~Ver.






夜の喧騒はまた昼と違った顔を見せる。電飾の色はぼんやりと店や看板を照らし、大通りを闊歩する大人たちを誘い込むようだ。
しかし、この里独特の雑多な雰囲気はそのままで、ナルトはそれらをやりすごし目的の場所を目指して軽快に歩を進める。
約束の時間はとうに過ぎていた。待ち合わせの場所が場所なのでたいして問題ではないだろうと決め付ける。それにナルトを呼びつけたのは相手の方だ。きっと今頃は酒瓶片手にとぐろをまいているに違いない。
それが安易に想像できてしまって、ナルトは緩んでしまいそうな口元を引き締めた。
これではいけない。毎度のこととはいえ、傷心の友をこれから慰めに行くのだからと己をいましめた。
「にしてもあいつも懲りねぇよなぁ」
ナルトはつい、これから会う男の愚痴をこぼしてしまう。しかし内容とは裏腹にまったく嫌がっている口調ではなかった。
こうやってナルトは彼に、半年に一度。下手をすると月に一度の割合で呼び出されている。こんなことに伝令役として毎度飛ばされる口寄動物たちを、哀れに思ったことは片手で足りない。そうナルトが彼らに思うように、つい呼び出しに応じてしまう自分を、周りは放っておけだの、自業自得だのと苦言されるのだが、口癖のように「あんな弱ってるサスケ見れんのはこんな時くらいだから」と、ナルトは悪戯っ子の顔で本当のような嘘のような言葉を返していた。
サスケがまた里で暮らすようになって五年、できるだけ側にいた。最初の一年は当然サスケへの風あたりは強く、それを目の当たりにするたびにナルトは激しく憤った。昔自分が受けた痛みよりもそれは強く、そして悲しいもので、そんな自分の心のありようを自覚したとき、ナルトは静かに涙を流した。今までも自分自身よりも人のためにと労力を注いできた自覚はある。誰かのために流す涙は恥じるべきものではなく、尊く誇れるものだと知った。
それでも―――――、
(サスケは……違うんだよなぁ)
ナルトは歩みを止めた。ちらりと店の看板を見やって暖簾をくぐる。店に踏み込んだ瞬間一斉にかかる精悍とも野太いともいえる声が、ナルトを迎えてくれる。
それに誰ともなく会釈を返しつつ、近寄ってきた店員に連れが先にいることを告げて、見渡した先にそれを見つけた。
やれやれと思いながらも足はよどみなく、淀んだ空気の発生地へと向かう。
ナルトがガタリと椅子を引いたところで、男が顔をあげた。
「ナルト……」
「うす」
毎度のことながら情けない顔をしている。小さな声で自分の名を呼ぶ声がさらに相手の憐れさを増長させた。それに短く返して、喉元まで出かけたため息をナルトは飲み込んだ。
またか?とか何度目だ?とか言いたいことは山ほどあるが、まずは大人しく席へと着いた。
サスケはこちらを向くでもなく、手にしたグラスをじっと見つめている。
すぐに近くにいた店員がおしぼりをナルトに手渡し、つきだしをテーブルへと置いた。とりあえずビールとスピードメニュー欄のつまみを二品ほど注文する。
店員が去ってもサスケが話し出す気配はなく、ナルトは今日の任務の話しや仲間の話しをつらつらとした。それに聞いているのか聞いていないのか、サスケは沈鬱な表情のまま小さく顔だけを上下させてナルトに返す。
それもいつものことなのでナルトは気にせず話しつづけた。
ややして注文の品が揃い、ナルトが割り箸を割った時、サスケがのろのろと顔を上げた。
「ナルト……」
淀んだ目がどこかすがるように向けられる。ナルトが来る前から一人で随分飲んだだろうことが安易に想像できた。
「今回はどんだけもったんだってばよ」
言葉の内容とは裏腹にナルトの口調には哀れむような優しい響きがまじっていた。
話す内容は聞かずとも分かるとでもいうようなナルトの口ぶりだったが、それに否定の影は見せず、しかしサスケの表情は一段と暗くなる。
「……二ヶ月」
「木のみ屋で働いてる娘だったっけ?」
「ああ」
「どっちから?」
「あっちからに決まってる。いつものことだろ」
サスケの投げやりな言葉にナルトはここにきて、ようやくため息のような、肩を落として大きく息を吐き出した。
本当は聞かなくても分かっている。
