迷走飛行症候群



ナルトたち赤点組が受けなければならない追試を残して、後は夏休みを待つのみという1年のうちで最も気合いの抜ける授業日をサスケは半分机に突っ伏すようにして迎えていた。目の下にはうっすらクマがあり、たまに焦点が合わなくなるのは非常に不健康極まりないが、そんな彼でもやはり周りは褒めちぎる。美形は陰りさえも味方するというのが、このクラスの女子の見解らしい。もう聞き飽きた。
サスケは込み上げてくる欠伸をかみ殺す。彼のそれは単なる寝不足であった。サスケのその様子から悪友たちは、どれだけナルトを絞ったのかと、金髪の友人を慮ったが、彼等の思惑は見当違いもいいところである。現にナルトは今日も元気にサスケと登校し、机とお友達になることもなくノートを取っていた。
サスケと違って彼に睡眠が足りてないわけがないのは、一目瞭然である。
結局追試前日は眠いというナルトの一言で、日付が変わって1時間もしないうちに、サスケは自分のベッドへ、ナルトはミコトが用意した客用の布団に入った。
当初朝まで勉強、睡眠はこの際授業中にでも取りやがれと意気込んでいたサスケだったが、思わず聞けたナルトの自分にたいする気持ちに溜飲が下がったらしく、当たりの柔らかくなった彼にナルトの機嫌も上昇。お互い風呂から上がってからの勉強は非常にスムーズにすすんだ。
ひとまずはサスケの満足のいくところまでナルトも理解してくるようになったので、彼の「眠い」というその言葉を受け入れた。しかし、ただそれだけが理由ではなく、普段大きな目を吊り上げ睨みつけてくるそれを、眠た気にまぶたを半分下ろしているのが自業自得とはいえ不憫に写ってしまったからというのも理由のひとつだった。それと少しだけそれが可愛いなどと思ってしまったのは不覚である。
布団に入って電気を消し、おやすみを言おうかどうか迷っていれば、ナルトが眠そうな声で言った。
「そーいえばサスケの部屋さぁ、洋室になっちまったんだな」
そう言われて中学部に入る前辺りにこの部屋とイタチの部屋を、洋室へと改装したことを思い出す。
「ああ、ここの家も古いからな。畳も悪くなってたし」
洋室に変えてもらった、とサスケは小さく続けた。それに、そうなんだ、と返るナルトの声はひどく残念そうで、サスケはおや?とベッドの下で息をつく幼なじみをうかがった。
「オレ、サスケの部屋の押し入れ好きだったのになぁ」
ぽつりと付け足すようにナルトが言う。
「ほら、ここの押し入れをアジトとかにしてさ、ヒーローごっこしただろ。また布団が良い具合にいっぱいあって居心地良かったんだってばよ。そいや昼寝も押し入れん中でしたよなぁ。ずーっと出て来ねぇオレたちをいつもサスケの母ちゃんが起こしに来てくれて」
ナルトの言葉にサスケの記憶の扉が少しずつ開いてゆく。
そうだ、もう今はクローゼットになってしまっている押し入れの中、二人入り込んでは遊んでいた。4つの襖を必要とする広めの押し入れは、小さな子供二人が入ったところで窮屈さは感じない。反対に少し開けた隙間から入る光りは調度良い具合に薄暗く、ある時は眠気を誘い、ある時は物語のヒーローが身を隠す地下アジトであった。身を寄せ合い、声を潜めてクスクスと笑いあう、そんな情景が思い出されてサスケはくすぐったさに身を縮めた。
そこを気に入っていたのは自分よりナルトの方で、彼が遊びに来ると必ずといっていいほど中に入りたがった。ナルトの家は今時の洋風造りで和室はなかったと言っていた。
布団や衣装ケースの入ったそこに子供が入り込むことを最初はミコトも嫌がったが、言うことを聞きそうにない息子にため息をつきながら、もう使わなくなった布団や毛布を上に重ね居心地のよいスペースを作ってくれた。ここでお菓子を食べたらダメだと言われ、それを守る時もあれば、一口くらいと二人でこっそり分け合うこともあった。
そこまで考えてサスケは、はたとあることに気づく。
(これってこの前見た夢……)
