もしあの手を離さなかったならばと、思う事がある―――――。



†††十年恋歌†††



(あ・・・・)
「ゆめ、か・・・・」
懐かしい夢を見た。もう随分と前のことで、それでも忘れたことなどなかった出来事。
ナルトは薄暗い部屋の中で目を覚ました。サクラが帰ってからどのくらいの時間がたったのかはまだ釈然としないのだが、それでも眠る前よりも遠のいた痛みにそれなりの時間が経過したことを知る。
ぼんやりとした頭で、先程の夢を反芻する。
あの日、よくもあの手を取らずにいれたものだとナルトは今でも時々思うことがあった。
真っ直ぐに自分に向かって差し延べられた手は、あの日ただ一度きり。サスケが里を出てからここに寄ることはあっても、彼は二度と自分と来いとは言わなかった。少しの寂しさを感じながらも、それでいいんだとナルトは思う。
あの後ナルトと共に、と口にしたサスケに向かって、彼をここに縛り付けるような言葉は言えなくなった。
当たり前だろう。
彼は一応の妥協をしたのだ。真っ先に反対するだろう自分をも連れて行くということで。それに否を唱えたのは自分。それでも彼をこの里に留めようとするのは、ナルトのエゴだ。それを突き通せば今の自分達の関係とか、築き上げたものが根こそぎ持って行かれてしまうような気がした。
とにかくあの時はサスケが大蛇丸の元へ行ったときとは違う。サスケの命がかかっているわけでも、命が狙われているわけでもない。そんな彼の里を出たいんだという、シンプルな願いを頭ごなしに拒否をする事は出来ないと己を自制するくらいにはナルトも成長していた。
これ以上は駄目だ。
そう思っただけだった。勿論その中で自分の夢、居場所をも考慮して。
ただ、サスケが行った後、何とも言えない脱力感に襲われはしたが、己もその結果に関わっていただけに納得しないわけにはいかなかったし、思いのたけをぶつける相手もおらず随分鬱々していたように思う。
ナルトは発熱しているだろう体を忌ま忌ましく思いながら寝返りを打とうとして、体の右半分がまだ酷く痛むことに舌打ちした。
「あー痛ぇ・・・」
「当たり前だ。ウスラトンカチ」
「?!・・・いっててて」
ナルトは声を上げようとして、本日2度目の激痛を味わった。
その呼び方、温かさなんて微塵も感じられないその言い回し。そんな人物をナルトは一人しか知らない。
(そりゃ、戻ってくるって早文はもらってたけど。ここまで気配を消してるなんて性質が悪ぃ。こいつらしいけど・・・)
不法侵入のうえナルトの目の前で椅子に座り、家主をウスラトンカチ呼ばわりしたのは先程夢に見た相手であり、文の送り主である、うちはサスケ。
その本人の本質をも表された簡素にしたためられた文はベッドの隣にあるサイドテーブルの上に無造作に置かれていて、横にはサクラが用意した水と薬がある。
「お前、いつから・・ここにいたんだってばよ?」
ナルトのその問いに、サスケはチラリとベッド近くの窓に視線をやった。
「てめーは今だに鍵すらかけれねぇのかよ」
ナルトの問いには答えず、あからさまに不機嫌な声でサスケは口を開く。サスケの言った”今だに”という言葉がどこからを意味するのかを察してナルトの表情は僅かに強張る。
だから玄関の鍵も開いたままだってばよ、という軽口も思うだけに留まった。ナルトは今のこの状態にはっきりいって狼狽していた。それはもう久しぶりに会った友人にかける言葉さえ出てこない程に。
何故なら彼がここを訪れたのは、調度彼が里を出ていくとナルトに告げにきた日以来であったのだから。
それまでは、人伝てでサスケが里に帰って来ていると聞けば、迷わず会いに行った。一度里抜けしているサスケは帰還の際は必ず火影執務室に顔を出さないといけない義務がある。
そのお陰で彼の帰還はおのずと知れた。そんなサスケの帰省は大抵サスケの家の大掃除から始まる。勿論広いうちは邸全てなんて無理があるので、必要最低限のスペースだけではあるのだが。