あれは木葉の里に珍しく雪が降っていた頃だった。長期の任務から帰ってきたナルトの部屋に、手土産片手にサスケが訪れたのだ。右手に持たれていた土産の包みが、綺麗な小花があしらわれていたものだから、ナルトはその時もまたか、と思ったのだった。サスケ自らがそんな包みを使うわけがない。
それはやはり当たりだったようで、新しくできた彼女がもたせてくれたという。
今日は報告がてら帰ってきたナルトの顔を見にきたとのことだった。中身は木のみ屋の団子の詰め合わせだった。意図せずして渋い茶を出してしまった記憶も新しい。
あれから二ヶ月たったのだ。
短かかったのか長かったのか。ナルトからしたら答えは後者である。しかし彼の様子からして本人はそうではなかったようで、だからこそ似合わないやけ酒などという醜態をさらしているのだろう。
「彼女はなんて?」
半分ほどに減ったグラスをじっと見つめるサスケに、ナルトは質問を続ける。
これもいつものこと。返ってくる答えもきっと変わらない。
「つまんねぇって……」
「あー……」
やっぱりなぁ、という感想はもちろんナルトとて口にしない。男は傷つきやすい生き物なのだ。慰め役がとどめを刺してはいけない。こんな時でもなければ、ナルトはここぞとばかりに弱ったサスケを見逃したりしないのだけれど、恋の辛さは十分知っているつもりなので、こんな時くらいは素直に接してやりたいと思う。
「サスケはつまんなくなんかねぇよ」
「ナルト……」
「オレってばずっとサスケといるけど、んなこと思ったことねぇもん。その娘に見る目がなかっただけだってばよ」
自分の顔を見上げるサスケの表情は、まだ憔悴しきっているものの、ナルトの話しを聞こうという姿勢が伺えた。
自分が来るまでの間にサスケはかなりの酒量を消化したらしい。素面でサスケが自分の言葉を鵜呑みにするわけがなかったし、そもそも自分をここに呼び出したりはしないだろう。普段の彼はすこぶるプライドが高い。弱みなど見せるヤツではないのだ。
それでも酒が入るとその辺りは途端に低くなるらしく、ナルト相手にとうとうと付き合い始めから別れ話くんだりまで話して聞かせる。結構時間はかかるし、酔っ払いの言葉はたまに理解不能で正直疲れるものだ。それでもナルトはじっと我慢していつも聞いていた。
話しの端々に優しい言葉をかけてやり、サスケの言い分に同意し理解を示し慰める。これじゃ駄目だと本当は分かっているが、ナルトはどんな時もサスケを励まし続けた。
なぜか恋に関しては徹底的に学習能力の低いサスケをナルトはアドバイスをするでもなく、注意するでもなくだ。ずーんと落ち込み心のネジが緩んでいるサスケをただ慰める。
これはささやかなナルトの抵抗だった。
人間付き合いの下手なサスケが誰かと付き合う。その始まりはたいてい相手の方からのアプローチで、しかしサスケは断らない。
彼に恋心を打ち明けることができるような女の子は、自分に自信がありそれに見合うだけの器量を持ち合わせていて、皆可愛いらしく、美しかった。並んだ二人はどこから見ても似合いの恋人同士なのだ。
しかし、そんな娘たちとのサスケの交際は決して長いとは言えないものばかりで、彼女たちの言い分はこぞってサスケが苦々しく口にしたさっきの一言に尽きる。要はもっとサスケにかまって欲しいのだ。
それもそうだとナルトも思う。付き合い当初こそ恋人同士という言葉は当て嵌まるが、数週間もすれば彼は本来の優秀で融通のきかない忍に戻ってしまう。長期の任務も短期の任務も関係なく受け、ハードなスケジュールになろうと気にしない。それに加え日々の修業。正直、もの申したくなる彼女たちの気持ちが分からなくもないナルトだった。
もっと彼女たちに時間をさけばいいんだよ。それが無理なら一言でいい、言葉をかけてやればいいんだ。彼女たちは不安を持っているんだから。
きっとそんな言葉がサスケには必要なんだと思う。でもそれをナルトは言うことができない。そういった感情の機微を察っすることができず、愛想を尽かされてきたサスケが、思いやりのある理想の彼氏なんかになってしまったら、もう誰も彼を手放そうなんて思わないだろう。
