†††君の名は千の言葉より多くを語る†††



「あれからうちはサスケの記憶はどうでしょう?」
まだ九尾の名前は忘れてないんでしょうか?と問うのは落ち着いた声音が魅力的な青年。
「″それ″に対する執着は薄れたように思うのですが、まだ名前の方は・・・」
黒い瞳をそっと伏せ、女は語尾を濁らせた。
「そう。それは厄介ですね。彼にはまだここにいてもらわないと困りますから、出たいようなそぶりを見せたら報告を。また術をかけ直さないといけないですしね。それと声は今まで通り薬で出ないようにしておいてくれませんか?」
「分かりました」
主人の命令に葉子は小さく項垂れた。自分と同じ髪と瞳の色をした男を思い浮かべる。
今は″ナルト″と名乗るうちはサスケを葉子はどうにも扱いづらい男であると認識していた。己が食事に混ぜ込む薬類があまり効かないのだ。薬物に対して免疫が強い体質なのか、それとも後天的なものであるのか。ただ声を奪うにしてはその量は多分であるといえた。今までは怪我の治りを故意に遅らせていたこともあって、多少体に障ろうと分量は多めにしていたが、今後はそういうわけにもいかない。
(肝心な時に動かなくては困るもの)
しかしうちはサスケから声は奪っておかないと主人の掛けた術の効果は弱まってしまうことだろう。声には不思議な力がある。その大きさで感情の揺さぶりで、記憶の糸口にいつ繋がるか分からないのだ。ただでさえ忍という特殊な人種、常人よりも術自体に耐久があることも分かっている。昔の記憶を刺激するようなモノは与えてはならないだろう。
(何より若に術を使わせてはいけない)
「そろそろですね、葉子」
「はい」
「九尾がこちらに向かっているらしいですから」
「上手く情報が流れたみたいですね」
「ええ」
男は曇り空のような瞳を緩やかに細めた。秀麗な顔立ちはおよそ謀ごとなど縁のないような風情であるのだが、虚ろに開かれた瞳の奥に危うい色が見え隠れしている様は静かな狂気を携えていた。
「皆で出迎えましょうか、彼の人の器を・・・・」



定期的に枝を蹴る音と木葉を掠る音が、薄暗くなって来た山道に響く。三つの影は休む事なく走り続け塗装された正規の道ではなく森を突き抜け最短距離を突き進む。
流れるようにはためいていた外套が一度大きくひらめき、ナルトは足を止めた。同じように近くの枝に手を着いて屈んだキバが前方を睨み据える。
「何か来るぞ、ナルト」
「分かってるってばよ」
死角になるような木に跳び移ろうとして、しかし前方から騒々しくもこちら目掛けて何かが猛進してくる気配を感じたナルトとキバは咄嗟に顔を見合わせる。
「!?」
辺り構わず蹴散らし駆ける地響きにも似た足音が物凄い早さで二人に迫っていた。
蹄の音・・・・!?
「馬だ!しかも暴走してやがるっ」
ドドットドッ、と馬独特の土を蹴り上げる蹄の音がもう直ぐ近くまできているようだった。
「何でこんなところに?」
「人が乗ってるぞ!」
その時前方の草影が音を立てて一際大きく揺れた。
飛び出してきた巨体があっという間にナルト達の下を通り過ぎて行く。それにしがみつくようにして男が懸命に手綱を引いているのだが、狂ったように走る馬は足を止めようとはしない。
直ぐさま振り返ったキバがたたき付けるように声を上げた。
「あっちは崖だ!!」
その瞬間、ナルトは彼らめがけて弾丸のように駆け出した。その後をキバと赤丸が追う。
「水のにおいと、すげぇ風の音がする!!かなり深いぞ!!」
「距離は!?」
「近いっ!!」
お互い短く答えて後は足を動かすことだけに集中する。
間に合えっ・・・・!!
猛進するそれが視界に入りナルトはギリリと歯をくいしばった。
「ダメだ、ナルト!!間に合わねぇ!!」
「クソッ!キバと赤丸は馬を!!」
「おう!!」
草木の繁ったその先に見える空虚な空間にそこが崖だと本能で察知する。周りなどお構いなしに突進する馬の様子から、それと気付いて足を止める気配は一切なかった。
もう少しっ・・・!!
「おいっ!!飛び降りろってばよ!!オレが受け止める!!」
狭まる距離に気付けよとばかりに声を上げた。振り返る様子も飛び降りる様子もない青年に、ナルトはクソッ、と小さく毒づいた。
こうなったら・・・・!
ナルトは覚悟を決める。迷っている暇などない。
一気に視界が開けた。
臙脂色に染まり上がった空が目に飛び込んだのと同時に、最後の踏切りに力を込める。
空中に踊り出た己の体が吹き上がる風に曝された。
「今助けるってばよ!!」
背から放り出された青年の服を掴もうと懸命に手を伸ばす。
あと少し・・・!!
