†††双乱、黎明を告げる†††



「逃がさねぇってばよ、サスケ」
吐息さえ感じとれそうな距離でそいつは凄んだ。
(なんて目ぇしてやがんだ)
サスケは自分よりやや下にある蒼色鮮やかなナルトの瞳から目を離せず、しかしそんなもの、と意識の外に半ば無理矢理追い出すようにして己の目に意識を向けた。
今までの数百倍の情報を読み取る己の瞳が、つかみかかる男が今度は本体であることを知らせる。サスケは感情たぎらせた炎の塊のようなナルトを何の感慨もなく見下ろした。
首筋に微かに触れるクナイの存在も、逃がすものかと耳横に付かれた手も、今の自分を揺さぶることはなかった。
そうして、相手の見て取れる感情が高ぶるほど、自分の感情とも呼べないようなひとつの思考は鋭さを増すのだ。
なぜならあの時『殺した』
己の命をとしてまでと覚悟し暗く茂る道を選んで、貫き通すために奪わなければならなかったその命ひとつどうすることもできないのなら、己の中から跡形もなく消し去ってしまえと。
煩わしくも追ってくる事がないように、それを断固とした意志でもって此処に触れさせないように、自分の中からも奴の中からも互いの存在を。
『殺した』のだ。
今自分の頸動脈を狙うクナイよりも鋭く深く、この男を自分は傷付け貫いたはず。なのに、
(相変わらず甘い)
サスケは服の上から見て取れる微かな筋肉の動きで彼が腕を振り上げようか迷っていることが分かった。
「殴らねぇのか」
サスケは眉ひとつ動かすことなく、高慢にも聞こえる声音でそうナルトに問いかけた。
「オレに殴られるような事をしたって自覚はあるみてぇだな、サスケ」
記憶しているよりも低くある声が少しの違和感もなくサスケの耳に入る。
あの時自分の体の下から聞こえた掠れた男の声が己の知る声とどうにも違い過ぎたから、今こうやって仇のように唸る声はいっそ共に過ごしたあの頃へとたやすく記憶を引き戻すようで、こちらの方が耳に慣れているとさえ思えた。
「殴りたそうなツラしてたからな。殴れよ、ナルト。それで気がすんだらもうオレの前に姿を現すんじゃねぇ、目障りだ」
ぐっとナルトは息をつめ外套をつかむ手に力が入った。
「オレはおまえを連れて帰るまで何度だってサスケの前に現れてやるってばよ……。それでおまえに何を言われたって何をされたってオレの気持ちは変わらねぇ!」
魂を削り取るようなナルトの訴えにも、硬質な紅い瞳は見下したように細められただけだった。
「何とか言えよサスケェ!」
「くだらねぇ……」
「!」
「変わらねぇ気持ちだと?笑わせるな。昨日まで笑って話してた奴が次の日にはその手を親しい者達の血で染めるんだ。愛しい者の命を奪おうとすんだよ。てめーもくだらねぇことしてねぇで、おまえはおまえの道に戻れ。オレはてめーの救いなんざ求めてねぇ」
『仲間一人救えねぇ』と言った。
いつから仲間になった。これでも仲間と言えるか。
今必要なのは絶対的な力。求めるは何をも捩伏せる強靭な精神。
傲慢に言い放った男の顔はどこまでも表情は無く、ただ声を発するために口許が動くだけだった。
「そのくだらねぇことに命かけてんのはサスケだろ!だからそのおまえを連れ戻そうとしてるオレだって命をかけるんだってばよ!オレの道はおまえとともにある!だからオレはおまえの命を守るんだってばよ!復讐のために命削って前へ進もうとするおまえをどうやったって引き止める!そのためだったらっ……!」
サスケは今だきつく外套をつかまれていたナルトの手首に触れた。ぐっとその手に力を込めてそのまま勢いよく下に引き、素早く刺さったクナイを左手で引き抜くと逆手に引かれた反動でサスケの胸に背を付けたナルトの首元にそれを突き付けた。
右腕を己の背中へと回され抵抗を抑えつけられる鮮やかな攻守逆転の展開にナルトの体が一瞬強張る。
「相変わらず甘いな。よく今まで命があったものだと感心する」
サスケは背後を取った状態で素早くナルトを木に押さえ付けた。
「ぐっ……!」
あからさまにびくりと体を震わせたナルトに、サスケはクツクツと喉を鳴らすように笑った。
