†††春を待つ†††



(…………くっそ!)
ナルトはすれ違う人を尻目に、火影執務室へと続く廊下を走っていた。
ここ一ヶ月の間、正確にはサスケが帰還して少しの休暇を消化してからこっち、ナルトは単調な里内任務ばかりをこなしている。それはナルトからしてはサスケに会いに行くためであり、五代目火影からしては精神的に不安定なナルトを慮ったという二つの意見が相違なかった結果である。
そしてナルトはいつものように報告書を提出し、サスケの元を訪れた。しかし、
(何で会わせてくれねぇんだってばよ!)
門前払いをくらったのだ。しかもそれは火影命令だという。
ナルトは執務室の前にたどり着くと、一切の躊躇もなく扉を押し開ける。その勢いのまま綱手の座るデスク前まで転がり込むように駆け寄った。
「ナ、ナルト君?どうしたの?」
「ノックくらいせんか、ナルト」
書類をかかえたシズネが驚いたように声をかけるのと被さるように、ナルトの非礼を咎める綱手の言葉が続いた。
「どうゆうことだってばよ!」
「なんだい。いきなり」
ナルトがここに来た理由など分かっているだろうに、綱手は書類をめくる手を止め、あえてナルトに話しを振った。
「何でサスケに会わせてくれねぇんだよ!あいつ今あんな狭いとこに目も見えねぇで一人でいるってゆうのに!」
「やはりサスケのことか」
「他にあるかってばよ!」
ナルトはぎりりと音がしそうなほど歯をくいしばる。ナルトの剣幕に動じることなく、綱手は口を開いた。
「あれはあたしの意向じゃない」
「じゃあ誰が!」
ナルトはそこまで口にして、思い当たる人物の名を上げる。
「サスケかッ?」
「ああ」
綱手は深く頷いてみせた。その様子から彼女がこの事について異議はないと言っていることが伺えた。
「だからって何でそんなことするんだってばよ!」
ナルトはこの優しくも頼もしい五代目を慕っている。サスケの処分にしても彼女の本意でないことも分かっているし、今回の件に関しても何か考えあってのことと頭では理解している。しかし感情の部分はどうしようもないのだ。
「聞け、ナルト。おまえ今、疑われているぞ」
「何が……」
「うちはサスケの共犯者としてだ。無論今は調べの最中でサスケがどうこうと言っているわけではない。それは暗部拷問尋問部隊の奴らも承知していることだ。 問題は古株連中でな。奴らはおまえの腹の中の九尾のことを相変わらず良くは思っていない。しかもうちはの坊やは九尾を操ることができるときてる。この機会にサスケはもちろん、おまえも閉じ込めておこうと虎視眈眈と狙ってるのさ」
「そんなの関係ねぇってばよっ……!」
今自分が彼のそばにいないで誰がサスケの味方になってくれるというのだ!
ナルトは握りしめた手にさらに力を込めた。
「サスケはおまえまであそこに放り込まれることを危惧したんだろうさ。ヤツの気持ちを汲んでやれ」
「オレは別にやましいことなんてひとつもねぇんだからそれでも構わねぇ」
「聞き分けのない子だね。でもおまえを今サスケと会わせるわけにはいかないよ」
「ばあちゃん!」
「火影と呼びな。…………任務だ、ナルト。だからサスケには会わせられない。帰って来たら会わせてやるよ」
「今からッ?オレってばもう今日の任務も終わって報告書も出したばっかりなのに!」
「今までゆるい任務ばかり回してやってたんだ。そろそろ里のためにきりきり働きな。これからは里内里外関係なく回していくからね。まずは里外、期間は十日だ。詳しくは後でシズネに聞いてくれ」
「そんな!十日もッ?オレが任務に行ってる間サスケはっ!」
「いい加減にしないか、ナルト!何でサスケを信じてやらないんだ!」
突然の綱手の怒声にナルトは口をつぐんだ。言われた内容にはっとして、悔し気に目を伏せる。
「サスケはおまえに戻ると言ったんだろう?何でそれを信じてやらない?確かにサスケは脆いところはあるかもしれない。しかし自分で決めたことは命をかけても成し遂げる奴だろう。違うかナルト?」
綱手はじっとナルトの瞳を睨み上げる。
「おまえがサスケを守りたいと思うように、サスケもまたおまえを守りたいと思ってるんだ。どんな形であれサスケは戻ると言った。おまえはそれを信じて今は待て。いいな、うずまきナルト!」
活を入れるような綱手の言葉にナルトの胸は熱くなる。一方的に守られるだけの悔しさは身を持って知っているはずだった。彼がここに戻るために通らなければならない道なのだとしたら。
「分かったってばよ……!」
ナルトは顔を上げ綱手に向かって低くも力強い声音で答えた。不安は消えはしない。本当にこれで良かったのかと、何度も何度も繰り返し思う。きっとそれはサスケのあの黒い双眸を確かめるまでは消えることなく付きまとうんだろう。
しかし、サスケの覚悟を知る者としてまた自分もそれを受け止めなければならないのだ。
「シズネ姉ちゃん、詳しく教えてくれってばよ!」