あらかじめ手に巻いていたワイヤーを手近な木に巻き付けようとしたところで、全ての動きが止まった。
「・・・!?」
キーンと耳が詰まったような感覚がしたかと思うと、次に急激な動悸が襲い掛かって来た。上から下に落ちる際の浮遊感を全く感じない。
空に投げ出されていた体はバランスを取ることも出来ず、ただ浮いていた。
(何で!?)
呼吸が出来ないと気付いたところで、一気に寒気を感じた。
異空間に迷い込んだような感覚。目に映る景色は変わらないのに、ナルトの周りだけは何もなかった。
風も音も空気もそこには何もなく、異質ともいえる空間の中で体温を根こそぎ奪いとる様な寒さだけを感じる。
苦しい・・・!
ガンガンと頭が割れるような痛みを感じた後、急激な嫌悪感に吐き気がした。視界がかすむ。密度の濃くなった空間にさらに苦しさが増した。
狂ったように打ち付ける鼓動は警鐘。
術の発動を見極めようとして視線を巡らせた先に捕らえたのは、臙脂色の空に映えた水色の髪と閃くグレーの瞳。
(確かこいつは・・・)
暗転してゆく視界にナルトが最後に捕らえたのは、綱手の資料に載っていた四季家嫡男の顔であった。



豪邸と言っても差し支えない見事な屋敷とそれに続く門構えを前にナルトは隣に佇む葉子を見下ろした。
滞在中の宿場に四季家という雷の国でも一ニを争う大名の使いが葉子の元を訪れたのは食事も済ませ、後は明日に備えて休もうかとくつろいでいた頃。身内の客の様子がどうにもおかしいからと、請われるままここに連れて来られた二人だった。
正門と思われる門をくぐり玄関までの距離は十二分に長いものと言えたがナルトの目に映る前庭は派手派手しい事はなく、むしろ質素と言っても良いほどの飾り気のなさで、己の大名というイメージとは遠く離れた主人であるように思えた。しかしきちんと剪定された庭木は寒椿が今は見頃で迎える客人の目を楽しませるには十分な代物であった。
じっくり鑑賞する間などはもちろんなく、急いた様子で重い門戸が開かれ通された中もやはり昔ながらのどっしりとした堅固な作りで、見目よりも丈夫さや機能を重視した建造物といえた。なるほど古い血筋の家柄であるとナルトは思う。
しばらく待っているようにと言い置かれ、姿を消した四季家の使いを見送り、ナルトは葉子の手を取った。
「どうしたのですか?」
そう一言声をかけると葉子はいつものように手の平を上に向ける。それにナルトは指で文字を書き示した。筆記具がない場合たいていナルトは彼女の手の平にこうやって文字を書き、自分の言いたいことを伝えるのが常であった。
―知り合いか?―
「はい、昔母とここに使えてましたので。いきなりで驚かれたでしょう?」
そう言って苦笑した葉子に否、とナルトは軽く首を振った。彼女と生活する中で、葉子の薬草に関する知識と扱いは目を見張るものがあると常々思っていたのだ。
「ここの若様と私は」
「葉子」
突如名を呼ばれた葉子は、ナルトへと向けていた顔を声の方へと向ける。
広く取られた廊下の奥から姿を現したのは、ちょうど話題に上がっていたと思しき人物で、くつろいだ格好の男は水色の髪を後ろで一つに束ね、二人を眺める瞳は色素の濃いグレーの色をしていた。
「お久しぶりでございます」
「ああ、本当だ。お前は私が呼ばないと顔を出してもくれないね」
申し訳ございません、と小さく頭を下げる葉子を見下ろし、黒い夜着に寒さよけの上着をゆったり羽織った男は何も話そうとしないナルトを見定め、葉子に誰だ?と目で問いかけた。
「ああ、申し遅れました。今は・・・・私の手伝いをして頂いてます、・・・・・ナルトさんです。ナルトさん、こちらは四季トモナリ様のご子息で」
「エンジというよ」
深みのある暖かな声が名をつむいだ。口角をあげて笑んでみせるエンジにナルトは少し困惑する。自ら名乗った彼に自分も今となっては本当かどうかも判然としないが、唯一と知るこの名を礼儀として返したかった。しかし喉を通るものは声ではなくやはり風のようなこもった空気だけで、ナルトは彼の紺に似たグレーの瞳を一度見上げ小さく目礼した。
そのナルトの様子に男は双眸を崩して、
「葉子は面食いだったんだね。これで、私が見向きもされなかった理由が分かったよ」
親しみのこもった言葉を葉子にかけた。
「エンジ様、違います」
「そうかな。彼凄く奇麗な顔をしているよ」
