気づかれちゃダメだ
気づかれちゃダメなんだ。
絶対あいつにだけは。
今どんな顔してるんだろ。
ちゃんと笑えてる?
ちゃんと楽しそうにしてる?
オレってばいつもみたいに嬉しそうにしてるかな?
だって絶対泣くにきまってる。
オレの前じゃけっこう泣いたりするんだよお前は。
だからどうか、置いていかれたなんて思わないで。

ごめん。ごめんな。
オレはいくよ。
遠いところだけど。

でもまたお前に会いたい。



迷走飛行症候群



シャコシャコシャコシャコ。
『……団子……このみ屋の……団子……だんご……だ……』
洗面台が空くのを隣で歯磨きをしながら待つ兄の顔を、サスケは鏡ごしに見る。
その稀にみる端正な顔立ちは唇に白い泡をつけていてさえ見劣りすることはない。長いまつ毛もあいまって男臭さを感じさせないが長身な彼は、だからといって決して女っぽいわけでもなかった。
要するに美形なのだ、サスケの兄イタチは。
そんな非常に目に心地よい男の頭の中が、このみ屋の団子でほぼ占められているなんて誰が想像するだろう。
『……食べたい。このみ屋の……団子……。だんご………………………………………今なら…………十三串いける……』
サスケはぴくりと頬を引き攣らせた。
(……十三串はやめとけ、イタチ)
十三という具体的な数字にイタチの本気を感じる。サスケは心の中だけで無心に歯を磨いているように見える兄に苦言した。それも無駄でしかないのだが。
イタチを横目にぐちゅぐちゅと口をゆすぎ、水を吐き出す。それを数度繰り返し、濡れた口元をタオルで拭った。
無言で洗濯台を譲り、洗面所を出ようとしたところで、
『……サスケももう中三か……昔は同じ串の……団子を食べたものだ……』
「食ってねぇよ!」
すかさずサスケが噛み付くようにイタチに声をあげた。
「急にどうした?サスケ」
「…………なんでもねぇ」
「おかしなヤツだな」
(あんたほどじゃねぇよ)
サスケは心の中でつぶやくと、今度こそ洗面所をあとにした。