こめかみにかかる指が煩わしい。
無骨な男の手がサスケの眼を覆っていた帯を解いてゆく。
ひと月の間、光を失っていた瞳は薄暗い部屋の中でさえ眩しさを感じた。
「当分の間、瞳術封じの帯の影響で瞳術は使えない」
目の前の男。森乃イビキに言われ、確かに、と己の眼の違和感にそう思う。
「今までで嫌というほど聞かれただろうが」
なぜ戻ってきた?と今だ光を取り込むことに苦痛を感じる瞳をじっと覗きこまれた。
「ともに歩むと決めた相手がここを望んだ。それ以外に理由はない」
「うずまきナルトか」
そう問われて、サスケは開き切らない瞳のまま頷いてみせた。
「火影様が随分後ろ盾になってるようだが、今回の件で危うい立場に立たされたな。本人は気付いてないようだが。それもおまえ次第だろう」
良かったな、ともに歩むんだろう。と続く皮肉とも取れる言葉にサスケは目を細める。
そんなことを言われずとも、決まっている。やれるだけのことはやったのだ。
覚悟のほどはいかにも自分らしく。そして長くとどまるつもりは毛頭ないのだ。
待たせるわけにはいかない。
いや、もう矢も盾もたまらず自分は戻りたいのだ。
これ以上待たせるわけにも、待つこともできないから自分はこうするしかなかったと断言する。
失ったわけじゃない、新たに手にするための制約であったと思えば容易いことだと確信して。



「ナルト!とばしすぎよ!」
後方からかけられたサクラの苦言にナルトは心持ちスピードを落とした。
「ごめん!サクラちゃん!でも後少しだってばよ!」
今まで十日間の任務なんてざらにこなしてきたはずなのに、里へと馳せる気持ちは高ぶる。
昨日より空が青い。風は花の香りをのせている。鬱々と過ごしていたひと月が嘘のように今は鮮やかだ。
不安は残る、しかし信じているのだ。
どんなに悪態をつかれようが、きっと本心でないと言い聞かせてきたではないか。彼が自分に誓った言葉を信じなくて何を信じる?
だから今そこへ還える。そして自分もまた誓うのだ。
『おまえを待つ』
その一言をサスケに。この景色を、移ろいを彼に話して聞かせよう。森の木が芽吹きはじめたのだと教えよう。ここはこんなにもあたたかく明るい。


春が、近い。



『あ』『ん』の門を駆け抜け、後ろを振り返る。
「サクラちゃん!オレばぁちゃんのところに行って来るってばよ!」
「ちょっとナルトー!」
「ごめーん!」
ナルトはサクラをそのまま振り切ると、まずは火影の屋敷へと向かう。正々堂々とあの女傑に言ってやるのだ。ちょうど十日前にも走り込んだ廊下を同じようにして通り過ぎる。ただ、火影執務室の扉の前で一端立ち止まると、ナルトはその拳を数度打ちつけた。すぐに中から「入れ」と短く応えが返る。
勢いよく扉を押し開けると、いつものように綱手は大窓を背に座っていた。目を通していたらしい書類に判を押し、それを脇にどける。ナルトはデスクの前まで進み、
「任務遂行したってばよ」
まずは任務報告を。
「うむ。ご苦労だった」
綱手は仰々しく頷き、労いの言葉をナルトにかけた。
「約束だ、綱手ばあちゃん。サスケに会いに行ってもいいだろ?」
ナルトは声も高々に五代目火影に問いかける。もちろん否を言わせるつもりはないと意気込んで。
「サスケはもうあそこにはいない」
その言葉を聞いてナルトは大きく目を見開く。
「じゃあ、サスケ出られたんだ……!」
知らず出た自分の台詞にまだ実感が湧かなかった。歓喜の声を上げようとして、続く綱手の声に阻まれる。
「サスケの事で、おまえに言っておかなければならないことがある……」
いつもの低くも力強い彼女の声が、今はどこか空を彷徨う。
しかし聞くことを拒否できない響きと、綱手のその眼差しが、一瞬サスケへと馳せたナルトの意識を引き戻した。
彼女の背にうつる空はどこまでも広く高くあった。



息を深く吐いた。そうしなければ、溢れて溜まった衝動をどうすることもできないようで。
火影の屋敷を出て真っすぐ目抜き通りへ。少し奥まった道を入り、見慣れた軒並みの角を曲がった。
酷い仕返しだ。確かに自分は彼を当初、無理やり、力ずくでもって対峙した。それもサスケの仕出かしたことに比べれば、なんと手緩いことであったか。どうにも自分自身に対して意識の低い彼にもっと自分は言っておくべきだったのだ。
簡単に投げ出してしまうなと。その身は自分で思っているよりも大切にされて然るべきものだと。
そして自分の鈍さ加減に嫌気がさす。 なぜ気付かなかった。なぜ察っすることができなかった!
初めての面会の時すでに、彼の左目が失われていたことに!
「サスケ……」
やさしく風が通り過ぎていく。若葉の青さと花の甘い香りをつれて。視界に入る空はやはり青く高く。どこまでも眩しく明るいのだ。このすべてが芽吹く日にあわせるようにして。