あの寝覚めの悪さは今でも覚えている。ナルトなしでは生きてはいけないと本気で思っていた自分。執着が強すぎて彼が離れるという事実を受け入れられていなかった。夢とはいえなんてリアルで生々しい感情なんだろうと首を傾げたことをサスケは思い出す。しかしあの時は夢だと片付け深く追求はしなかった。ナルトにたいしてクラスメイトという認識しかなかったからだ。
でも今は違う。ナルトはサスケの特別だ。彼は心の声を聞かせない。
汚い言葉で、無邪気な子供らしい残酷さでサスケを追い詰めたりしなかった。サスケは今なら納得できる。
あの夢は過去この部屋で確かに起こったことであったと。自分がどんな風にナルトを想い、どんな気持ちで彼と一緒にいたのかを。
執着もするはずだ。当時サスケは自分が他人の声を聞けるのだと分かっていなかった。ただ父は厳格で厳しく、母は優しく、兄は穏やかで、他人は酷くうるさい存在であった。しかしその頃からサスケは自分の発言が人を困らせたり怒らせたりすることは自覚していた。人は思っていることを言い当てられて、気分を良くするということはあまりない。サスケは相手が言ったこととして答えているに過ぎないのだが、実際はそうではないことの方が多かった。相手からすれば薄気味悪い子供と思われても仕方がないと言えるだろう。
今思えば自分はとても無口な子供だったように思う。言われるだけ言われて、でも言い返すこともしない子供。何を言われても気にしない。そんなスタンスがすでに出来上がっていたように思う。
とにかく他人はうるさかった。しかし、小学部で同じクラスにいたナルトは他とは違ってうるさくなくて、だからといって暗くはなかった。笑った顔はサスケをも笑顔にさせた。こんな綺麗な人間は初めてだとサスケは思ったのだ。子供らしい無邪気さでナルトはサスケを誘った。
「一緒に行こうってばよ、サスケ」
そう言って手を差し延べて。あれほど抵抗なく誰かの手を握ったことをサスケはなかったように思う。
小さな手、握り返された手、言葉少なに隣で笑う存在。
無意識の内、サスケにとって世界でただひとりだと思わせた存在。
その頃からナルトはサスケに心の声を聞かせていなかったのだ。
サスケは痺れるような感覚とともに、眠りにつこうとしているナルトを意識してしまった。ドキドキと胸が早鐘のように打ち鳴らされる。
なぜ自分はこんなにも大切だと思っていた相手を記憶から追い出していたのだろう。いや、記憶を失くしていたわけじゃない。単に忘れていたという感覚に近いかもしれない。なぜならきっかけがあれば自分はこんなにもたやすく、記憶の扉を紐解くことができる。
サスケはだからひとつの仮説を立てる。
あんなにも大切だと思った相手。その別れは幼い自分にとって、どれほどつらいことだっただろう。ナルトに放った言葉通り、自分は死んでしまいたいと思っていたに違いない。子供特有の被害妄想に加え、執着の具合からして何となく想像できてしまった。自分は彼との別離に耐え切れず、その思い出を故意に薄れさせてしまったのではないか。
楽しく幸せな思い出があればあるほど別離はつらく悲しいものとなる。無意識の防衛本能とでも言うべきか。精神を破壊しかねないほど暴力的な感情の混濁を、自分はナルトを通して経験したことは間違いないだろうと言えた。それが彼との別れだけが原因だとは言えず、やや強引な気がしないでもないが、今のサスケにはそれくらいしか思い付くことが出来なかった。
あらためて実感する稀有な存在に、サスケの胸は高鳴り愛しさに呼吸も苦しくなる。
一度手を離れたものがまた己に戻る感動ははかりしれない。しかし、それを手放しに喜び相手に伝えるには、残念ながら今現在の自分は素直とは言えず滑らかな言葉を持ち合わせてはいなかった。
持て余し気味の感情はサスケから眠気を遠ざける。当分眠れそうになかった。
そんなサスケの心情など知るよしもないナルトは盛大な欠伸をひとつすると、おやすみと言った。

