迷走飛行症候群



「てめーわざとやってるだろ!」
テーブルをバンッ!と思い切り叩いて、いきり立ったサスケが髪を振り乱さんばかりに正面に座る本日の生徒を怒鳴り付けた。
「わざとじゃねぇってばよ!」
「同じこと何回も言わせんじゃねぇ!ちっとも進まねぇじゃねぇか!もう何時だと思ってやがんだ!」
「21時37分だってばよ!んなことも分かんねぇのか、バカサスケ!」
こちらも負けじと唾を飛ばす勢いで身を乗り出したのは、望まぬ講義を受けなければならなくなったうずまきナルト。本人たっての希望であったことはどこへ行ってしまったのか、もはや彼に殊勝な態度で勉強を教えてもらうという気概はみじんこたりともありゃしない。
こういったやり取りがすでに片手では足りないくらい行われているのだ。
ナルトが問題に詰まる度、怒鳴りあいになるものだから効率が悪いったらない。
最初こそ、うんうん唸りながらサスケの言うことを聞いていたナルトだったが、段々とムカっ腹が立ってきたのか、言うことなすことにいちいち噛み付いてきた。
そうなってくると気の長い方では決してないサスケが悠長に構えていられるわけなどなく、当然のようにこの言い合いはヒートアップしていく。
何が彼の機嫌をそこまで損ねてしまったのか、サスケにはまったく検討がつかなかった。
(クソ…何でこいつの声だけ聞こえねぇんだよ!)
フーフーと猫のように興奮しているナルトを見てはサスケはそう思わずにはいられない。
分からないなりにもどこが分からないか聞いてみても、分からない箇所が分からないという。
サスケの限界をまるで計るかのようなことを言ってのけやがるのだ、このウスラトンカチは。
サスケが怒鳴りたくなるのも道理である。
だから余計に心の声が聞こえれば、と思うのだがどんなに注意深くナルトを伺ってみても、彼が音のない声を聞かせてくれることはなかった。
苛立ちがそろそろ最高潮といったところでサスケの部屋の扉が開いた。
「勉強をしてるのか、喧嘩をしてるのか分からないな、二人とも」
扉の影から現れたイタチが美しい眉をひそめて苦言する。そんな悩ましげな雰囲気を醸し出しながらも言葉ほどうるさいと思っていないことを、やはり波立ってはいない彼の心の様子から、止めに入れと母ミコトに言われて来ただろうことが伺えた。
「イタチ兄ちゃん……!」
イタチの姿を確認した途端、ナルトは今までの態度が嘘のように甘ったれた声をだす。サスケは瞬間イラっとした。
サスケが彼のことをまた『ナルト』と呼ぶようになってから、ナルトはよくこの家に来るようになっていた。その間にお互い顔を合わせる機会があって、二人はまた以前のように親しく言葉を交わしている。
どうにもちぐはぐな組み合わせなのだが、ナルトは再会を果たした後も、イタチのことを兄ちゃんと呼んでは慕っている。本来の弟よりもだ。
そしてイタチも自分にだってめったに見せない笑みなんぞを浮かべている時さえある。
それがサスケにはおもしろくなかった。
てめーは誰が目的でここに来てんだと言ってやりたくなる。
今だって上目使いで(体勢的に仕方がないのであるが、そんなことは目に入っていないらしい)イタチを見上げてすがりつかんばかりの勢いだ。ここで自分が虐めただの何だのと言い出し始めたら叩き出してやる、とサスケが苛立ちとともにそう思った矢先、
「だってサスケがぁ」
と自分のさっきまでの反抗的な態度は棚にあげて、さらに甘ったれた口調でそう言ったのだ。
「このウスラトンカチ!てめーの覚えの悪さをオレのせいにするんじゃねぇ」
「サスケの教え方が悪ぃんだろ!」
「それが人にものを頼む態度か!」
ギンと睨みつけてくるナルトに、サスケも睨みをきかせ怒鳴り返した。その時、
「この調子じゃ、一緒に風呂なんて入れさせれないな。後が混んでるのに」
やれやれとばかりに、イタチが嘆息した。やけに大げさに。
しかしその言葉は二人の口を止めるに絶大の効果があった。
「それじゃナルト君、おいで」
少し表情を和らげたイタチがナルトを呼ぶ。
「えー、今日くらい入らなくてもいいのに。勉強もまだ途中だし」
