†††双乱、黎明を告げる†††



荒々しく押さえ付けるその手は記憶していたものより幾分大きくあって。
耳元で囁く骨をも蕩かすその声音や、紡がれる雑言はしかし変わりなく。
ただそれらは残酷にも甘ささえ含み、己の解する範囲を越えた痛みに絶望すら感じさせて、思わず、
「殺せよ……!」
と零れた言葉が唇ごと、ヤツの唇に塞がれた。
体中を這い回るそれこそ指先から髪の先まで、ねっとりとした舌と吸い付くような掌の感触がこびりついている。
「殺す価値もない」
無下に返された言葉に異種の、しかし痛烈でもある衝撃に息が止まった。
うがたれる楔により与えられる微かな快感を手繰り寄せようとして、前に回された手に殺意を覚えた。
意に反して従順に成り下がる己の体が焼け付くほどに口惜しく、いっそ声をあげて名を呼んで、鳴いてしまえればと思いはすれ、しかし限界まで制した自身を解放などするものかと意を決したとき。
首筋に走った鋭い痛みに反対に噛み殺されるのではと意識が向いた。
なのに。
「ああああぁ………!」
歯を突き立てられた痛みと意識までさらわれそうな快感が、爆ぜてぬめる下肢さえも意識に入らせぬようで、それでも壊さんばかりに突き上げ続ける律動に気が狂った。

ソノ狂気ニ満チタ暁ノ瞳ニ引キズラレル

引きずられるんだ



ヒュンヒュンと耳元で鳴る風の音が高速の回転を掌で受ける圧迫よりも余ほど現実を強く意識させる。恐怖を増長させるのは視覚よりも聴覚であると思う瞬間だ。
触れれば一瞬で肉を切り骨をも砕く威力を秘めた見慣れた碧い球体にナルトは意識を集中させる。
何がなんでも完成させなければならない。道理は分かっているのだ。できないわけがない。
ナルトはもう一人の自分が加える力を掌に感じて微調整をしながら、そこに己の属性である風の力を送り込もうとした。もう何度となくここで失敗をしている。
螺旋丸を形勢するにあたってお互いがチャクラの分量をその微妙な加減でもって成しているのだ。高速に回転するその渦の中に風の力を入れ込むのは至難の技だった。螺旋丸の調整だけでも相当の集中力を使うというのに。
余裕がなさすぎる。
そう思った瞬間、球を描いていた掌の超出力圧縮物体は生き物のようにその身をくねらせ、その力の断片を四方にばら蒔きながら消失した。そのあおりを受けてもう一人の自分も周りの影分身たちもぼふんと音を立てて消え失せる。
「クソ……!」
知らず付いて出た悪態はそのままに、間も置かずにまた分身を作り出した。
休むわけにはいかない。距離を置いた場所で自分を伺う二つの存在を強く意識した。自分を信じて託してくれた師と、自分よりも忍耐体力ともに浪費するであろう暴走した自分を押さえるという大役をしてくれている上司のために、何より自分のために。
それがサスケへと続く確かな道であると強く信じて。
右手にチャクラを集め円を描くイメージから渦巻くイメージへ、滑らかに流れるような動きが徐々に立体へと形成するイメージを薄い膜で覆うようにさらに重ねた。ここまでは慣れた行程だ。ぶつかり合うチャクラが反発して弾けようとする力をもう一人の自分が調整し、掌の上に在る小さな世界の均衡を作り上げる。