小さな寝息が聞こえてきても、サスケに眠気が訪れることはなく。それでも幸せな感情にゆられながら、朝を迎えたのだった。


ナルトのことを考えていたら眠れなくなってしまったサスケにとって、今日1日の授業は最悪と言えた。快適ともいえる少し暑さを覚える程度に設定されている空調は、ほぼ徹夜に近い状態のサスケには拷問のようなもので、気を抜けばカクリと落ちてしまいそうな頭を必死に持ちこたえていた。
そんな長い1日を乗り越え、放課後に行われる追試を待っている上手い口実も見つからず、やや不安に思いながらも家路に着いた。
そんな昨日から続いていたサスケの奮闘も、ナルトからのメールでようやく終りを迎えることができた。78点という数学が恐ろしく苦手なナルトが、大快挙といえる高得点をたたき出してくれたのだ。
『ああー!マジ助かったああぁ!サンキューなサスケ!これで夏休みはめいっぱい遊べるな!』
夏休みも当然サスケと遊ぶのだと込められたナルトのメールに、嬉しさが込み上げるのを顔に出さないようにするのが精一杯だった。それを押し隠すようにサスケもナルトへと返信をしようとボタンを押す。
しかし、待ってましたとばかりに返すのはサスケの良しとしないところなので、少し間をおいてから送信した。
『当たり前だ。ウスラトンカチ。誰が勉強みたと思ってんだ。オレはお前と違って忙しい。遊んでばっかいられるか。全国大会もあるからな』
するとすぐに携帯から流れる着メロがメールの受信を知らせる。
『全国大会~?聞いてねぇってばよ!それって剣道の試合のこと?』
『そうだ』
『練習も一日中あるわけじゃねーだろー。せっかくオレ今日頑張ったのに』
(おい、それはオレと遊ぶために、夏休みをもぎ取ったんだって言いてぇのか……?)
サスケは受信した文面を読んですぐ、なぜかいたたまれなくなってパタンと携帯を閉じた。
どうかしているとしか思えない。確かにナルトはサスケにとって特別であろう。
しかし、こんな間違いようのない真っ直ぐな好意を向けられて、自分は明らかに浮かれている。
ナルトは特別の前に、友人で幼馴染で男だ。こんな浮き立つような、目の前に迫る夏休みが待ち遠しいだなんて、そんなこと思いたくない。思いたくないけれど……。
サスケは閉じていた携帯をまた開く。何もせずともすぐにナルトのメールが画面に表示された。やはりそこにはサスケへの好意が込められた文面で占められていて、サスケは気がつけば返信のボタンを押していた。
『遊びたくった後はどうせ宿題を手伝えとか言ってくるんだろう。夏休みが始まったらまずは宿題だからな』
文章を打っていく指はよどみなく、つい読み返すこともせず送信ボタンをいつもの勝手で押してしまった。サスケは紙飛行機が飛んでいく画面を見て、一瞬だけ後悔する。咄嗟にクリアボタンを押してしまったのは、いたしかたない。きっと真っ直ぐで前向きな彼のこと、あの文面を見れば『宿題を手伝えなんて言葉は聞かないからな。遊ぶ前に宿題をしやがれウスラトンカチ』と解釈する前に『一緒に宿題をしてそれから遊ぶぞウスラトンカチ』に変換されていることだろう。
サスケは手に持つ携帯を見降ろす。画面は待ち受けに切り替わり、ふっと画面が暗くなる。省エネモードになったのだ。
そのまま閉じようとしたところで、画面がまた明るくなった。メールを受信したのだ。着メロがうるさく鳴る前に、サスケはメールを開く。
あまりに早いナルトの返信に、自分の危惧は当たったのだろうとサスケはひとつため息をついた。

「何が『数学はオレにまかせろ』だ・・・」
サスケの夏休みのスケジュールに、ナルトの宿題をみるという項目が追加されたのだった。






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