そう言いながらもナルトは立ち上がり、イタチの方へと歩いていく。サスケにはナルトがスキップでもしているように見えた。これは被害妄想だろうか。
「うちの風呂は広いからゆっくりできる。それに気持ちを落ち着かせた方が勉強も身になるだろう。入った方がいい」
無表情にも見えるイタチだが、これはかなりナルトのことを気に入っているとサスケは確信していた。だって、イタチが至極一般的でまともなことを口にしているからだ。
(そんなことはどうでもいい、何だよこの話の流れは)
知らずそわそわとしてしまう自分を、サスケは舌打ちしたい気分だった。
「サスケ。お前新しい下着くらいあるだろう?ナルト君のを用意しておいてくれ。それと寝巻もだな。行こうか、ナルト君」
「お、おい、まさか二人で入るつもりなのか……?」
愚弟の言葉にイタチは少し目を細めると、やはり抑揚のない声で言った。
「ウスラトンカチはお前だ、サスケ。飛躍しすぎだろう」
言われてサスケは顔に熱が集中してしまう。あきれた顔を残してイタチが姿を消した。
いくら互いが憎くからず思っているとはいえ、元をただせばナルトからしてイタチは友人の兄。毎日顔を合わして、プライベートでも交流を持つ自分とはやはり違うのだ。当たり前のことがすっぱ抜けていて、自分の早合点に歯噛みしそうだった。
普段からまったく心の声を聞かせないナルト、ごくたまにしか心の声を聞かせないイタチ。どうにもやりずらい。
「やーい、サスケのウスラトンカチィ」
「な…ッ!」
サスケが何かを言い返す前に無情にも扉はナルトに閉められてしまった。
「くそ…」
行儀悪くサスケは悪態をついた。廊下を歩く足音とともに二人の会話が聞こえてくる。
「…………んな広……ったら一緒に入……ってばよ、イタチ兄ちゃん」
廊下で話すナルトの声が断片的にサスケの耳に入ってきた。
(イタチと一緒に風呂に入りてぇのか?!)
サスケは見えるはずのない、二人がいる方向へと顔を向ける。凄く嫌な気分になった。
「……は、……まだ……から、また今度……う」
「えッ!!マジでッ?!あとで……の……っていい?」
リアルな会話は耳を澄ましても断片的にしか聞こえない。ただ、ナルトがひどく興奮しているだろうことが窺えた。
『……ナルト君は興味があるのか』
急にイタチの声がはっきり聞こえてサスケはぎょっとする。
どうやら、イタチも興奮するような会話になっているらしい。
『……今日はナルト君は勉強があるし、今度……そうだな。夏休みに入ったあたり誘ってみよう』
一方的なイタチの声にサスケは惑わされるな、と心の中で言い聞かせる。二人の共通点といえばゲームか何かだろう。分かっているけれど、嫌な気分は徐々に大きくなっていくようだった。
『……ああ、できたら今日にでもナルト君を部屋に連れ込んでしまいたい』
ガタンッと大きな音がした後、サスケのうめき声が続いた。間髪立ち上がろうとした瞬間、思い切りテーブルに足を打ちつけたのだ。
イタチの思うことは何となく想像のつくサスケだったが、やはり心臓にはよろしくない台詞であった。
「……くそッ。今日は徹夜だ、徹夜!」
好きな玩具を取られてたまるかという心境に近い極地で、サスケはナルトからしたらまったくもってはた迷惑なスケジュールをたてたのだった。



サスケの家は広い戸建ということもあって、例にもれることなく夏は涼しく、冬は寒い。
梅雨も過ぎてしっとりと柔らかくなった庭の土が草を茂らせ、大きな花をつけさせた。専業主婦のミコトは庭の手入れをかかさない。水をやり見目を損なう草を抜き、そうやって優しい手で手入れされるうちは邸の庭を、ナルトはとても好きだと言った。今月に入ってすぐ、梅雨の間に伸びすぎたそれらの為に剪定も終えていて、鬱蒼と繁っているように見えていた木々の枝も今はすっきりとし、どことなく涼しげだ。
タオルを首にかけ、髪から滴るしずくを拭う。庭を望める廊下を通り過ぎ、階段を上がった。
階段の比較的近い位置に部屋をもらっているサスケの部屋は、比較的中の声が通りやすい。「解けたってばよ!」というナルトの声がなるほど、よく聞こえた。
どうやらサスケが風呂に入っている間、ナルトはイタチに勉強を教わっていたらしい。
