先日、一通の早文がこのオンボロアパートに届いた。


†††十年恋歌†††


周りから何と言われようともここは自分が二十と数年暮らしてきたところで、確かに愛着であったり憐憫であったりと、とにかく自分を形成する一部として当たり前にナルトとともにあったここを彼は出ようと思ったことはない。あの時をのぞいては。
そのアパートのポストの中に相変わらずの端正な執筆でもって『うずまきナルト殿』と差出人の人柄を顕著に表す風体の封筒(つまり文というにはあまりに色気も素っ気もないただの白い封筒)に宛名と差出人の名前が書かれていて、本当に見慣れたものであるのにも関わらず嬉しさが込み上げるのをナルトは押さえることが出来なかった。
2年ぶりの友の帰還。嬉しくないハズがない。
もちろん彼からの文も2年ぶりになるわけなのだが、今まで届いた数通のそれを何ともなしに開いては読み返していたおかげで、この簡素に過ぎる文もナルトからしてみればやはり見慣れたものの類いに入るのだった。
そうして書かれている内容まで想像出来てしまって、面白くない半面苦笑いというかそれでも笑みが浮かんでしまうナルトである。
どうせ1行か2行しか書かれてはいないのだ。それならば封書ではなく葉書にすればいいものを、あの男はわざわざ内容にしては多分に大きいものを選んでいるように思う。
ただナルトとしても文をもらうなんてことはそうあることではなくて、それでもこういった旅先からの手紙にはあれやこれやと書いてあるものではなかろうかとは思うのだ。きっと自分であれば字の大きささることながら、この余りに余った白紙の部分は真っ黒になっているに違いない。
そう今はいない男を思いながらナルトは文を開けた。
やはり余白であるというよりそもそも選び間違いではなかろうか、いや、普通は体面というものが人にはあるのだから、少しは余白を埋める努力をするハズで、しかし手にあるそれからはそんな人の機微であるとか、見栄えであるとかそんな意図は全く感じられず、つまりは非常にらしいそれなのである。まぁ、口下手な奴のことだ、筆まめなハズもなく、たった2行の文面であるこれさえも彼を彼たらしめる要素がどうにも端々に見受けられてナルトとしては妙に納得してしまっては、人知れず苦笑するのだった。
この2年どこへ行ったのか、誰と過ごしたのか、旅をしているならば必ずともなう何かが足りない。伝えたい内容が手紙に書ききれないというわけではないのだあの男は。会ったとしても土産話の一つもしはしないのだから。
ただ、今どこにいるのか、いつごろ里に立ち寄るのかのみを綴った想像通りの短い文面と、その最後に差出人の名前として『うちはサスケ』と締め括ってあるのを認めて、漸くナルトは安堵するのであった。
その彼らしいと受け取った文は、実はもっとも彼らしくないものであることをまだ当の持ち主は知らない。



「大分傷は塞がってるみたいだけど、無茶はしないでよ、ナルト」
新しく変えられた包帯の白さをナルトは何の感慨もなく見下ろし小さく頷いた。
昨日の夜半、1個小隊を率いて里に帰還したばかりのナルトである。任務は成功、ただ自分ともう一人深手をおってしまったが、敵の最後の追撃に皆持ちこたえ、死者を出さずに里に戻れたことは幸である。Sクラスの任務だったこともあって上層部からのお小言も、彼等の心証を悪くすることもないだろう。
「明日はちょっと用事があって来れないけど、明後日にはまた包帯を変えに来るわ」
「うん、ありがとうってばサクラちゃん」