だからナルトの口は馬鹿のひとつ覚えのように、『サスケはつまんなくなんかねぇよ。相手に見る目がなかったんだってばよ。忍のお前は本当にムカつくくらい格好いいよ』そう繰り返す。
それはまぎれもないナルトの本心だったのだけれど。
そう、もうずっとナルトはサスケのことが好きだった。
もともと特別だったのだ。サスケへの想いが仲間であるとか、友達であるとか、そういったものとは違うとはっきり自覚したのはサスケが里に戻ってきて三人目の彼女ができた時だった。
一人目の時はサスケを心から受け入れてくれる人がいたのだと喜んだ。二人目の時は嫌な感じに胸がざわついて、しかしそれに気づかないフリをしてやっぱり喜んでみせた。それも数ヶ月して別れたとの報告を聞き、ナルトは浮足立った。
そして三人目の時、始めてその彼女という位置が羨ましいと思ってしまったのだ。
そこからナルトの辛い恋が始まった。打ち明けることなんてできるわけがない。
年頃の娘は皆サスケに好意を持っていて、サスケもそれを拒まない。見てくれは里一とも言われ、実力も申し分ない。冷静沈着のそんなサスケに彼女たちは皆夢中なのだ。それに加え、本当は不器用ながらもサスケが優しいことをナルトは知っている。愛情深く、一途に誰かを想える人間であることを知っているからこそ、ナルトは怖かった。次の相手こそがサスケの本当の愛情を受ける娘だろうか、と。
そしてそれを否定し、違うことを願い、もう五年だ。短期間で相手が変わるサスケのそばにいるのは本当につらかった。
一度ナルトはサスケにその想いを告げようと思ったことがある。あまりに辛く、悲しくあったものだからその勢いで。
しかし何の偶然か、ある出来事がナルトを思い止まらせた。
ナルトが知る限り初めてサスケが相手を振ったのだ。
それは自分たちと同じ忍で、そして黒い髪が美しい目元の涼しげな綺麗な男だった。
それからナルトはサスケに想いを告げようだなんて、間違っても思うようなことはなくなった。サスケが外見で相手を決めているとは思わないが、でもその一件以来ナルトはじっと我慢をしている。正直、サスケに新しい彼女ができたんだと告げられるのは、ひどくつらくて逃げ出したくなる。こんなにつらいのならもうそのままその娘と結婚でもなんでもしてしまえばいいとさえ、その時は思わずにはいられない。そうなった時の心の痛みは計りしれないけれど。
「んなこと言うのはてめーくらいだ。もうオレはお前がいればいい……。いっそのこと、お前と付き合っちまえばいいんじゃねぇかな……」
くぐもった低い声。
ナルトの聞きたかったいつもの口上がサスケの口から発っせられる。傷心と酒がサスケに言わせる心のこもらない安い台詞。しかしその言葉を胸に閉じ込めてナルトは笑う。
「バーカ。気持ち悪ぃこと言うんじゃねぇってばよ」
「気持ち悪いとか言うな……。ああ、でも確かに気持ち悪ぃな、オレとお前なんて。ありえねぇ……。そーいえばお前まだサクラのこと好きなのか?」
 手にあるグラスをもてあそびながらサスケが矛先をナルトへ向ける。
「当たり前だってばよ……。もうオレのことはいいから」
 自分はサクラが好き。そう思ってくれていたらいい。特定の子を作らないのも、サクラが好きだからでごまかせる。サクラには申し訳なく思わないでもないが、まだナルトは決断できないでいる。いつまでもこんな不毛なやりとりを続けているわけにもいかない。いつもそう思う。
 しかし、この男にこうやって頼られ、甘えられるのを手放すこともできないのだ。
 ナルトにはきっかけが必要だった。
「当分もう女はいらねぇ。お前がいればいい……」
 これもいつものサスケの台詞。果たされたことのない言葉。
「だからバカなこと言ってんな。もっと他にサスケに似合いの娘が見つかるって。その時はオレに一番に報告しろよ」
そしてナルトもいつもの言葉をサスケへと告げる。できるだけ自然に、できるだけ明るく。突き放すのではなく優しく慰めるように。だって恋はつらい。やぶれた恋もきっと。
ナルトはサスケが大切だった。












~傷跡~Ver.N_2→

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