私立木葉学園中学部三年うちはサスケ。
彼は人とは違う特殊な能力を持っていた。ものごころついた時より人の心の声がきこえるのだ。
正直、有難迷惑な能力だと思う。こんなものなくたって人は生きていけるし、支障ないはずなのだ。
確かにこの能力のおかげで何においてもそつなく対処してきたのだろうけれど、それでも煩わしい思いをしたことのほうが圧倒的に多い。
おしつけがましい好意、聞くに堪えない嫉み、心の声は容赦なくサスケの意識に入り込む。
しかし今ではどんな醜い心の声を聞こうが態度にあらわれることはない。
些細なことにでも彼らの声に反応するこは危ぶまれた。
奇異な目で見られるだけじゃない。サスケの人生をも狂わせる事態に発展することは目に見えている。
(汚いやつらばっかだ……)
この能力のせいかサスケの感情の起伏は極端に少ない。
世間一般の14歳にはみることのない冷静さととを身につけていた。そんなサスケの調子を狂わせるのは兄のイタチだけだった。
サスケの能力とて万能ではない。特に強く感情が動いたときなどに、その声はサスケの頭の中に響いた。
その点ではイタチはサスケにとって何を考えているのかつかめない男だった。
普段はほとんど彼の声は聞こえない。何も考えてないのか、はたまたサスケ同様感情の起伏が極端に少ないか。今朝のように彼の声がはっきり聞こえるのは稀だ。よほど今の彼は糖分が足りてないのだろう。
最近のイタチは忙しい。言葉、顔、態度に全くといっていいほどでないので気づきにくいが、今朝の彼の団子にたいする執着ぶりからしてかなり煮詰まっているはずだった。
サスケの兄は現在医大生だ。定期的に課されるらしい今回のレポートがそろそろ終盤にかかっていることを兄の様子からサスケは知る。
(帰りにこのみ屋の団子でも買ってやるか)
素っ気ない態度をとり自覚がないながらもサスケは結構なブラコンの気があった。
『……このクラスに……転校生がいるみたいだ……』
本日の予定を立て終えたサスケの意識に自然に入ってくる誰かの声。
『……あいつか。目立つヤツだな……』
教室という喧騒の中にあってそれらの声は直接脳に響くように鮮明だ。
『……見かけない顔。転校生かしら…………』
様々な声の中、煩わしい雑音はカットしてしまおうと思ったとき。
『……あ、うちはの前の席のヤツ……』
自分の名前にサスケは意識を引き戻す。目前の生徒にちらりと視線をやって、なるほど目立つヤツだなと納得した。
目をひく明るい色の髪がふわふわと好き勝手に広がっている。
席順からいって今後何かと関わることになるだろう相手が転校生らしいということにサスケは嘆息した。
ここ木葉学園は小中高等部、さらには大学と続くエスカレーター式の私立の進学校だ。約9割の生徒が小学部からの持ち上がり組、残りが外部入学組。小学部からこの木葉学園に通うサスケは例にもれず持ち上がり組である。
これから始業式が行われるのだが、その前に担任の挨拶があった。
(担任は確かうみのイルカだったな)
あまり小煩くないヤツだったらいいとサスケは思う。前担任は無口な反動か心の声がひどい男だったのだ。
ホームルーム開始まで後5分、前の扉から犬塚キバが現れた。彼はサスケを見つけると「よう!」と片手をあげる。
キバはサスケの2つ前の机を見下ろして「ここだ、ここだ」とつぶやきながら着席した。
昇降口に張り出されていた三年のクラス分け表に二人の悪友の名を見つけていたが、これで揃ったようだった。もう一人は相変わらず気だるそうに机に突っ伏していた。
サスケの学園内での友人関係はかなり希薄だ。元来の性格もあるかもしれないが、いつの間にか聞こえてくる心の声がサスケにいつでも一線を引かせた。
その中でもサスケと付き合いのあるのは先ほど入ってきたキバ。彼はあらわす態度、言葉と心の中の言葉がほぼ変わらない稀な男で、サスケがムカつけばムカつくと言葉で言い歯をむいて向かってくる。心の声など聞こえてこなくても分かりやすいヤツだった。
そしてもう一人、サスケより早くに教室に入っていたが、すでに机に突っ伏していた奈良シカマル。この男の場合、聞こえだすととめどない。サスケの預り知らぬ次元の話題にまで発展していくので、反対にサスケは無関心になれた。
どうやらこの1年我関せずを決め込むのは難しそうだとサスケが思ったところで、前の扉が開きうみのイルカが入ってきた。


「先生の自己紹介が終わったところで、出席を取るぞ。名前を呼ばれたら返事をするように。読み方が間違ってたら訂正してくれ。えーと、出席簿、出席簿と。…………それじゃ、安土ナツオ」
「はい」
壇上に立つイルカは進学校には珍しい柔和なタイプの教諭だ。大きな声がかつぜつよく教室に響く。
サスケの席は廊下側の一番端。名を呼ばれた生徒は同じ列の一番前で、続いてキバの名前が呼ばれた。
「へーい」
「中三にもなったんだちゃんと返事くらいしろ犬塚。えー、うずまきナルト」
「はーい」
少しキーの高い声が目の前からあがる。
次は自分の番だと思ったところで、
『うずまきナルト?!ナルトってあのナルトか?』
キバがばっと後ろを振り返ったのがサスケの視界に入った。
(うずまきナルト……キバの知り合いか?)
「ナルトってお前ここの小学部にいたあのナルトかよ!」
「そーだってばよ。久しぶりだなキバ。またよろしく」
親しく返されるそれにキバの思惑が当たったことを知る。
その声を聞いてサスケの胸はトントンと拍子をとるように高鳴りはじめた。
キバだけじゃない自分も知っている。
彼の顔が見たかった。
「おい、いつまでしゃべってんだ。犬塚、うずまき。初日から廊下に立たされたいか?」
イルカの注意を受けキバが慌てて前を向いた。
続いて名前を呼ばれ、かろうじて返事はしたが、始終サスケは前の席に座るうずまきナルトという人物が気になって仕方がなかった。
小学部にいたという。サスケの記憶するかぎり高学年の時にはいなかった。なら低学年か。
(たかだか小学部で一緒ってだけでなに気にしてんだオレは。周りは皆同じだろうが)
どうしても前に意識を向けてしまいそうになる自分に次第に苛立ってくる。
前席の彼はまったく後ろを振り返る気配はなく、ホームルーム終了までサスケはわけの分らない焦燥を感じながら悶々としていたのだった。





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