そして1年2年の主人の長期不在は家を荒れさせるだけでなく電化製品にまで及んでいて、ナルトは必ずと言ってもいい程、その日は大掃除は勿論の事、買い出しにもサスケに付き合った。
程々に歳を得た彼らは夜には縁側から一望出来る月であったり星であったり、そんなものを酒の魚にして酌み交わすのが恒例になりつつある。
そんな中で二人は土産話と言うには憚れるような旅の話しを少しと、たわいもない里の日常、近況報告などして夜が白み始めるまでぐだぐだしたり、次の日任務があれば日付が変わる頃にナルトは帰宅する。サスケが滞在している間はそんな風にして数日を過ごした。もっぱらナルトがサスケを訪れるという事が当たり前だったのだ。
ナルトはいつもと勝手の違う状況に、二の句を継げないでいた。二人のいる場所が自分の部屋であるということも、自分が怪我をしていてベッドから起き出すこともままならないということも、拍車をかけてナルトの口を閉ざさせる。
「怪我、したんだって?」
先程までサクラの座っていた椅子に腰掛けていたサスケも、久しぶりの再会にかける挨拶であったり、表情などは飛ばしてしまったようで、まるで仇に出会ったかのような声音でナルトに問い掛けた。
「ああ、ちょっと任務でやっちまったってばよ」
ナルトはいつものように笑おうとしたが、上手くいったかどうかは分からなかった。
相変わらずサスケは無表情で、そのくせナルトに威圧感を与えるというような、ナルトには絶対出来ない芸当を簡単にやってのける。そのプレッシャーが逆にナルトの矜持を奮い起こさせるようで、サスケを捕らえる双眸にも力が入った。
いつでもナルトはサスケの前で己の弱っている姿など絶対に見せたくなかったし、弱音はもちろん頼ったり、ましてや縋り付くなんてしたくないと思っている。
そんなの自分じゃない。
サスケと自分は常に対等であるべきで、もしそれが崩れてしまったら、自分でなくなってしまったら、もしかしたら、一人でなんて立っていられなくなるんじゃないかって、あの時もう本当にそう思ってしまったのだ。
それは今も変わらない。
「部下を庇ったんだろ?」
「何で知ってんだってばよ」
「火影に会いに行ったときに、サクラに聞いた。傷も、ズレてたらヤバかったって」
(サクラちゃんってばっ)
ナルトは今はいない元セル仲間を詰った。よりにもよってサスケにそんな事まで話さなくてもいいものを。
「別に、対したことはないってばよ。オレこんなだから傷なんて直ぐ治っちまうし。でもせっかくお前帰って来たのに何もできねぇな。さすがに酒も止められてるし」
これは本心。
ナルトも今この状態でなければ何にもましてサスケに会いに行っただろう。正直サスケの家を掃除するのも一緒に買い物へ行くのも嫌いじゃなかった。スリーマンセルを組んでいたことを殊の外思い出すからだ。
そんなナルトとは対象的にサスケは苦いものを無理矢理飲み込むような表情を見せる。
「そんな、大切な奴だったのかよ?庇った部下ってのは」
「?・・・大切って、そりゃ部下で仲間だから、大切かって聞かれたら・・・当たり前だってばよ」
サスケのあまりに暗い声音にナルトは疑問を抱きながらも答える。
確かに、一緒に任務に付いていた部下に向かって放たれた切っ先鋭い矢をこの身に受けたのは右肺の調度左側。さらに一寸でも左を矢が貫いたならば、今ナルトはここでこうしてサスケと話すことなどなかっただろう。流石にナルトも心臓を貫かれて生きながらえているとは思わない。肺を破られ込み上げて来たものを吐き出したとき、あまりの出血の量にもう駄目かもしれないと思ったのも事実だ。
そんなことを、この目の前の男に教えてやるなんて事はしないが。
ナルトの返答にサスケはあからさまに顔を歪めた。
「それだけじゃねぇだろ」
「それだけじゃないって。他に何があるのかってばよ?サスケ、お前さっきから何か変だぞ」
訳の分からない怒りをぶつけられてナルトもいい気分がしない。
