指針の軸、氷の棺



あの日、滝隠れの里で七尾が暴走したことをサスケは水の国で聞いた。嫌な予感がしていたのだ。
滝隠れの里はほぼ壊滅状態、昔の木葉の里よりも凄惨な状況であることが伺えた。なぜなら木葉には四代目がいた。今なお英雄と謳われる彼は木葉の全忍の憧れ、その名は国をも越えるほど。
七尾が正気に戻らねば、被害は国中に広がるだろう。滝隠れの里は火の国の隣国でもある。
(はやまるなよ)
サスケは今までにない焦躁を感じながら、胸中で繰り返しそう唱えていた。
別に彼の強さを疑っているわけではない。今では上手く九尾とも共存し、その膨大な力もコントロール出来ている。これほど頼もしい火影はいないだろう。ただ、
(確か七尾は人柱力)
サスケは己の記憶が外れていることを願わずにはおれなかった。確かにナルトは強い。それはもう四代目を越えているのではないかと思われるほどに。しかし彼は優し過ぎるのだ。
人として美徳であるそれが、いざ戦場となれば邪魔な感情でしかない。味方に対してのそれならばまだ強みにもなるだろう。しかし現火影は打ち負かさねばならない相手にさえ情けを与える男なのだ。
それが自分と同じ境遇の人柱力が尾獣の力を暴走させているとなれば、矢も盾もたまらず飛び出して行くだろうことが安易に想像できた。そんな相手にあのナルトが非情になれるとはサスケには到底思えない。
(せめてオレが帰るまで……)
サスケは悲痛な思いで任務を終え、ニ晩休まず駆け通し、単独木葉の里へと舞い戻った。七尾の噂は木葉を揺るがせてはいたものの、まだ里事態に影響はないようで、しかしサスケは気を緩めることなく真っ先に火影執務室へと急ぐ。
声をかける顔なじみにも手を上げるにとどめ、見上げた部屋に階段を駆ける手間も惜しいと手近な木に飛び上がった。一気にそこから数手で目的の窓まで駆け上がる。
不侵入者の体で風とともに滑り込んだサスケを迎えたのは、渋い顔をした参謀本部作戦戦術部隊参謀長奈良シカマルだった。
「火影は……!」
呼吸も収まらぬうちに部屋の主の所在を問うてきたサスケに、シカマルはいつもの飄々とした様子でそれに答える。
「察しはついてんだろーがよ」
「クソッ……!」
予期していたにしろ、己の望まぬ方へと向かう事態にサスケは毒付く。
「なぜ行かせた!」
怒気を含ませサスケはシカマルを責めたてた。
「止められると思ってんのか」
「それでもおまえは参謀として止めるべきだった。あいつは火影だ……。この里の……!」
「オレにそんな権限あるかよ。それに相手は尾獣だ。他に適任者がいるか?しかも滝隠れはうちで中忍試験も受ける同盟中の里でもある」
まぁ、そんなものは建前だけどな。とようやく見せたシカマルの沈鬱な表情に、サスケも口をつぐむ。友人としてなら止めたと、暗に言うシカマルを無言で見やった。
自分同様、昔時の友人である彼がナルトの心情が分からないはずがない。放っておけないナルトの心のうちを。それでも行かせたくなかっただろうことも察して余りある。
しかし自分なら力ずくで止めた。この胸のどこを探しても、他国の安寧や、ナルトの火影という立場が彼の命より勝るという心情が見つかるわけがない。
「サクラはあいつに着いていったぜ。絶対離れるわけにはいかねぇってさ。それとキバとシノも一緒だ」
サスケの心中を察してかシカマルが落着かせるようになだめた。
「シカマル。滝隠れの里で七尾が暴走していると聞いている。相手は人柱力か?」
「ああ。なぜ暴走したかまでは分かってねぇが、被害は相当なもんだと聞いてる。前の木葉を上回る死者の数らしい」
「……だろうな」
サスケはナルトが赴かねばならなかった、滝隠れの戦力の低さに歯噛みする。七尾が人柱力だと確認し、さらに胸が嫌な感じにざわついた。
「オレも滝隠れへ行く」
サスケの握り締めた拳が白くなって震えた。
「おい、無茶はよせサスケ。おまえ確か国外任務だったよな。どうせ休みもせず戻ってきたんだろう」
シカマルは少しの相違なくサスケの所業を言い当てる。
「そんなことどうでもいい。それよりも……」
「!」
先の任務で消耗した忍具を補充できるか問おうとしたが、慌ただしく廊下を駆ける気配を感じて、二人はハッと目を見合わせた。
入室の許可もなく扉に体当たりするように転がり込んできたのは犬塚キバ。いつも騒々しい彼であったが、いくら何でも火影執務室に入るのにここまでの無作法はしたことがない。
くず折れるように床に膝を付いたキバが荒い息をつきながらシカマルを見上げた。
「シカマル、ナルトが……!」
開口一番シカマルに報告しようとしたキバの目がサスケを捕らえて、一瞬の間があいた。
キバのその様子にナルトの身に何かが起こったことを瞬時に察して、サスケは途端に打ち付け始めた鼓動を堪えるように、ぐっと拳をにぎりしめた。
「火影が、意識不明の……重体なんだ……」
それを聞いて、まさに胸の奥をえぐるような衝撃にサスケは一瞬息が止まった。
早く駆けることに長けた一族の彼が、伝令役として息も絶え絶えに急ぎ帰ってきたのだろう。そんなキバの前にサスケは膝を付き、荒い呼吸に上下する彼の肩をつかんだ。
「何があったんだ……!ナルトは今、どこにいるッ……?」
口調に熱のこもった矢継ぎ早のサスケの詰問にキバは一瞬顔を歪ませる。
「詳しくは後で話す……。まずは一刻も早く医療班と臓器移植の準備を……。すぐにナルトに合う……心臓を用意してくれ……」
真実を知るということはなぜこうも痛烈であるのか。目の前が暗くなる。張り裂けそうになる胸に手をやった。サスケはキバから語られる続く言葉を、信じられない思いで聞いていたのだった。