だからお前は誰を頼ってここに来たんだ、という苛立ちが一瞬あがったのだけれど、
「やればできるのに、さっきは何であんな風に喧嘩になったりしたんだ」
そんなイタチの声が聞こえて、手荒に扉を開けようとしていた手が止まった。まさにサスケが知りたくて仕方のなかったことを、イタチはずばりとナルトに聞いている。
「別に……オレが分からねぇからサスケも怒って、オレもなんか苛立っちゃって……」
「サスケに何か言われたんだな」
イタチの声はナルトの声よりずいぶん低く、聞き取りずらかった。
「イタチ兄ちゃん……」
そこで言葉を詰まらせたら、自分が本当に何かをナルトに言ったみたいではないか、とサスケは憤る。しかし普段から何を考えてるか自分には聞かせてくれないナルトが、イタチには彼の心内を言うかもしれないと思うと、ついサスケはドアに耳を貼り付けてしまうのだった。
(今までこんな苦労したことねぇよ……)
己のやっていることを振り返ると、非常に情けなくもあったが、どうしても知りたいという気持ちが先に行く。
今日のナルトはあから様に機嫌が悪かった。この家に来た時はそうでもなかったと、サスケは記憶している。ここに来てから、さらにはサスケの部屋でとなると、原因は自分でしかない。
「オレ……今回すげぇ点数悪くって。それで追試も受けなきゃなんなくなっちまって」
「それでサスケがナルト君の勉強をみると言い出したのか」
「ううん。オレがサスケに頼み込んだんだってばよ。だって今度の追試の点数悪かったら夏休み補習受けさせられちまうんだ。絶対ぇやだし。んでサスケはとりあえず今回のテスト結果見せろって言ってきて、それ見てどこから始めるか決めるからって。だから見せたんだってばよ。そしたらさー、あいついきなりキレやがって」
もーだとかうーだとかナルトの唸り声がする。どうやら思い出してまたムカついているらしい。確かにあまりの点数とその回答に、サスケは目眩がしたのだ。
「あいつ何て言ったと思う?そりゃすげぇ点数悪い自覚はあったってばよ?オレ本当数学だけは苦手で。でもさーイタチ兄ちゃん、あいつオレにさ『よくこんな点数でここに入れたな』って言うんだってばよ。、まぁそれはいいんだけど、本当のことだし。でも『入ったら大変なの分かってるくせに、何でここ受けたんだドベ』って。自分のレベルにあったとこにしときゃ良かったんだって……」
サスケは息をのむ。怒りにまかせてそんなことをナルトに言った自覚があった。
でも、それはいつもの言い合いというか、そんな深い意味で言ったわけではない。
「オレさー、確かに入った後のことってあんま考えてなかったんだけど、でも必死で勉強してここ受けたんだ。こっち戻ってこれるってなった時、絶対ぇここの中学って決めてた。私立でお金かかっちまうし、試験は受けねぇとなんなかったけど。結構手続きも難しかったみたいなんだ。そうやってやっと入れたとこなのに、あいつってばんなこと言うから……。なんで木葉学園受けたのかって、責めるみたいにあいつに言われたら、すっげぇムカついたってのと、悲しくなっちまって。だってオレがここ受けるって決めたサスケからんなこと言われちまったら……」
気弱なナルトの声。そんなの、始めて聞いた。
サスケの胸が締め付けられる。それと同時に込み上げてくるのは優越感にも似たくすぐったさだった。今までの重苦しい気分が一気に軽くなる。
「許してやってくれ。本気でそんなことは思ってないんだ」
まさに、自分の心情を代弁してくれたイタチに、サスケは以外に思いながらも少し感謝した。しかし、あんなナルトの告白を聞いてしまった今、どんな顔をして部屋に入ればいいのだろう。そんなことを考えいたら、後ろから声がかかった。
「あら、サスケ。部屋には入らないの?」
冷たいお茶を2つのせた盆をもったミコトが後ろに立っている。その瞬間、サスケは体をびくりとさせた。
「ちょうど良かったわ、そこ開けてちょうだい」
ミコトはイタチの母らしく、美しい顔でそう言ったのだった。






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