いくら連れ戻すのだと、仲間を救うのだと鼻息荒くしようと、刻み込まれた記憶はそう簡単に消えはしない。ナルトの体ははっきりと自分を拒絶し、それ以上近づくなと叫ぶのだ。
「思い知ったはずだナルト。オレに近付けばどうなるか。それともまた同じことをされたいか?」
わざとナルトの耳元に唇を寄せ、意識して低めた声を一言も聞き逃すことは許さないとばかりに捩じ込むようにささやいた。
木とサスケの体に挟まれた窮屈な状態でそれを振り払うようにナルトは声を上げる。
「できるもんならやってみろってばよ!さっきも言っただろ、おまえに何を言われたって何をされたってオレの気持ちは変わねぇって!サスケが何が何でもイタチを追うように、オレもサスケを追うんだってばよ!だからおまえがいくらオレを遠ざけようとしたって無駄なんだ!それでもまだ切り捨てようとするんだったらやればいいだろ!この状態でできるもんなら……!」
サスケはナルトと対峙して初めて表情を動かした。それは一瞬目を見開く程度の微々たるものであったが、良くできた人形のようであった先ほどまでの彼を思えばようやく見えた人間らしい仕草だった。
もちろん押さえ付けられたナルトからは見えないサスケの変化であったが、彼はそんな事などお構いなしに更に言葉を続ける。
「サスケに会う前にイタチに会ったってばよ。その時初めて幻術を使われた。サスケと融合する幻術で生々しくてぬるくて、オレ達はひとつだった」
(イタチ……!)
ナルトが発した『イタチ』という名前にサスケはぎりりと彼の腕をつかむ手に力を込めた。くっ、とナルトが呻く。しかし、サスケの反応に苦悶の表情を浮かべながらもナルトはにやりと口許を歪めた。
「万華鏡写輪眼っていうんだってなっ……。ありえねぇ、融合だなんて。でも……ほんの一瞬だったけど、よっぽど現実味があったってばよ……。もし、 オレがイタチに幻術をかけられてなかったら、サスケがオレの影分身に見せた記憶を本当だとあのまま思い込んでたかもしれねぇ、でも残念だったなサスケ。おまえの幻術はイタチほどじゃなか……った。冷静に……考えればあれだけの時間おまえと一緒にいたのに、時間にしたら一分もたってねぇ。幻術を知らなかったら、そんな事にも気付かなかったかもしれねぇけど」
もう、騙されねぇ……、とナルトは低く苦痛をこらえる声音で、後ろで己を拘束するサスケに言った。押しつけられた体をわななかせ一歩も引く気のないナルトの態度が、サスケの表情を変えさせる。
「幻術だったから何だ。だからオレがおまえに何もできないとでも?それこそこのクナイが少し傾くだけでてめーの命なんざ簡単に奪える」
ひたとナルトの首筋に冷たい鉄の感触がした。サスケのクナイを握る左手に力が込められる。このクナイを引くだけ。それだけでこの体からは真っ赤な血飛沫が舞い、決定的な決別と何をも恐れぬ力が手に入る。
決定的……?
そう断定できるものなのか。その魂魄は彷徨いはしないか。
果たして、『友』であると認識することをすでに止めてしまった今もまだ、呪いのような血の束縛は有効か。
しかし、己の目にこの金色が映るたび、内情で『殺せ』としつこくもささやき続ける意志を感じるから、解放しろと煩くもあおるから、
その命には今だこの血脈にとって価値あるものなのだろう。
ならばナルトに付きまとって離さないのはやはりこの身であるということ。
動きを封じるため背中に回した彼の腕を知らずつかみ上げていた。捻られた痛みでナルトが小さく声を漏らしたのが聞こえる。
彼の性格からこの状態であったとしても無理矢理首を巡らし自分を睨み付けようとするはずで。しかし、頑として振り向かないところから幻術をかけられることを危惧しているのだろう。
「サスケ、何でおまえはオレを突き放そうとするんだ……!イタチに復讐するために、暁に対抗するためにセル組んで行動してんだろ?何でオレ達じゃ駄目なんだっ……!何でオレじゃサスケの力になれねぇんだってばよ……!」
ナルトはいよいよ骨の軋む痛みに顔を歪めながら、それでも痛みを上回る激情に溢れる言葉をやめることはしなかった。
サスケはそのナルトの感情に引きづられる様に、あの時捨て去ったはずの情動の断片を振り返ってしまう。