春を待っていたように。



『サスケを拷問尋問部隊に預けた日。やつは自分の手で己の左目をえぐり出しちまったんだよ』
綱手の言葉が蘇る。己の身の潔白と、覚悟を知らしめるために。ただひとえに長く続くであろう拘束を短縮するために。そうして純粋なうちはの生き残りであるふたつの眼は文字通りひとつになった。
忍であれば喉から手が出るほど物にしたいと思わずにはおれない、今では宝であると言っても過言ではない純血種唯一の眼を意図も簡単に捨ててみせた。残るはひとつ。つまりは上層部に対する脅しだ。
己の価値と先行きを巧妙に考察したサスケの遣り口だった。
復元などさせるつもりもなく、己に返ることも望まず。えぐり出されたその眼球は同時に握り潰されたという。残された右目まで失くすわけにはいかないと、彼には瞳術封じの帯が施された。
彼自身から彼の眼を守るために。
『あの時おまえに言うわけにはいかなかったんだよ。いや、言えなかったと言うべきか。きっと知ったらおまえはもっとサスケ、サスケになっただろう。それに奴の希望でもあったしな。それを知れば自分が出るまでの間おまえが苦しむことが分かってたのさ』

なぁ、ナルト。サスケはその眼と引き換えに何を手に入れたんだろうな。

ひときわ強い風が吹いた。すべてを舞い上げるような、この年一番強く吹く風が今。
駆け出さずにはいられない。その名を今にも叫び出してしまいそうなのだ。息苦しくも高鳴る鼓動。
その眼と引き換えに。同じ瞬間を感じるために。


もうそこまで春が。



『木ノ葉病院』と掲げられた看板を横目に、駆け込んだ。どうにか受付で号室を聞き出し、その部屋へと急ぐ。階段を二段飛ばしに駆け上がった。
途中、「廊下を走らないで下さい!」という叱責がかかり、振り向きざまに、
「急いでるんだってばよ!」
と謝罪にもならない言葉を返した。長い廊下を号室を数えながら走る。目的の号室まで辿り着いたところでノックもなしにドアを開けた。
「サスケッ!」
白いカーテンがひるがえる。無人の部屋にベッドから抜け出した跡だけが、ここに誰かがいたことを証明した。
「あー!もうどこほっつき歩いてんだってばよっ!」
踵を返して部屋を出る。ここで思い当たる場所なんてひとつしかない。さらに、ナルトは階段を駆け上がった。



反対側の壁にあたるまで勢いよく扉を開けた。すぐに強い風がナルトの髪をなびかせる。一面に広がる晴天。やわらかくも眩しい光がナルトの目を射した。屋上の半分以上を占領する、白いシーツがはたはたと揺れている。
昔二人して破壊した貯水槽は新しいものに変えられていたけれど、でも目に映る景色はあの頃と同じ。
そしてその向こう。黒い髪を風に遊ばせて、たたずむ男の名を呼んだ。
「サスケ」
左の眼を覆い隠すように斜めに包帯をして。でもその表情は痛々しいだなんて思えないほど、強い眼差しをナルトに向けていた。口元には笑みまで浮かべられていて、しかしナルトはそれを見た瞬間息が止まった。
鼓動が騒ぎ、それが耳鳴りのように聞こえる。だから早くその声を聞かせろよと思った時。
「覚悟はできたのか?ウスラトンカチ」
あの狭い空間で響くような声ではなく、大気に吸い込まれるようにして届く声音で。
確かに戻ったぞと。だから、あの言葉の返事をしろと。その隻眼の瞳がナルトに訴える。
答えなどひとつしか望んでいないくせに、選ばせようとするなんて。ナルトがなんて答えるかなんて分かっているくせに。
一笑しようとして、しかしサスケの背後に映る青さに目を奪われた。
この危機感にも似た胸の高鳴りはどういうわけ。
引き寄せられるように歩むこの足は誰の意思。
まさに今。待ち望んでいたものが来たのだと実感した。
間違いなく春が。これから歩む道に彩りを添えるかのように。
そして己の覚悟を伝えるために、ナルトはまた一歩踏み出す。



待ちに待った春が今





END





ここまで読んで頂きありがとうございました。
今回異例サスナル。強いサスケに弱いナルト。
何かですね、ナルトって凄く精神的に強いイメージなんですよ。でもそれは自分の身に降りかかる困難には俄然立ち向かっていける強さであって。例えば他の人(今回はサスケ)が自分のせいで辛いことになってしまったら、はたして強くあれるのかしら、そしたら少しは弱くなっちゃうんじゃないかしら?と思ったのです。まぁサスケはナルトの為なら何だってやっちゃいます。なんたって『命がけ』ですから(笑




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