迷走飛行症候群



夏休み5日目。全国大会に向けて剣道の練習は厳しさを増していた。木葉学園は文武両道をもっとうとし、進学校でありながらスポーツにも力を入れている。
その中でも武道は群を抜いていて、サスケ属する剣道部はもちろん、柔道、空手は都予選は常連だった。中学でこういった武術系のクラブはやはり数が少なく、野球やサッカーと花形スポーツに比べ上位に食い込みやすい。とはいえ、たいていの部員はどこぞの道場に所属しているため、そういった意味では個人のレベルは高いといえた。
剣道の有段者を父にもつサスケは幼少の頃から剣の道を叩き込まれ、中学部で剣道部に入って以来レギュラーから外れたことはない。月に2回高等部の先輩らと行う合同練習の勝率も悪くなかった。低段とはいえ2段3段と自分より上の段を持つ彼等にも引けをとらないサスケだが、段位取得の制限のため今春にようやく初段から2段へと昇段したところである。中学2年ではじめて昇段審査で初段を受審する資格を持つ。段位を取ろうという者にとって初段は待ちに待った試験であり、その分間口は広い。サスケと同学年の部員は怪我のため試験を受けれなかった者以外揃って初段だ。次に受ける昇段審査でふるいにかけられ、今2段であるのは副将のサスケと主将の二人だけだった。大会は団体戦と個人戦とあり、サスケは両方出場予定になっている。
今までは部活と週に2度程度の父との稽古と自主練だけであったが、大会を前にそれだけでは足りないと、夕方からは父の知り合いがボランティアで運営している明光館に通いはじめた。
サスケは特に剣道を極めようという志しはない。警視長である父のように警視庁を目指しているわけでもない。ただこの大会を期に剣道の道を邁進するのを終りにしようとは思っていた。サスケの父フガクは自分のように息子には警視庁に勤めることを希望していた。長男のイタチが医師を志望している以上、その期待はサスケに向けられる。しかし、サスケは父のように警視庁の人間になる気はなかった。警視以上の昇進を望もうとすれば人事によっての登用になる。正当性の高い試験登用とは違うため、本人の能力はもとより身の振り方にも関わってくる世界であることが分かる。サスケの能力を持ってすれば、労せずして泥沼化が予想される出世への蹴落としあいは回避できるだろう。
それでもサスケは己の理解しがたい歪んだ精神に多く接するようなことは、何がなんでも避けたかった。キャリア組になるとしても始まりは皆警部補か巡査部長。犯罪者のような異常をきたした精神には触れる機会が多いスタートはごめんだった。
同じ理由でイタチのように医師を目指す気もない。外科などは叫び声だらけだろうし、内科の破棄のない呟きも聞きたくない。診療内科など以っての外だ。歪んだ精神に引きずられるのがおちである。
サスケは自分がそういった輩を必要以上に嫌悪に近い思いで避ける傾向にあるのは自覚していた。何がきっかけでとかそういった心当たりはなく、己の特殊な体質のせいなのだろうと片付けているふしがあった。
とにかくサスケは父に恥じぬよう、大会では成績を残そうと思っている。そんな朝から昼までは部活で汗を流し、夕方には明光館に通うという日々の中、自分が誘うよりも早く、イタチがナルトを家に誘ったという事実は衝撃であった。
5時からある明光館の稽古に参加するため、玄関を出たところでインターホンを押そうとしているナルトを見つけたサスケは、一瞬固まった。サスケが何かを言う前に気付いたナルトは、しかし条件反射のようにボタンを押していたようで、自分の背後でなんとも間の抜けた音が2度鳴ったのだった。
「おーす、サスケ。久しぶりだってばよ」
片手をあげてにっと笑ってみせるナルトに、サスケはとっさに彼が自分に会いに来たのだと思った。
「サスケこれから稽古?」
肩に担いだ防具入れと竹刀をちらと見たナルトがサスケに確認する。「ああ」とこくりと頷けばナルトは「ちぇー」と唇を尖らせてはいたが、別段残念がっている風体でもなかった。
それでも、会いに来るのであればせめてメールなり電話なりしてから来やがれと、サスケが口に出そうとした時、背後で玄関の開く音がした。
「いらっしゃい、ナルト君」
にこりと笑みのような表情を張り付かせたイタチが立っていて、そこでサスケはナルトが自分ではなくイタチに誘われてここに来たのだと知った。ムカムカとしたものがサスケの胸に広がる。それに追い撃ちをかけるように、