(クソ……!)
流れと、勢いがきつ過ぎてブレる針の穴のような隙間にまた別種の力を通すだなんて不可能だ。さらに風のチャクラまでもその針穴に双方から通せるよう細く鋭く仕上げなければならない。そうしないと入り込めない。しかしそこまで意識が届かなのだ。
まるで右を見ながら左を見ようとする無謀な所行でしかないように思えてならない。
それでも!
ナルトはさらに意識を集中する。どこかに無である場所、つまりは中心はあるはずなのだ。その空間を捜し出す!そう思ったとき。
無防備な。
チャクラの動きだけを追っていた。まさに空白の意識の中にそれは突然、襲いかかってきたのだ。
「うあ……ぁ、うあああああぁ……!」
次々に流れ込んでくる記憶の奔流に感情が付いていかない。一瞬自分の身に何が起こったのか分からなかった。
明滅する赤と黒の光が張り裂けよとばかりに心臓を直撃する。狂ったように打ち付ける鼓動に、苦しさのあまりあいた手で胸元を掻きむしった。
風の音も消え己のドクンドクンという心臓が脈打つ音だけが耳につく。膝が崩れ乱れる呼吸の苦しさの中、前のめりになる体をとっさに地に両手を付いた時、一人残して追跡させた己の存在を思い出した。
到底諦めきれるものではなかったから、見つかってすぐに消されてしまってもかまわないと、あの再会の日からサスケを追わせていた。
この気も狂わんばかりの感情はサスケと対峙した影分身。すなわち自分自身のもの。
ナルトの瞳が禍々しい赤に変わる。瞳孔が縦に延びた様は野生の肉食獣を連想させた。
妖狐の衣がナルトの体をあたかも守るようにゆらりと現れ、地に着いたそれらは削り取るようにして大地を円形にえぐった。
「あ、あ……サスケ……ッ」
感情のままに流れ出る九尾の力を押さえようなど、欠片すら意識にありはしない。獣の咆哮のような唸り声を上げながらナルトは地面に両手を付いたまま絶叫した。
どれほどの屈辱!
どれほどの怒り!
突如投げ付けられた生々しい感情の伴った映像と音の乱舞が一瞬で脳裡に焼き付いた。
サスケの手が、髪が、唇が、彼の意志を持ってしてこの身に触れたのだ。
通常では有り得ない形の交わり方で。切っ先鋭い刀身のような鋭さで射ぬく瞳は三つの巴を現し自分を見下ろしていた。
ぐらぐらと煮えたぎるような激情の中、もう自分が今まで何をしていたかなんて分からない。
ナルトの纏う妖狐の衣が大きくたわみ、波打つようにして一本、また一本と尾を増やしていった。その度に膨れ上がる負の感情に。
見失う、
自分を。
視界が赤一色に染まった。
ぴりぴりとめくれ上がる皮膚の痛みも、地を掻いた爪から流れる血の赤も何の意味もありはしない。
刻み付けられた跡だけが、意識を占める。撫でるように、切りつけるように触れてきたサスケは血を吐くように苦しげに、自分を友ではないと繰り返した。
だから殺す価値などもうないのだと。
すぐ近くで、背後で、幾度と自分の暴走を止めてくれたチャクラを感じた。それを最後にナルトは完全に意識を失った。