シカマルの采配の元、医療研究室ではすでにナルトの心移植手術が始まっていた。木葉の医療忍術は最先端をゆく。忍者登録番号を持つ忍は医学的な登録も義務とされていた。所属する部隊、身長体重血液型、指紋歯型等々、それはその忍が死を迎えた際の本人確認にもつながった。決して目で見て誰かと分かる亡骸ばかりでないということだ。
もちろんそれだけのためではなく、多くは負傷して帰還した忍の早期治療に取り掛かるための付随でもある。それと同時にあらゆる情報を持つ忍の亡骸は持ち帰る手段がなければその場で葬るか、持ち帰られ巻物に保管された。それは任務で傷つき機能を果たさなくなった忍の臓器、四肢の交換を行うため。里のために傷ついた忍を救う神聖なものとしてそれらは厳重に保管されていた。
徹底させたのは五代目火影。
(ナルト……)
サスケはぐらつきそうになる己を叱咤し、近くの壁に寄りかかった。
手術室の扉を前にそれが終わるのを待っているのは、サスケの他にシカマルとサクラ。現火影を慕う者は多く、皆が側にいたがったが一端は下がらせた。
沈黙が続く。
負傷したナルトを運んできたのは彼の口寄せ動物蝦蟇のガマ吉だった。普通であれば即死を免れない状態のナルトを己の時空間の存在しない体内に入れ込み、彼の時を止め戻ってきたのだ。
そうしないと確実に死んでいた。
いくら彼が火影であろうと、いくら九尾の恩恵があろうと心臓の大半を失って生きていられるわけがない。
しかし、ガマ吉の体内で時を止めているにも限界があった。
ナルトの傷の進行を止めるために、彼は体内と外界とを完全に遮断しなければならなかったのだ。それは呼吸することさえはばかられる状態。一刻の猶予もなかった。
ガマ吉から解かれたナルトはまさに瀕死の状態であった。胸元にできた大きな傷からは大量の血液が彼の衣服を染め上げ、破れた皮膚からは折れた肋骨と内臓が見えていた。全くの処置をせずのナルトの惨状に、危機を察したガマ吉が攻撃を受けたと同時に体内へと取り込んだことが想像できた。
すぐさま医療忍者数名で細胞蘇生が行われ、それと同時に大量に失われただろう血液を輸血する。迅速に心移植に取り掛かれたのも前火影のお陰とも言えた。ナルトの代わりの心臓も確保できている。
こうして彼の生は繋ぎとめられた。
凄惨ともいえるナルトの状態を見たときの、這い上がってきた恐怖を当分忘れることはできないだろうとサスケは思う。
息があるのも奇跡であるに等しい。
気を抜ける状態ではなかったが、まずは手術が終わることをひたすら待った。
早くサスケの好きな青い瞳を見せて欲しい。もうその声が聞けるなら可愛くない言葉でも、いつもの怒声でもかまわない。次にその手が自分に触れたとき、どれだけサスケが案じたか、どれだけナルトを想っているかを伝えようと心に誓う。
(たまらなくおまえに会いたい、ナルト……)
しかし、その後サスケはすべての想いを彼に伝えていなかったことを、後悔することになるのだった。





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