自分達は2年ぶりの再会で、お互い気のおけない昔馴染みで、さらにはナルトは怪我をおっている。となると普通であれば互いの無事を喜び、労りの言葉の1つや2つあってもよさそうなものではなかろうか。
さっきからサスケの言葉や態度はナルトを非難するようなものばかりだ。傷は痛むわ、サスケはこれだわでナルトにしてみても面白くなく、最初の動揺はどこへやら心中荒む。
「オレのことなんかどうでもいい。 その庇った部下ってのに何かあるからてめーは今そんな怪我なんかしてんだろ。答えろよナルト。何とも思ってねぇ奴なんかの為にてめーはほいほい命を投げ出せんのかよっ」
語気を荒げたサスケはナルトをその黒い双眸で睨み付けた。
思わぬ激しさに、ナルトの思考は一瞬止まる。そして改めて見たサスケの表情に、傷ではない痛みが走ったように感じた。
深手を負っている自分よりも、何かに耐えているような辛そうな顔。痛いのは自分でサスケじゃない。なのにそれは酷く自分の奥深くにまで入り込み揺さぶり、そして訴えかける。
「サスケ、オレってば昔お前に言ったよな。”仲間一人救えねぇ奴が火影になんてなれるかよ”って。それは今も昔も変わらねぇ」
どんな答えを返せばこの男が納得するか、否、どんな答えを欲しているか、サスケの言葉で悟ったナルトは、でもあえて答えることは出来ないでいた。
己の言葉や信条に嘘を吐くことなど出来はしない。
サスケ相手であれば尚更だ。
それにサスケが言うのは”誰かの為”であって、ナルトからしてみれば”何かの為”なのだ。
ナルトとてほいほい命を投げ出そうなどと思ってはいない。
ナルトは無事な方の左腕で支えるようにして痛む体を無理やり起こした。
「だから、もしサスケがオレの目の前でやられそうになったら、オレは迷わずサスケの前に立って、助けようとするってばよ」
さらに続いたナルトの言葉にサスケはすっと目を細めると、押し込めたような低い声で呟いた。
「てめーにとってオレってのは、里の一部に過ぎねぇんだな」
「サスケ、お前何言って・・・」
「だってそうだろう?てめーは火影になるっつー事だけで目の前にいる奴を庇うんだろう?オレだろうが、部下だろうが里の奴だったら誰でも!」
ガタンと音を立てて先程までサスケが座っていた椅子が、彼が荒っぽく立ち上がった拍子に後ろへと倒れ込んだ。そしてその勢いのままナルトの胸倉を両手で掴み上げる。
ナルトは前置きのないサスケの行動に驚きはしたものの、きっとサスケを睨み上げた。それと同時にこんな感覚は久しぶりだとも思った。
昔はお互いこんな風にして喧嘩が始まったもので、もっぱらナルトがサスケにつかみ掛かる事の方が多かった。
それでも勝負のつかない殴り合いの喧嘩、勝てたことのない口喧嘩、それこそ命を削るような闘いまでもこの男とはやったのだ。
でもそれは随分と昔の話しで彼が里を出て行った後というのは、どちらかといえば自分達の間には穏やかとも言えるような時間が流れていたのだ。
「くっそ、痛ぇじゃねーかサスケぇ!!さっきから黙って聞いてれば好き勝手言いやがって、てめーは何がそんな気に食わねーんだってばよ!?」
サスケに掴み上げられたことで傷口が開いたのか、せっかくサクラの巻いてくれた包帯は勿論、着ていたTシャツにまで血が滲みだしていた。
ズキズキと痛む胸部を庇うことも出来ず、それでもいわれのない非難を甘んじて受け続ける程ナルトも弱っているわけでもなく、動く左手でギリリとサスケの右腕を思い切り掴んだ。
「何が気にくわねーかって?!」
サスケは半ば無理矢理起こさせていたナルトの体を怒りに任せてベッドに押し付けた。
古びたベッドのスプリングが二人分の体重を受けて、非難するかのようにギシリと嫌な音を立てる。
掴んでいたハズのサスケの右腕はすでにナルトの手にはなく、反対にシーツの上に縫い止められていた。反射的に振り上げた右腕が水の入ったコップに当たったようで、床に落ちただろうソレが割れる音をナルトはどこか遠くで聞いたような気がした。





←十年恋歌_1
十年恋歌_3→
閉じる