指針の軸、氷の棺



チラチラと明滅する無数の光。視界の隅に不規則な調子で映るそれが、横たわる彼の鼓動であるのだと無意識下で思う。
カプセル状の冷却装置に寝かされた体から無数に伸びる細い管が、ぐるりと囲むように設置してある機器に繋がれ、深く眠る彼はあたかも蜘蛛の巣に捕われた蝶のように見えた。
かたく閉じられたまぶたが震えることもない。
本来よく動く唇がほころぶこともない。
静かに見下ろすサスケに、笑いかけその声を聞かせることも今は何も……。
「ナルト……」

手は尽くした。やれるだけのことはやった。
えぐり取られたおまえの心臓の変わりに、そこに何を詰め込めば満足してくれる?
おまえのための心臓を何十用意したら、その青い瞳を開いてくれる?
何百用意したらこの名を呼んでくれる………?
ナルト……。
もうこの方法でしか、オレはおまえを殺し救うことができない。


微かな気配を感じて、サスケは忍具の手入れを止めた。
これから出ようという時にやっかいな客なら勘弁して欲しいというのが正直なところ。
本日十月十日。
過去にこの里で起こった最大の災害。しかし、それがほんの赤ん坊の頃の話となれば、死者の数がいくら膨大であろうと所詮はサスケにとって過去のことであり、毎年この日行われる鎮魂の儀も他人事だ。これから家を出るのも十八回目であるそれに参列するわけでもなく、あるひとつの約束を果たしに行くため。
(ウスラトンカチがまた馬鹿なことを言い出したもんだ)
数日前、唐突にもサスケはナルトから、今日が誕生日であることを知らされた。もちろんそれはサスケも知るところであったので、約束をするのに否はなかった。
ナルトにたいして並々ならぬ執着を持っていたサスケが、半ば己の左目を犠牲にしてまで彼の傍を望み、それに応えたナルトと実情恋人となったのは半年前のこと。
常日頃から恋人と呼ぶには甘さにかけていたナルトだったが、その己の記念すべき日に要求してきたそれはいつにも増してそれが酷く、しかしあまりにもらしくて呆れながらもサスケは頷いてしまっていた。
―――勝負しようぜ、サスケ!
誕生日に望むものが自分との勝負だなんて、変わっているにもほどがある。馬鹿馬鹿しいと哂いながらも、心はやはり高揚した。
―――てめーの誕生日だからって勝ちまではやらねぇからな。
気がつけばそうまんざら冗談でもないような口上で返していた。
その時ナルトが何と答えたかまでは覚えていなかったけれど、ふてぶてしくも不敵な笑みを自分に見せたのだった。
サスケが里に戻ってきて初めて迎える誕生日にナルトはそれを望んだ。本当にまったくもって色気の欠片もない。しかし結局はそれに応と返した自分もたいして彼と変わりはないのだろう。
時間にはまだ早い。迎えに来たとも思えず、サスケは手早く忍具をホルスターにしまい装着した。普段であれば、抜忍の監視の者かと捨て置くのだが、どこか馴染みのあるその気配に音もなく立ち上がる。足音を忍ばせ縁側へと向った。
嫌な予感がする。危機感というよりは、嫌悪であるとか、不快という感覚に近い。
暗い廊下を抜け、サスケは縁側から庭を見下ろした。
均整の取れたシルエット。探すまでもなくその影はサスケを待っていたかのようにたたずんでいた。
その名の通り闇がよく似合う出で立ちでもって。
「暗部がオレに何の用だ」
監視とは違う、隠れる気のまったくない様子にサスケは不機嫌もあらわにそう言った。
狐の面をつけた暗部の男は身動きもせず、じっとサスケを伺っている。ただ面をとめる赤い組紐と闇に溶ける黒髪だけがゆるやかに波うった。その時、
まさに静の中にあった男がその瞬間色を変える。サスケはゾッとした。全身の毛が逆立つ感覚。真正面から向けられた寒々しい殺気にも似た気配に、ほんの一瞬飲み込まれた。
今までに感じたことのない強烈な違和感。そう違和感だ。
「おまえ…何者だ……?」
サスケは答える声はないとどこかで確信していながらも、そう問いかけずにはおれなかった。


男は人知れず夜の森へと入っていった。見上げた月がだいぶ傾いていて約束の時間をすでに過ぎていることを知る。潅木の枝を蹴り直線距離を急いだ。
(覚悟を、決めろ)
駆ける足取りはよどみなく前へと進む。それとはうらはらに男は何度もそう己に言い聞かせていた。
今自分を突き動かすのは狂気じみた彼に対する執着だ。
(必ず取り戻す)
たった一人の家族。たった一人の恋人。唯一すべての関係を望んだ相手。何よりも誰よりも自分の命よりも大切な……。
―――見ててほしいんだ。ずっと、おまえに。
ようやく手に入れたあの時の彼の言葉が脳裏をよぎる。
―――残りの眼を……オレにくれってばよ……。
(オレの眼くらいいくらでもくれてやる。おまえを映せなくなるのならこんなものいらない)
冷たい頬、閉じられた瞼、繋ぎとめられた体。
すべてが夢だったらと、早くこの悪夢が覚めて、あの朝に帰りたい。ぬくもりを分け与えるように、抱き合って眠り目覚めていたあの朝に。
(おまえを救うためにならオレは何だってやってやる)


サスケが決意をしたのは、ナルトの中に埋め込まれた三つ目の人工心臓にまで拒絶反応が出たと報告を聞いた時だった。
何が原因しているかが分からない。
ただ、彼が他と違うという点を上げるならば、その身には九尾が共存しているということくらいで。
安定すれば目覚めさせる予定だった。しかしナルトに合うと思われる心臓のない今、人工心肺装置でどうにか延命させているような状態であった。
サスケには絶望している暇などなかった。次なる行動を起こさねばならなかった。
あるひとつの方法が思い浮かんだ時、サスケはその禁忌とも思える己の感情を無理やり押さえ込んでいた。
常軌を逸っしているそれはこの世で循環する生命の輪を乱すことであり、何より最愛とも言える者の命を奪うことでもあるのだ。しかし状況が悪化し、それにともない少しずつ、だが確実にサスケの精神はゆがみを生じ始めていた。
なぜなら、ナルトがいない。
この身を抱きしめる腕も、時に甘く揺れる青い瞳も、この胸に響くその声も。サスケを止めるナルトがいない。だからサスケは決意する。
これは狂気。知情意は脆くも崩れ去った。あとは、そう。禁忌の術を用いて過去に降りるだけ。
己の力で強く鼓動を打ち付けているナルトの心臓を持っている彼を殺すために。





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