にそれだけ思う。仮にうちはサスケが生きていたとして、綱手が危惧する結果となったならまたそれについての策を練ればいいこと。
「誰でもいい!!至急テンゾウとサクラを呼べ!!それとシカマルもだ!!」
そしてもうその声に迷いはなかった。



(サスケ・・・?)
探し続けていた馴染みの気配に、ナルトは重い瞼を持ち上げようとした。
お前を追ってここまできたんだ。
そこにいるんだろう?
ああ、まだなんだか気持ち悪くて、瞼が重い。
でも、
「・・・サ、スケ?」
黒い髪と瞳が・・・。
まだぼんやりして・・・これは・・・女の人・・・?
その時、
唇に冷たい何かが押し付けられた。
少し甘い。
それを口に含まされた瞬間。ふわりと体が浮いた。
しかし心は反対に深く沈み込むようで。
(そこにいるんだろう?サスケ・・・・)
だってオレがお前を間違えるはずがないんだ。
だからもう少しそこに。


そこにいてくれ



「多分明日の朝には目を覚ますかと思います」
葉子は己の主によく似た面影の男を見上げ、気のない風情でそう言った。
「そうか。あの時は私も手加減出来なかったから。いきなり呼び付けてすまなかったね。いつまでここにいるんだい?」
「明日の朝には」
「・・・早いな」
至極残念そうにここの当主の息子はぽつりとつぶやいた。
「もし、兄さんの行方が分かったら直ぐに教えてくれ」
「分かりました」
葉子は一礼すると、行きましょうとサスケを促した。開けられた門戸をくぐり見送る彼に背を向ける。
出来るだけ早くこの場から離れなければならなかった。エンジの術に巻き込まれたという取り合わせを聞いた瞬間、もしやと思ったのだ。まさかこんな所で九尾の青年に出くわすとは思いも寄らなかった葉子である。
先程通った道をサスケと連れ立って歩く。主人がかけ直した術のおかげであの青年を見かけるまでは穏やかな表情を見せていたサスケが、今では何の感情も伺えない。表情のないそれは本来の彼そのものなのだろう。
今にも目を覚ましそうだった九尾の青年に麻酔薬並に即効性を高めた睡眠薬を口に含ませた。噂通りであれば数時間程度しか効き目はないだろう。しかしもう一人の青年は数日間は動けないはずである。
もう少しで葉子の哀しい主人の願いが叶う。この方だけだと慕い仕えてきた。例え間違っていようと重ねたこの道をもう違えようなどとは思わない。ただ、思い残すといえば、
(エンジ・・・)
弟のように愛しい彼を裏切っている事だけはこの心は痛む。唯一と、何よりも優先して心を占めるツユクサ、それとエンジ、葉子にはこの二人だけが全てだった。ツユクサと自分の母が姉妹であった事を何度も神に感謝していた日々を葉子は思い出す。よく三人で遊んだ。とりわけエンジは口ではああ言いながらも蒲柳の質であったツユクサに懐いていた。なかなか寝所から出られぬ彼の為にそれこそ何度も季節の花を送っていたのはエンジだ。
″ねぇ葉子、ツユは何色の花が好きだと思う?″
幼いエンジに好きな人には季節の花を贈るのだという事を教えたのは葉子だった。重い心臓病を患っていたツユクサが発作で寝込むたび、気落ちするエンジを励まそうと一緒に花を探した。
″ツユはエンジが贈るものだったら何でもよろこぶわよ″
何度も尋ねる彼にいつも葉子はそう答えていたように思う。ここの古い風習で男は結婚を申し込む際女に花を贈る、その花の花びらを1枚口にして女が髪に飾れば承諾したこととなり、晴れて夫婦になるとされていた。花の中にはもちろん毒素を含むものは数多あり、男はそういった花は避け、出来るだけ蜜を含んだ見目好い花を好いた女の為に捜す。花びらを口にすることはそのまま男を信用するという女の信頼の現れ。政略結婚が盛んであった頃の風習とも言われていた。今ではそれも大仰に簡略化され、想いを寄せる人には季節の花を贈るというものになっている。
好きな人に花を贈る。それだけで葉子の心は踊った。ツユクサは髪には飾らなかったけれど、必ず花びらを口にした。子供には禁じられていた行為であったが、
″葉子が一緒に探したんだったら大丈夫だよ″
その一言がどれ程この胸に響いたことか。
絶対の信頼。
自分だけは彼の力になろうと決めた瞬間だった。
今でもツユクサを兄と慕う彼に全てを話すか葉子は随分悩んだ。彼が力になってくれたらどれ程心強く感じることかと。しかし、
(巻き込んではいけないのよ)
葉子は己の決意をさらに固めるように言い聞かせる。それだけではない、エンジは今や四季家の後継ぎである。事に寄っては敵対するかもしれないのだ。失くなった四季家の印章と遺言書はツユクサが持っていた。木葉の忍に護衛をしてもらっている間に彼らの食事に種子を混ぜ込んだ。そう、ただの種だ。薬物であったなら彼らには気付かれていたことだろう。四季家の血を引く者としてはありえない力も持ってしてツユクサは彼らを操り強奪した。
(ごめんなさい、エンジ)。
葉子は隣を歩く黒髪の男を見上げる。
九尾の青年が執着するというこの男に更なる業を科そうとする自分は、生きている限り安寧が訪れる事はないだろう。
「帰って早く休みましょう、ナルトさん」
人通りのない夜の街路に葉子の声だけが小さく残った。



男は月光の下、無惨に散らばる肉辺を視界に入れて、ごくりと喉を鳴らした。
任務は失敗。そのツケがこれであるとはやり切れない。いきなり刀を向けた仲間と自由のきかなくなった己の体に、嵌められたのだと驚愕した。
既にここで息をしているのは片腕を失った動かぬ体で転がる自分と、見上げた闇夜に紛れる容貌の見馴れた男だけだった。
その目と視線が合う。
一切の感情を無くした端正な顔の中にその瞳だけが自分に切々と訴えて来るものがあった。
困惑、激怒、抵抗、己の中に今ある感情を、術で強化された刀を振り上げた彼の中にも見つけて、男は静かに目を閉じた。ここで散る自分より遥かに堪えられぬ苦痛を強いられているだろう仲間を思い、その刀が振り下ろされる瞬間を待った。
ビュンと耳元で風が鳴る。
衝撃で開いた男の目が最後に映したものは、夜風に舞う仲間の黒い髪と明るい月と、片腕を無くした己の胴体だった。










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