その顔が劣情に歪んでいたとしても美しく思う―――――。



†††十年恋歌†††



一瞬の攻防の後にはお互いのやや乱れた呼吸だけがこの部屋に音として残された。
ナルトは傷の痛みから、その体を押さえ付けるサスケは怒りの為から。
はっきりとナルトはサスケからの怒りを感じていた。こんなにも近いのだから当たり前とも言えるかもしれない。
薄暗い部屋でも鮮やかに瞬く黒の双眸は濡れたような艶を持っていて、苦しげにナルトを見下ろしている。
こんな状況でなければもっとその漆黒を堪能できたのにと思う一方、押し倒すことはあっても格闘以外で押し倒されるなんて事はこれが初めてのことで、嫌でも感じる己の鼓動に居心地の悪さを感じた。この状況で居心地が良いわけがないのだが。
常より遥かに近いサスケの体から圧迫感を感じて、互いの今の在り様に激しく疑問を持つナルトである。
(どさくさに紛れて何て事になってんだってばよ)
まるで女のような扱いにナルトの顔に熱が集中する。
組み敷かれた体はしっかりとサスケの体重を感じて、どう考えたって25をいくつか過ぎた男が二人でなる状況ではないとナルトは思うのだ。
それでもしつこく鼓動は狂ったように打ち付け、今も血を流す傷口はズキズキとナルトを苛んでサスケと向き合えと訴える。ともすれば、これをどうにか無かった事であったり、何かの冗談だろうと処理しようとしている自分を引き戻すようだ。
ごちゃ混ぜになった頭の中で、それでもはっきりと思った事は、何言ってやがんだこのヤロウ。その一言につきた。
「何が気に食わねぇか知らねぇけどなぁ。てめーが里の一部だって?笑わせんなっ!その里の一部ってゆー枠からも出てったのはてめーだってばよ!それでオレを責めるのはお角違いって奴だろうが、サスケェ!」
声を張り上げる度に、ズキンと刺されるような痛みに顔を歪めながらもナルトは一気にまくし立てた。
理不尽な怒りをぶつけられて黙っていられる程人間が出来ているわけじゃない。
ナルトの言葉に反応するように、サスケに掴まれている両手首はさらに力が加えられた。跡が残りそうな程に。
「好きでそうなったんじゃねぇよ!!」
「じゃあ、何でてめーは里を出て行ったんだってばよ!!」
ナルトはあの日から一度も問いかけたことのなかった言葉をサスケにぶつけた。
今のいままで、彼の行動は全てうちは一族のしがらみから寄るものだと思って疑ってもみなかったからだ。こんなに里や火影に執着する自分でも、この里を出たいと思ったことがないといえば嘘になる。
全ての確執が片付いたサスケにとって、ここは忘れられない幸せだった頃の思い出と、焼かれるような辛い思い出とが混濁している場所だ。だからサスケがここを離れたいと思うのも仕方がない事かもしれない。そう己を納得させて、この窓から彼の背中を見送ったのは自分。
もし、そうじゃないとしたら?
いや、それも大部分を占めているかもしれない。
でも、サスケが里を離れた理由がもし他の理由だとしたら?