にっこり笑って視線の示す先を葉子は振り返った。
「それはそうかもしれませんが」
自分の話題であるという事は分かっていたが、交わされる言葉の端々に感じる近しい二人にナルトは昔ここに使えていたんだと言った葉子の言葉を思い出した。
「君は兄さん一筋だと思ってたんだけど」
「エンジ様・・・・・」
葉子が小さく非難の声を上げる。
「だって君は季節の花を私からは受けとってくれなかった。でも兄さんからの花は貰っていただろう?」
「あれはエンジ様が」
言い募ろうとする葉子の言葉をさえぎり、ここの主人の子息は少し意地悪く問いかけた。
「ああ、色が気に入らなかったんだよね。晴れた空のような濃い青は黒い髪と瞳の君にはとても似合うと思って選んだんだけどな。兄さんは葉子には何色の花を贈ったんだっけ?」
「エンジ・・・・・!」
自分を見下ろす男の言葉にあから様な怒気を含ませ、葉子は口を開いた。
「こんな話をしに来たんじゃないわ。用がないのなら帰っていいかしら」
今までと一変した口調で葉子はエンジを非難する。怒気の中にも彼らが幼少の頃からの付き合いであると思わせる親しさを多分に含む葉子の言いようだった。
「怒らせたかった訳じゃないよ。ようやくいつもの君に戻った。堅苦しいのは嫌いなんだ、知ってるだろう?昔のようにエンジと呼んでくれと何度言っても君はうなずかないし。兄さんの事に関しても聞きたい事があるからまだ帰らないでくれ」
「あなたの使いにも言ったけど私は若様の行方なんて知らないわ。何度聞かれてもこうとしか答えようがないの。私もナルトさんも遠出で疲れているのよ」
ちらりとナルトを見やり、葉子は言った。
「分かった。その話はまた今度にしよう。今日は本当に君の助けが必要なんだよ。君の薬が一番良く効く」
歩きながら話そうか、とエンジは上がるよう二人を促し、長い廊下を居住区の方へと足を向けた。
「それにしても彼は無口だね。そういえばまだ一度も声を聞いてないんだけど」
そう問われて葉子は今までの事を掻い摘んでエンジに話して聞かせた。
「葉子の調合でも流石に記憶までは戻らないか。声くらいは戻らないのかい?」
「薬だけじゃ治らない怪我や病気は沢山あるわ。ナルトさんは・・・・そうね、時間が必要なんじゃないかしら。それよりエンジ」
「ああ、君を呼びつけた理由ね。なら気付の薬は持ってきてるだろうか?」
「あなた、もしかして」
葉子が嫌な予感に眉を潜める。このどこか漂漂とした若様と気付の薬という取り合わせから思い浮かぶ事があるのだろう。
「また人を巻き込んだのね」
「またとは酷いな。今回は、私の愛馬『艶(ツヤ』)と、ええとどこだったかな忘れてしまったけれど、忍者二人と犬一匹」
「そんなに・・・・・!?」
「ああ、だから力の加減が分からなくってね」
詳しくは部屋に入ってから話すよ、と言うエンジに、葉子は彼の仕出かした事にあきれながらも一瞬苦渋の表情を見せた。
外廊下を回り寝所と思しき部屋の前で彼は足を止め、
「まだ目を覚ましてないだろうか?」
問いかけた彼に「まだでございます」と若い女の答えが返った。開かれた襖に慣れた足取りで中に入るエンジに葉子とナルトが続く。
我関せずとここまで着いて来て、術か何かの巻き添えを食ったという者たちを看る事となった葉子と事の発端である四季家の若様の間からチラリと見えた黄色にナルトは何故だか強く興味を引かれた。入った和室のさらに奥続きの部屋の中、手前に眠る青年の白い寝具に散らばる黄色の髪が目に色鮮やかで、忍と聞いていたイメージから遠く離れた彼の容貌にナルトは目を離せなかった。自分も忍であったのだろうと聞いている。それは闇に溶け込むこの容姿と体に残る無数の傷痕から、納得出来るものでもあったのだ。しかしこの青年の容貌はどうだろう。眩しいばかりの金の髪に健康的に日に焼けた小麦色の肌。上掛けから出ている腕は白く滑らかで、遠目からでも傷跡などあるようには見えなかった。
奥に眠る黒髪の青年の横で膝をつき、顔を上げたエンジは、
「まずは彼らに気付の薬を」
そう言って、葉子とナルトを促した。その言葉にどうしてか胸が騒ぎ、今は堅く目を閉ざされている彼の瞳の色がどうしても知りたいとナルトは強く思ったのだった。










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