ナルトは応急キットを片しているサクラに向かって笑顔を向けた。昔から気のおけない数少ない仲間であり、想い人でもあった人だ。今は5代目火影の元で医療のスペシャリストとして役目を果たしている。その職歴から伺えるように、病院に赴こうとはしない彼を気にしては、こうして手当をしに来ることもよくあることなのだが、久しぶりに見る彼の深手に終始眉を潜めるサクラである。
「ねぇナルト。今更かもしれないけど入院した方がいいと思うの。私も毎日来てあげる訳にはいかないし」
ナルトが病院へ行くことを極力避ける事情を知るサクラとしては、いつもの強引さは影を潜めてしまう。
「うん。でもオレってば治るの早いから入院しても次の日退院とかなっちまったらめんどくせぇし」
サクラの言葉に困ったように笑ったナルトはやはり応とは言わなかった。サクラは小さく溜息をつくと傷に響かぬ程度にナルトの頭を小突いた。
「まぁ、あんたの事だからどうせ同じ時期に入院した部下よりも治りが早いとか何とか考えてるんでしょ」
ナルトは一度その青い瞳を見開くと苦笑した。
「サクラちゃんには隠し事が出来ないってばよ」
誰かが自分を理解してくれるとううのはふんわりと心が軽くなる。ともすればそのまま暗い闇に飲み込まれそうになる己が心が救われるのだ。伝えるにしては重く、だからといえ知られずにいるのも寂しく思う。我が儘なのだろう、察して欲しいと思ってしまうことは。そんなナルトの心情を聡い彼女は理解してくれていて許してくれる。
サクラの言う通り、同じ深手を負った部下が入院する半分の期間で、いやもっと短いかもしれない、そんな短期間で完治してしまうことをナルトは危惧していた。わざわざ自分が異端であることを周囲に見せ付けずとも、確認せずともいい。寝ていれば治ってしまうのだ。
ただ今回の傷はサクラがそれでも助言せずにはおれない程深かったということだけで、それでもよく出来た体は明日、明後日には起き上がることは出来るだろう。
「あたしに隠し事しようだなんて10年早いわよ、ナルト」
「ゲジマユも大変だってばよ」
「あら、リーさんはそんなことしないもの」
それもそうだとナルトは破顔する。今年の春にこの桜色の髪を持つ同期はゲジマユことロック・リーと結婚した。下忍時代スリーマンセルを組んでいた頃からサクラが懸想していた相手がこの里を出て10年。その間彼女の想いがどのように変化して今に至ったかをナルトは知らない。きっと知らなくていいのだろう。今の自分がサクラを心から祝福出来るのと似ているような気がする。幼い恋心だったのかもしれないし、1番短かな存在であったものだから理想やら何やらを重ねやすかったのかもしれない。それでも変わらず大切な人だ。何が何でも幸せをつかみ取ってもらいたい。もちろんもう一人のセル仲間にも。そこまで思ってナルトは思い出したようにサクラに報告した。
「そうだサクラちゃん。今度サスケの奴里に戻ってくるんだって」
「あら」
リーが見たらさぞかしへこむであろう笑顔をサクラは浮かべた。サクラの中では消化したとはいえ、かの朴念仁は認めたくはないが彼女の永遠の初恋の少年なのだ、サクラとしても大目に見てもらいたいところだろう。
「サスケ君帰って来るのね。2年ぶりかしら?」
「そんくらいにはなるかな。あいつってば連絡も何もよこさねぇくせに、帰ってくる時だけ主張してくるんだってばよ」
「あら、ナルト寂しいの?」
え?っとナルトは怪訝そうにサクラを見遣る。
「だって連絡が欲しいんでしょう?サスケ君からの」
「ちっ違うってばサクラちゃん!つっ---!!」
急に力を入れた為一瞬息が止まるような痛みが右肩から胸に走った。三角巾で吊ってある右腕を抱え込むように体を丸めるナルトにサクラはさも呆れたように口を開く。
「なーにが違うって言うのよ。別にいいんじゃない?ほらもう横になって」