「まだいたのか、サスケ。遅れるぞ」
そうイタチが言った。その言葉に「今から行くんだよ」と怒気まじりに返し、サスケは防具入れを抱えなおす。ずんずんとナルトの前まですすみ、自分と彼を隔てる門扉を乱暴に開け放った。
「明日。あいてんのかよ」
唐突とも思えるようなタイミングでサスケがナルトに向かって、聞きたいことだけを口にした。
「は?」
機嫌の悪さがうかがえる口調と憮然としたおももちでそう口火を切ったサスケに、ナルトは一瞬呆けてしまう。
「は、じゃねぇ。明日あいてんのかって聞いてんだ、ウスラトンカチ」
癖のようについて出たサスケの悪態に、ナルトがあからさまにムッとした顔になった。
「あいてたら何なんだってばよ」
「今日オレが終わるまで待ってろお前」
「はぁ?!」
サスケはナルトがうるさくまくし立てる前に自転車を取りに行く。何か喚いているのが後ろで聞こえたがサスケは涼しい顔で無視をした。
ナルトの性格上一方的な言葉は腹立たしいものに違いない。しかし、サスケはナルトが自分の言葉に反して帰ってしまうということは、これっぽちも疑っていなかった。どうして負けん気の強い彼が自分に何も言えずしてここを去ることがあるだろう。文句のひとつやふたつ、自分に言ってやりたいに決まっている。
明日があいているというのなら都合がいい。サスケも明日はクラブの練習はなかった。夕方から明光館の練習はあるけれど、参加はサスケができる範囲でと、随分融通はきく。今日のうちに連絡を入れておけば問題はないだろう。
サスケが自転車のナンバー型ロックを外し、玄関を振り向けば調度ナルトが家に入って行くところだった。ナルトを迎え入れて前を歩いているだろうイタチを思うと、サスケの胸は嫌な感じにざらりと擦れる。それを疑問に思うことなく、その苛立ちにも似た嫉妬をサスケは受け入れていた。
忘れていた感情の放出は、あの日サスケが断片的に思い出した内容の比にならない勢いでサスケの胸をまさに焦がしたのだ。
サスケが特殊であるように、サスケにとってもナルトは特殊で、沸き上がる側にいたいと思う気持ちは、今まで誰にも感じたことのない強いものだった。
他と比べられるわけがない。
ナルトはサスケの唯一だった。独占という言葉が何度も頭をめぐり、それを否定することなど思い浮かびもしない。
すでにサスケの中でナルトは、あたり前に自分の側にいなければならない存在として捉えられていた。



夏休みに入る前、サスケは携帯のキャリア変更をしていた。今時小学生が携帯を持ち歩くのは珍しいことでもない。サスケが携帯を持ったのも小学部の6年生の時だった。中学部に入れば新しい教科として英語の授業が加わる。早い者は小学部の低学年から英会話を習い、サスケは高学年最後の時、両親のすすめで英語だけ塾に通うことになった。特に具体的な将来を描いていたわけでもなかったサスケは集団に混じることに良い気はしなかったけれど、学ぶことが嫌いではなかったというのも手伝って、その提案に渋々頷いたのだった。そしてついでのように親から渡された携帯を、その時は本当にうざったく思いながら持ち歩くようになった。
それから意図して携帯の機種を変更したり番号を変えるということもなく、故障して変更せざるを得なくなった以外で、サスケは今のいままで携帯にたいして時間をさくということはなかった。
それがどうしたことだろう。番号は変わらないとはいえ、自分はより多くナルトとの時間を持つために画作しようとしている。そこは昔から変わらないようであった。彼が家に帰るのを少しでも遅らせようとしていた自分。
思い返せば、今の自分の行動も過去のそれも、彼に執着する度合いを思えば至極当然のことのようにサスケには思えた。
ナルトはキバやシカマルとは頻繁にメールや電話での交流があるらしい。それは学校での彼らとのやりとりでも伺えたし、自分と一緒の時に彼の携帯から楽しげな音が流れ出したのも、一度や二度じゃなかった。