なぜかって?なぜおまえを選ばないかだって?
選んでいるからだろう……!この血がおまえを選ぶから……!
『殺せ』と、
力を手にするために、その命を己のものとしろと、耳鳴りのように繰り返すから。狂ったように復讐という絶望の深淵から延びる触手が絡み付いて離れないから。
だからおまえを突き放す……!
おまえ以外なら誰でもいい。女のように抱いた記憶を己に植え付けてみても、友ではないといくら声高に繰り返してみても、その呪われた声は止むことはなく、今もなおその血を肉を求めるから。
ならば、おまえの中に今だ奇麗に在り続ける『サスケ』という存在を消し去ってしまって、諦めさせるしか、もうおまえをこの手から守りきる方法はないではないか。
なのにおまえは、歪むことなく真っ直ぐに。己の道を此処にと定めて揺るがないのだ。

「バカが……!」
それは己に向けて吐き捨てたのか、それとも視界を占める金色に向けての言葉であったのか。それに続く様にしてサスケの手から離れたクナイが地面にぶつかり乾いた音をたてた。
「さ……!」
つかみ上げていた手も離し、自分を求めることをやめようとしない元セル仲間にその両腕を回した。唐突なサスケの行為に驚き、ナルトは小さく息をのむ。
荒々しく奪うわけではなく、傷を付け苦しめるためでもなく、サスケは金色の髪に額を擦り付けると、一度ナルトを抱く腕に力を込めた。
「サスケ……!」
たまらず声を上げたナルトは、緩められた腕はそのままにとっさに振り返る。
曲線が縁取る蒼色の瞳はやはり真っ直ぐサスケをを見据え、しかし彼の血色の瞳が渦を巻く様に閃いたのを見とめた瞬間、しまった、とナルトの瞳は大きく見開かれた。急速に狭まる瞳孔が鮮やかな色彩を持つはずの瞳を無機質なものへと変えてゆく。
「嫌だ……サスケ……!・……おまえ……死……ぬつも、り……じゃ…………」
ガクンと膝がくずおれたナルトを抱きとめたサスケは、固く目を閉ざしたナルトを見下ろした。
必死で訴えるナルトの言葉は黙殺する。さらりと頬にかかった彼の髪はどこか現実味がなくて、相手にかけたはずの幻術がまるで己に返ったようだと、半ば空言のように思った。
死ぬつもりはない。
ただ、死ぬ覚悟があるだけだ。
「おまえは生きろ……」
 今まで何度思ったか分からないほど願った言葉を口にする。いつでも自分が最後に思うことは、どうあっても変わらないようだった。
サスケは木の根元にナルトを横たえると、迷うことなくその場を後にした。すぐに幻術から覚めるだろうナルトからできるだけ距離を稼がねばならなかった。
(もうすぐ終わる)
サスケは己の復讐劇が終焉に向かいつつあることを実感していた。その結果に至るは判然とはしないが、どちらかの命が尽きる事はまぬがれないことと知れている。
それが終わらない限り自分は力を欲っし、自ずとこの血はナルトを求め続けるのだろう。

今はまだ目を閉じ、彼が愛した頃の風景を映している一瞬が、どうかこれから自分の身に起こるだろう結末の救いとなるよう祈らずにはおれない。
しかし、と
サスケは目指す端然と構えられた要塞にも見える目的の地へと己の意思を定め、もう振り返ることはせずただひたすらに真っ直ぐ突き進むのだった。



すべてに決着がつきサスケがナルトとともに里に戻るのは、これから半年後のことだった。





END



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