「うううぅ・・・。ありがとうサクラちゃん」
片腕が不自由なナルトを手伝ってサクラも体を乗り出す。背中を支え、暖かくはなってきたとはいえ怪我人を掛け布団なしで寝かすわけにもいかず、彼の足元あたりで丸まっていたブランケットを肩まで掛けてやった。
「やっぱり明日も来た方がいいかしら」
「大丈夫だってばよサクラちゃん。明日には痛みも引いてるだろうし、今日サクラちゃんが用意してくれたご飯食べたら元気になるってばよ」
「あんたの大丈夫は当てにならないのよ。まぁでも来れたとしても遅くなると思うから。これ痛み止めね。結構きついやつだから必ず食後に飲んで」
「分かったってばよ」
サイドテーブルの上に水と薬を置いたサクラは、さてと、と声を漏らすと立ち上がった。
「じゃあお大事にね、ナルト」
「今日はありがとうってばサクラちゃん」
「どーいたしまして」
玄関へ向かっていく肩下くらいまである桜色の髪をぼんやり眺めながら、パタンと閉じたドアの音をどこか遠くに聞いた。
疲れた体はとにかく休息を求めるらしく、その例に洩れる事なく 重たくなった瞼にまかせて眠りにつくことにした。



色あせた窓枠と夜空を背に、闇に溶け込むようにして立っているのは青年というにはまだ線が細く、少年というにはやや眼光鋭い黒髪の男が一人たたずんでいた。上忍服ではない彼を見るのは久しぶりだ。無遠慮に窓から上がり込んで来た同僚にナルトは不機嫌もあらわに眉を寄せる。施錠する癖のない自分に非があることは分かっているので、そのことについてはとやかく非難するつもりは毛頭ないが、唐突に訪れた彼とその出で立ちにナルトはさらに眉を寄せた。
「その格好。何のつもりだってばよ、サスケ」
ナルトの指摘に同じ上忍で同期であるうちはサスケは特に表情を変えるでもなく口を開いた」
「里を出るんだよ、今夜」
ナルトは一瞬その青い瞳を大きくさせたが、すぐに少し見上げなければならないその黒い双眸を睨み付けた。彼がこの窓枠を越えて姿を現したとき、直感した。忍服ならばいざしらず、私服に携えた荷物が彼のこれからの行動を予想させる。そして人との交流を避ける傾向のある彼がわざわざ自分を訪れたことに、それが長期にわたることをナルトに思わせた。
「いつ・・・帰ってくるんだってばよ?」
だからだろう、どこへ?ではなくそう聞いてしまったのは。
やはりいつもの無表情を崩すこともなくサスケは答える。さもすれば殺気さえ漂わせるナルトを前にして。
「帰ってくるつもりはねぇよ」
「サスケっ!!」
まさかそんな返答をされるとは思っていなかったナルトは怒気を含ませその名を叫ぶ。
「別に抜け忍になるつもりはねぇ。ただここを離れたいだけだ」
「じゃあ何で帰るつもりはねぇって?」
「捨てるわけじゃねぇ。気が向いたら立ち寄るかもしれねぇが、長くいるつもりもねぇ」
サスケは坦々とそれこそ用意されていた言葉を声に乗せるようにしてナルトに言った。俄かに信じ難いサスケの言葉にナルトは訳も分からず強まる不快感と、常より早い鼓動に顔を歪める。まさかと思ったのだ。すでにサスケを心底苦しめ苛んでいた存在はない。ともに上忍に昇格し、留まることのない任務に明け暮れる充実した日々。サスケがいてサクラがいて親しい者達と時に交わり、やはり纏わり付く家族のいない寂しさはあったものの幸福であると思っていたのだ、この男がこうして姿を現すまでは。
「許さねぇ・・・」
ナルトはくぐもった声で低く呟いた。
「てめぇにんなこと言われる筋合いねぇよ」
「駄目だっ。サスケってば馬鹿だから絶対ぇどっかの組織とかに命狙われたり仲間になったりするんだってばよ!!」
「お前、言ってる意味が分からねぇぞ」
「分からねぇのはてめぇが馬鹿だからだ!」