いつだったかナルトは自分の携帯には制限がかけられているということを話していた。それはナルトに限ってだけではなく、たいてい親から携帯を持たされ、あるいは持つことを希望した子らの携帯には何らかの制限があった。通信費の超過を防ぐためだ。例えば決まった箇所にしか発信できないようにしているだとか、一定量の通信量を超えた時点で規制がかかるだとか。あとはアダルトサイト等未成年が閲覧するに相応しくないサイトに訪問することがないように等等が理由だろう。ナルトはそのあたりを律儀に守っていた。というより考えたり気にしたりしながら携帯を使うことを面倒くさがったナルトは、とにかく同じキャリア以外の携帯には極力連絡しないという、シンプルな自分ルールを作っていたらしいのだ。それなら自分と同じキャリアの携帯を持っている友人の名前を覚えるだけでよかった。もちろんそのナルトのリストにサスケの名前はない。
それを不満に思いながらもあえてサスケからどうこうしようとは思っていなかったけれど、彼との過去の思い出が増えるたび、もっとナルトとの時間を共有したいと思うようになっていった。昔のように。
その思いがさらに強まったのは、彼からのメールが届いたあの日に違いない。夏休みを自分のためにあけろと言わんばかりの、めったに寄越さないナルトからのメールを受信した日。追試のあった日だ。それからすぐにサスケは変更をした。
そうすることによって離れていても彼との時間は持てるようになったけれど、サスケが本来時間をさかなければならなかった相手との時間は皮肉にも減ってしまった。それに気付いたのは変更手続きも終わって母と帰宅し、自分の部屋でメールアドレスの変更メールを送らなければならない相手をアドレス帳で拾いだしている時だった。
春野サクラ。
その名が表示された時のサスケの心境は複雑だった。しまった、という率直な気持ちと少しの罪悪感。きっと良い顔はしないだろう。言葉はなくとも、彼女の目と内なる声が自分を詰るだろうことが安易に想像できてしまった。サスケとサクラは偶然にも付き合う当初から同じキャリア同士だった。ふたりが付き合うに至ったのも彼女からの強いアピールで押し切られる状態からはじまっている。当然のことながらサクラの方から電話をかけてくる時の方が圧倒的に多かった。それも通話料を気にしなくてもいいキャリア同士だったからだ。
そんなことも忘れてナルトと同じキャリアに変更してしまい、サスケは新しい携帯を握ったまま後味の悪い気分を味わっていた。
どこを探してみても、ナルトよりサクラを優先するという図式がサスケには思い浮かべられなかったのだ。
サクラは可愛いと思う。いつも丁寧にブローされた髪や、手入れされた綺麗な指先。どれもこれもサスケのためと時間をかけている。たまに思い込みが激しく後先考えないこともあるが、普段の彼女は聡明で快活だ。クラスの男子に人気があるのも頷ける。それでも、サスケにとってのナルトの存在意義とは他と比べようがないのだ。
自分はきっと一生ナルトと離れることはできないだろう。無力だった昔とは違う。何かに引き離されそうになったとしても、今の自分であれば頭を働かせ、そして行動し、離れないでいられるよう最大限の努力をするはずだ。
そんな相手なのだ、サスケにとってナルトは。
きっとナルトのような人間、もう二度と出会えるわけがない。
今回再会できたのは本当に幸運だった。サスケは神様にも感謝したいくらいだった。もちろん自分に会いたいからと、木葉学園に転入してくれたナルトにも。
サスケは宛名にサクラの名を追加し、送信ボタンを押した。



終業式が終わってから、サスケはサクラを家まで送ることになった。あれから、サクラからの電話は減って、その変わりメールは増えたように思う。正直サスケは今の現状にほっとしていた。もともと携帯を持つことも束縛されるようで好きじゃなかったサスケである。サクラと付き合うようになって、それは強く感じていたことだった。
それでも今まで彼女はそう強引に約束を取り決めたり、会うことを強要することはなかった。それをサスケは望まなかったし、サクラにもそれくらいは分かっていたのだろう。いつもサスケのためにと気をはっていた彼女が、マイナスになると分かっている行為をするわけがなかった。
それでも今回のことでサクラは不安になっているようだった。
そんな背景があるわけで、サスケは今サクラと一緒に彼女の家に向かっている。
送れということらしい。少し後ろめたいサスケは、彼女の言い分を受け入れていた。たびたび聞こえてくるサクラの心の声はいつもと違い小さく、そして不安定だ。同調することはないが、それでサスケの気分があがることなどあるわけがなく、正直サクラと一緒にいたいと思える心境でないのは確かだった。