(言ってくれねぇと、オレにはサスケが何を考えてるかだなんて、分らねぇんだ)
「てめーには関係ねぇ」
ナルトを見下ろしていた双眸がふいと反らされた。すんなり答えてくれるとは思ってなどいなかったナルトだが、自分との関係まで一刀両断するようなサスケの返答にぐっと息を詰めた。
「関係なくなんかねぇ。サスケはあの時オレに”里”か”サスケ”かを選ばせた。オレは答えを出したってばよ。サスケはそれで納得したんだろ。なのに、何で今さらんな事で喧嘩しなきゃならねぇんだってば」
ナルトが言い切る前に、サスケの顔からは表情が消えて、あの飲み込まれそうな程の圧迫が消えた。
「サスケ・・・」
自由になった両手のやり場にナルトは困惑する。
まるでしがみつく様にサスケがナルトの胸に額を押し付けてきたからだ。
「ざまーねぇな。あの時自分からてめーに選択させて、それで納得したハズだったのに。それでも実際に面と向かって言われると結構くる・・・」
小刻みに揺れる体からサスケが笑いを噛み殺している事が知れた。
「言えよ、サスケ。この里の何がそんなにお前を苦しめてるんだってばよ?何で里を出なきゃいけなかったんだ?言ってくれねぇとオレには分かんねぇ」
随分と前からこの友は悩みを持っていた。それを前面に出されたことはなかったが、誰よりもこの男を慕い見てきた自分には分かる。だからといって踏み込んだことはなかった。それをサスケは嫌ったし、ナルト自身どんなに親しい人であれ、好いた人であれ打ち明けられない事情というものがある事もまた知っていたからだ。
ナルトはおずおずと安易に動く左腕を持ち上げ、己の胸の上にあるサスケの頭を撫でた。本意ではなかったがどうやらサスケはナルトの言葉で傷付いてしまったらしい。ナルトに向けられていた理不尽なサスケの怒りの矛先も今は反れてしまって、ただ打ちひしがれている男が一人。ナルトもそれにつられる様にしてサスケに対する怒りは影を潜めてしまった。だって仕方がないではないか。
こんなサスケは放っておけないのだから。
どうしてか優しくしてやりたくなるのだ。
怪我をしているのは自分なのに。癒してやりたいだなんて、こんな風に縋りつかれたら答えてやりたいと思ってしまうのだ。
「サスケ」
名前を呼んで促す。
「オレは・・・」
掴まれた肩が軋んだ。
きっと泣きそうな顔をしているに違いない。
彼独特の後ろに跳ねる髪をゆっくりすいた。思ったよりもしっとりとその髪はナルトの掌に馴染んで、こんな風にして彼に触れるのは始めてだなと速まる鼓動を余所に思った。
自分達の関係というのは一言ではとても言い表せられない程複雑で、でも他人からしたら本当に簡単なものなんだろう。昔馴染み、好敵手、仲間。後は何だろうか。兄弟のように、友のように、そんな風にして自分達は同じ時を過ごして来た。今のこれはどれにも当て嵌まらない。なのに嫌じゃないなんて、反対にどこか満たされているとか思ってしまうなんて笑われてしまうだろうか?
暴れたせいで吊っていた三角巾は首の辺りまで上がって来ていて、ただサスケの背中に回そうと腕を上げるには調度良かった。
「・・・傷、痛むか?悪い。お前今怪我してんのに。オレのことは気にすんなよ。ただ本当に外の世界を見たいだけなんだ。それ以外に理由なんてねぇから」
ナルトの腕が止まる。後もう少しでその背中に触れるという所で。
「嘘付いてんじゃねぇよ、サスケ」
「嘘じゃねぇよ」
ナルトの上からゆっくり顔を上げてサスケは感情のこもらない声で言った。
(信じられるかよっ)
ナルトはサスケの瞳を覗き込む。
そんな辛そうな顔して、今にも泣き出しそうな顔して、酷い嘘だ。
「すぐ治っちまうお前が怪我したって聞いて心配しただけだ。もう怪我、すんなよ」
ふっと体が軽くなってナルトは慌てたようにサスケを目で追った。動かない体が口惜しかった。
サスケは既に窓枠に手をかけていて出ていこうとしている。
何か言わないと。
引き止めないと。
「サスケ!」
とっさに名前を呼んだ。
引き止める言葉も用意できていない、でももしそれがナルトの口から発せられていたとしてもサスケはそんな言葉を受け入れてくれないだろう。
ただ傍にいて欲しいだけなのに。それしか望んでいない。何故それをサスケは叶えてくれないんだろう。
「まだ話しは終わってねぇってばよ!」
「ナルト、少し頭を冷やしたい。・・・また来る」
サスケの表情は薄暗い部屋の中では分かりづらくて、ナルトは後ろ手で体を支えて起き上がった。
「またっていつだよ!?明日?明後日?いつまでここにいるんだってば?!」
ナルトは背中を見せたサスケに堪らず問い掛ける。
このまま帰してしまっていいんだろうか?
ここでサスケの背中を見送ってしまってもいいんだろうか?
あの時のように、このまま。
「また来る、ナルト」
振り向きもしないでサスケは約束を1つ残していく。素っ気ないと感じる程に自然に。
でもそれはいつ果たされる?