「ちったぁ人の話しを聞きやがれ、ウスラトンカチ」
「嫌だっ!てめぇの話しなんか聞いたらっ!!」
そこでナルトは一度言葉を切った。先程から眼に貯まっていた涙が零れ落ちそうになったからだ。その様子が手に取るように分かったサスケは軽く息を着くと諭すように口を開いた。
「前みてぇに、捨てるわけじゃねぇ。だからこうしてお前に会いに来た」
「帰ってくる気がねぇんだったら捨てるのと同じじゃねぇか」
「同じじゃねぇよ」
「同じだってばよっ!」
ナルトは激昂したように声を荒げる。両の瞳から零れ落ちる涙のことなど気にしてはいられなかった。ただまたあんな思いをすることだけは絶対に嫌だと強く思うだけだった。
「お前が何回ここを離れようとしても、オレは何回でも連れ戻すってばよ!何回だってっ!!」
ぎゅっと目をつぶった瞬間にまた新たな涙が頬を伝い顎の先からポタポタと滴を落とした。
「お前は何でそんなにオレにこだわるんだ・・・」
大粒の涙を流しながらがなり立てるナルトに呆れたように、困惑したように、サスケはあの時の問い掛けを再度ナルトに確かめる。
「わ、分からねぇ。でも絶対嫌なんだってばよ。サスケがいなくなんのはっ」
ナルトはぐいっと袖で涙を拭うと挑むようにサスケを睨み付けた。
「ナルト」
たまにしか使わない、名前を呼ぶサスケにナルトは身構える。
「オレと来いよ」
真っ直ぐ見据えてくるサスケの黒い瞳をぽっかり開いた双眸で応戦したナルトはその彼の言葉が浸透するのに数秒時間を要した。
「え・・・」
最後のあがきのように膨れ上がっていた涙がまたポロリと淵から零れ落ちた。ナルトが呆けている間に存外近づいていたサスケが乱暴にその顔を袖で拭う。
「いててて」
おまけとばかりに鼻まで擦られナルトはたまらず声をあげた。
(オレと来いって)
「サスケと一緒に?」
「ああ」
サスケは小さく頷いた。謀らずしも近距離にあったその双眸は酷く真剣で、この状況を彼がうやむやにしようとしているわけでないことはナルトにも分かった。サスケならばここでナルトが異を唱えることは安易に想像出来たであろうし、だから最初からそのつもりで訪ねてきたのではと思うのだ。
サスケが一度里抜けしたとき、結局三年掛かってしまったが連れ戻した。この里に、自分の側に。彼をと望む人達と自分の為にとその背中だけを追って追って捕まえて、今漸くナルトの望む形となったのだ。なのに、その本人はまた自分の前からいなくなると言うのだ。サスケが戻ってまだ離れていた期間の方が長いというのに。
ナルトの中でどこか、自分の望むある形がサスケも同じであると思い込んでいた。だから今涙が出るほど悔しくて仕方がないのかもしれない。
赤くなった鼻を右手で押さえた。視線は話すには気まずく感じるほどに近い距離に下に置かれた荷物の上をさ迷う。
「おい、てめーはどうしたいんだ」
俯きがちになっていたナルトの頭上でサスケが低く呟いた。
「黙ってたら分からねぇだろ」
「サスケ」
迷うわけがなかった。そんなことあってはいけないのだ。
だって自分は木葉の里の忍で、将来絶対火影になる男で里の皆を守っていくのだ。火影になって里のやつらを見返してやるという卑屈な動機は今は変わり、その存在を知ったときから17になる今まで己の目標は寸分も違わずここにある。
なのに。
(何でなんだってばよっ)
今猛烈にその手を取りたいと思ってしまうのだ。示されたその好意に何もかも投げ出してしまって、それだけを受け止めたいと心が喚くのをナルトは止めることが出来ないでいた。





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