知らず半歩前を歩いていたサスケをサクラが呼び止める。彼女の家はまだ先だ。
それでもサスケに声をかけるタイミングが、通り過ぎようとしていた小さな公園に寄ろうというものだと察しがつく。サスケは悟られないよう小さく嘆息した。
ファミリー向けの大きな分譲マンションのエントランスに続くような公園には、やはりその規模に見合った砂場と鉄棒、それと4つのブランコが設置されている。ここのマンションの子達だろうか、数人の子供が砂場で遊んでいた。
サスケは近くにあった自動販売機で自分用に烏龍茶と、サクラには紅茶を選んで水滴のついたそれを手渡した。
両手で受け取った彼女が嬉しそうに礼を言ったのを、ああ、とだけ短く返し、サスケは公園へと足を向ける。
夏休みも目前のお昼時、立っているだけでもじんわりと汗がでてくるような炎天下の中、あそこに座ろうと促すサクラに従った。ちょうど木陰になったベンチに二人腰を下ろし、手にある缶をあけた。カシュッとその時ばかりは涼しげな音がする。あとは時折大きくなる子供の声と、すでに聞き慣れてしまった蝉の鳴き声だけが辺りをにぎわせていた。
いつもよりやや、大人しい様子でサクラがサスケに話しかけてくる。主には夏休みのことで、そこからクラブの話しになり、サスケはなぜか大会までは忙しくて時間が取れそうにないことをサクラに告げていた。ナルトにさく時間はあってもだ。
サスケは思い当たったそれに、やはりサクラに対して後ろめたいものを感じる。
「サスケ君…。私のこと避けてない?私、サスケ君が嫌がるようなこと何かしたかな」
彼女が心の中で何度となくつぶやいていた言葉が、ようやく口に出された。しかし、サスケが何かを言う前にサクラが付け足すように謝罪を口にした。自分が肯定するのを恐れてのことだとサスケはサクラの的を得ない言葉にそう思う。
「ううん、何でもないの。大会あるんじゃ仕方ないよね。頑張ってね。私、応援行っちゃダメかな」
「……かまわねぇよ。ただ来ても話したりはできねぇかもな。部員と関係者しかフロア内は入れねぇから。客席はあるから見えねぇことはねぇけど」
「話せなくてもいいの。じゃあ応援行くね」
断れなかったことに安堵した様子で、ようやくサクラが笑みを浮かべた。
「ねぇ、サスケくんは……」
そうして、サクラはサスケに向けていた顔をそっと伏せた。
彼女が口にする前に言葉の先が聞こえてしまって、サスケの表情はサクラと入れ代わるように強張った。俯きがちに話すサクラにはその様子は見えていない。
「誰かとキス…したことある?私は……ないから。初めてはサスケ君とがいい……」
はっきりと告げてきたサクラの言葉にサスケはゆっくりと彼女をみやった。やはり顔は俯いたままで、サスケが買った紅茶の缶を両手でにぎりしめている。綺麗に手入れされた指先が力を込めすぎて白くなっていた。それをサスケはいじらしいと思う。けれど、
「サクラ……」
名を呼ぶと彼女はいっそう体に力を込めたようだった。サスケはそんな彼女に申し訳なく思う。
「オレは初めてじゃない……」
こんな時に馬鹿正直な答えを返さなくてもいいだろうけれど、彼女が心内で投げかけてきた問いの答えを思い出した時、サスケの心はあるひとりの幼なじみだけが占めた。
ただ本当にあの時はくっつけただけ。目を閉じて開いたら終わっていた。そんな触れ合いともいえないような、サスケの初めてのキスは、しかしありったけの想いを込めたものだったのだ。
「ごめん……」
あの稚拙で不器用な、サスケが全ての想いを伝えたくて相手に贈った口づけを思い出した今、サクラに請われたからといって簡単にできるものではなかった。
(ナルト……。オレはあんな頃から)
決定的な過去の追随。普通ではありえない種類の感情でもサスケは思い出せたそれと決別しようだなんて思わない。反対に今の彼へと向かう気持ちに名前がついたようで、爽快感さえあった。ふたりの間に沈黙が続いた。遠くで子供達の楽しそうな声と蝉の鳴き声だけがふたりの空間に入ってくる。
サスケは重苦しい空気を払拭しようとはせず、反対にさらに悪化させるであろう言葉をサクラに向かって告げたのだった。
「サクラ、オレたち別れよう」






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