薄ぐらい空間の中異様な空気が渦巻いていた。外気は一切遮断され今が朝であるのか夜であるのかも判然としないここは、大蛇丸が作り上げたアジトのひとつであり、その中でも余分な装飾など見当たらない彼のいる空間はドーム状の形をしていながら歪んで見えた。殺気に満ちた空気の密度が濃いのだろう。
「今日は集中力が欠けているみたいだったわねぇ。サスケ君」
能面のような顔にわざとらしく柳眉を潜めて、大蛇丸は切れ長の目を細める。背を見せるようにたたずむサスケは殺気立った様子を隠しもせずギロリと大蛇丸を見返した。
「何かあったようだけど、今は聞かないでおいてあげるわ。でも」
ふふふと妖艶に笑んで見せると大蛇丸は音もなくサスケに近づく。
「体に傷は付けて欲しくないわねぇ」
しゅるりと何処ともなく現れた数匹の蛇がサスケの袖に入り込んだ。ほどなくして下ろされていた腕から蛇と共に籠手がボトリと落ちる。大蛇丸はサスケの手をすくい取ると、
「どれだけ殴ればこうなるのかしら」
ダラリと伸びた蛇のような舌で、皮膚がめくれ白い骨まで見えかけているサスケの拳をねっとりと嘗めあげた。ぴくりとサスケの眉が動く。
「次からは気をつけてちょうだい」
大蛇丸は飽きた玩具のようにその手を放すと、出口の方へと向かった。
「カブト。サスケ君の手当をしなさい。絶対に跡が残らないようにするのよ」
そう言い残して大蛇丸は姿を消した。
「それじゃあサスケ君。こっちへ来てくれるかい?」
隅に控えていたカブトがいつもの飄々とした口調で声をかける。サスケはそれをチラリとも視線をやらず出口へ足を向けた。
「君も相変わらずだね。手当をさせてくれないと僕が大蛇丸様に殺される」
続く言葉にも背を向けるサスケの態度に、カブトはやれやれとわざとらしく肩をあげてみせた。
「さっき大蛇丸様に舐められたとき毒をもらっただろう。早目に毒抜きをしておかないと明日起きれないよ。それくらい分からない君じゃないだろう?それに明日は新術の修業らしいから、君も万全の状態の方がいいんじゃないのかい」
サスケは小さく舌打ちすると歩みを止めた。カブトはサスケに近づくと忍具入れから二つの小瓶と包帯を取り出し、床に座り込んだ。
「座って」
そう促されて逡巡した後、彼らしくない大仰な仕種で片手を床に付けると胡座を組んだ。
「右手だけかい?」
「ああ」
サスケは短くそう答えると、これ以上話すことはないとばかりに視線をカブトから外す。
サスケはこの得体の知れない大蛇丸の腹心を毛嫌いしていた。大蛇丸の元に身を寄せてから随分と経つが、 目の前の腹奥の知れない男は、己の信念や目的といったものを明かしたことがない。今までに七回も中忍試験を受けた過去のあるカブトはそれだけでただ者ではないとサスケに思わせる。
これだけ忍としての素質を持ちながら、多くの試験官の目を欺いて来たのだ。わざとらしい失態や敗北は即刻試験官に疑いの目を向けられそこで終わりだ。
手早く小瓶の中身を塗布したカブトは次に青白い光を発光させた掌をサスケの傷口にかざした。ほどなくして高速度撮影の映像のような早さでピンク色の肉が骨を覆い、皮膚が再生される頃には、見る間に傷口が塞がっていた。
(たいした医療忍術だぜ)
サスケは己の拳を見つめながら声には出さず悪態を付く。
「人を、殺してきたのかい?」
顔は上げずカブトはそうサスケに問いかけた。身動きひとつせずその言葉を流す。
何もかも知っているとでも言いた気なカブトの言い回しに、それでもサスケは一切の感情を表さなかった。
「そんな顔をしている。冷静そうに見えて案外君は感情が表に出るからね。特に彼等と顔を合わせてからは見るにたえない。大蛇丸様を失望させないようにしてくれないと」
彼等という言葉を強調して、かざした手はそのままにサスケの顔を覗き込むと、カブトは喜々として口を開く。
「そうそう、前のアジトに彼らがたどり着く前にね、大蛇丸様と一戦交える機会ががあったんだけど、彼らは異常だね。特にナルト君の方は。君の名前を聞くだけで化け物になるんだから」
ちょっと見物だったよ、と続けたカブトにサスケは一瞥すると音もなく立ち上がった。そのまま出て行こうとする彼の背中を見据え、カブトは構わず話しかける。
「怒らせてしまったかな。元仲間とやらははそんなに大事かい?君は大蛇丸様の器になってまで力が欲しいんだろう?うちはイタチを殺すために。なのにナルト君一人殺せないなんて。理解に苦しむな。君の一族の事は随分調べさせてもらったよ。『もっとも親しい友を殺す』これで一気に飛躍する力を得られるんだってね。なのに君はそうしない。このままここにいれば、君は大きな力を得る事ができるかもしれない。うちはイタチを殺すことができるほどの力を。その命と引き換えにね。でもなぜなんだろう、僕には君が理解できないよ。僕だったら迷わずナルト君を殺して力を得る方を選ぶね。だって自分の命が一番大事じゃないか」
君は自分の命より、彼の命を選ぶんだろうか?
サスケは投げかける問いには答えず、「黙れ」とだけ吐き捨てるように言った。


呪われた血が幾ら力を求めても


秘めた力を解放するため『殺せ』と幾度その血がささやこうと


狂乱の渦の中でもおまえだけは『殺さない』





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