サスケは音もなく窓枠を飛び越えた。宵闇の中を当然のごとく身を翻して、忍びをやめたハズのそれは誰よりも忍らしくてナルトにうちはサスケという存在を改めて思い知らせる。
明日、サスケはここへ来るだろうか?それとも部屋を片してから明後日?
いやもう来ないような気がした。
このまま里を離れてしまうに違いない、いつものように。
仕方ない?
だってサスケが決めて、ナルトが決めて、それでお互い納得して今がある。
何でこんなにも未練が残ってしまうんだろう。いくつも出会いを重ねて、別れを経験して、その時はとても苦しくて寂しくて悲しくて、でも時間がそれを風化する。
なのに、サスケのくせに。いつも自分から姿を消してしまって、いいかげん慣れてしまってもいいハズなのに。
いっこうにサスケのいない日常に慣れていない自分がいる。
また傷が癒えたら任務をこなして、修業しては泥の様に眠って、そんな日をいくつもやり過ごして、そしてこのオンボロアパートのポストに文が届くのを自分は待つのだ。
この白い封筒を―――――。
それを見やって、先ほどの応酬でコップから零れた水がその白い封筒を濡らしていた事に気付く。
ナルトは慌てたように、首から三角巾を取ると封筒の水気を吸い取った。滲んで読めなくなっているかもしれない。中身を取り出して確かめた。
サスケらしい。そんな水が掛かるくらいで読めなくなるような墨は使っていないようだ。
ナルトは三角巾の濡れていない部分で、文の水分を取る。
その時、独特な匂いが微かにナルトの鼻孔を擽った。良くとは言わずとも嗅いだ事のある匂いだ。
「あ!」
ナルトは勢いよくベッドから飛び出そうとして、胸を襲った激痛に足がからまりドターンと派手な音を立てて床に転がり込んだ。
「・・・・くぅ・・・・いいいぃててて・・・・」
唸り声をあげて、痛みをやり過ごす。
「これも全部サスケのせいだってばよっ・・・」
ナルトは這うようにしてタンスに近づくと、しまってあった蝋燭と燐寸を取り出して、なかなか言うことのきかない左手を叱咤しながら火をつけた。
薄暗い部屋に優しいオレンジの炎がともり、淡くそれらを照らし出す。
手に持った紙切れ同様な有様の文を翳した。燃えてしまわないように注意深く距離を保ちながら、万遍無く焙った。水分が蒸発するのと同時に、やはり知った匂いがきつくなる。
間違いない。あぶり出しだ。
密文書扱いにもなりはしない、暗号で書かれたものであればそれらしくもなるのだが、薄っすらと現れたその文字はナルトであっても誰であっても読めるもので、やはりそれは密文書でも何でもなければ、ただの文であった。ただ、文字が薄く読みにくいというだけで。
余白だと思って疑わなかった部分に現れた端正な執筆でもって書かれた文字はどこからどう見てもサスケの筆跡で、当たり前の事であるのにナルトは通常の墨で書かれている文字とを何度も見比べてしまった。
読み難いながらも一気にその文字を追う。1枚目を読み追えると、タンスにしまってあった今まで届いた文も全て蝋燭の炎であぶり出した。
残らず読みきって、ちらばった文を片すのももどかしく、蠟燭だけを消してナルトは部屋を飛び出した。
今もなお塞がらない傷口は、一歩踏み出すだけで、呼吸一つするだけでズキンズキンと酷く痛みナルトの顔から血の気を失くしていく。剥き出しの鉄の階段を足音煩く降りた頃には肩で息をしている状態だった。
それでも目指す場所は1つだけ。
急がなければと心が急く。
この距離を今日ほど遠いと思ったことはない。
「サスケ」
ナルトは噛みしめた唇から洩れる名の人物を思い浮かべた。
冷静沈着と思われがちな彼が実は、感情過多である事は自分が一番知っていたハズだった。なのに、何故自分はいつもいつも大事なところを見落とすのだろう。
ナルトは痛みを堪えながら、地面を蹴って前へ前へと足を押し出す。
ただ、早くサスケの元へと思いながら―――――。





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