†††恋ひ文†††



目の前にある白い紙を机に置いてから早半刻。他の2枚に比べ格段に進まない筆にナルトは辟易していた。
すでに右手に持ち続けてぬるくなっていた鉛筆は机の上に投げ出され、所在無さげに転がっている。
どうにも、まいった、とナルトは奔放にはねる金の髪を撫で付けた。
1枚目は日頃世話になっている人達へ、2枚目はコレを書くようナルトに進言した元セル仲間で今度の難易度Aランク任務を共に組むことになったサクラへ、そして最後の1枚は・・・。
「あいつに感謝の言葉なんて出てこねぇってばよ」
誰にともなくナルトは一人つぶやく。
そしてすぐに諦めたように、
「そんなの嘘だってば・・・」
そう付け足した。どうあがいても感謝の言葉ばかりが次から次へと溢れて溢れて。普段存在さえ忘れがちな鼻の奥がつんとした。そして浮かび上がる言葉の断片は、
ありがとう、と。
そばにいてくれて、
心預けてくれて、
受け入れてくれて、
そうして胸が苦しくなったナルトは目を閉じた。
その姿を思い浮かべながら。
いつも澄ました顔の彼は、もし自分が死んでしまったらどんな顔をするんだろう。涙の1つも流して悲しんでくれるだろうか。それとも、いつものように眉間を寄せるだけだろうか。
「それはハクジョー過ぎんじゃねぇかサスケ?!」
ナルトはあたかも本当にそうされたような気がしてしまって、さらにそれが今自分を悩ませる相手であったりするものだから八つ当たり半分つい声に出して詰ってしまった。
しかし、そうであったら悲しい。
死んでしまったらそんな事も分からなくて、どこか遠くへこの魂は運ばれてしまうのかもしれないけれど、自分が動かなくなってしまって、なのにサスケがいつも通りだなんてとても悔しく感じた。
きっとサクラちゃんやイルカ先生は、もう本当に涙を流して悲しんでくれるだろうから、二人には泣かないで欲しいと伝えたい。カカシ先生やサイなんかは涙を見せないだろうけども、胸を痛めてくれるだろうから、どうか忘れないでと伝えたい。
でも、サスケは・・・。
なんだろう。どんなに考えてみても、目をつぶってみても、サスケがどう思うかなんて想像がつかなかった。
サスケがどうするかなんて、どうしても分からない。
だから、この真っ白い紙に何を書けばいいのか分からなくて、ただただその四角いだけの紙を上から眺めることしか出来なかった。
″遺書ってのは最後に残す言葉なのよ。それと同時に残された人の慰めにもなるものだと思うの、だから・・・″
そう言って、めんどくさいってばよ、と零してしまった自分に半ば怒るように、優しく諭すように彼女はナルトを窘めた。
(最後に残す言葉・・・)
最後にサスケに伝えたいこと。
本当の最後に・・・。
ナルトの胸にじんわりとあたたかなものが広がる。
それはとても、優しいような、穏やかなような。でもどこか切ないようで。
泣き出す前独特の喉元を圧迫する塊がそこを透ろうとするのだけれど、しかしそれはちっとも不快ではないのだ。
ああ、こんなにも離れがたくて、感謝の言葉と謝罪の言葉しか出てこない感情をナルトは一つしか知らない。
それを自分が物言わぬ塊になってから伝えることになるだなんて。
その時までこんな優しくて甘いような、しかし不安定で揺れるこの胸の高鳴りを伝えられずにいるだなんて。
ナルトは放り出して冷たくなっている鉛筆を多分に強い力で握った。字が歪んでいたって気にはしない。それよりもここに書いてしまうことでこの想いが少しでも和らぐのならと、鉛筆を走らせた。
たった一言。
あれだけ悩んで、サスケを思い浮かべて出て来た言葉はなんて素っ気ない。
それでも、何にも増して当て嵌まるものだと思うから。
手早く折って対になっている封筒に入れた。
ナルトは疼く胸の甘やかな痛みに、いたたまれず乱暴に椅子を引いて立ち上がる。



そんな、物言わぬ塊になってから伝わるだなんて



走って走って、自然と前へと運ばれる足に重さはなくて、でも不規則にも打ちつける心臓の鼓動は全速力で走りきった時のようにその存在を誇張する。
だから思わず見慣れた門構えを仰ぎ見たとき両手を膝に付いて肩で息を整えていた。はぁはぁ、と洩れる息が白くけむったのを視界の端に入れて、外套も羽織らずにここまで来てしまったことにはたと気付く。
しかし、寒さは不思議と感じることはなく、ただこの胸に今だ冷めることなく残るあたたかさだけが自分をここまで引き連れた。
「サスケ・・・」
その名をつぶやいた途端、ぶわっと押し寄せたなんとも言葉にしがたい感情の波にあおられて、ナルトは膝に置いた掌に力を込めた。
ゆっくりと深呼吸をする。浅くなりがちな呼吸はどうにか深いものへと変わって、しかしトクントクンという鼓動はやはり落ち着きそうもなかった。
ここに住まう歳若い主人に会えば、さらに自分の心臓は壊れたように打ちつけるに違いないと、焦るナルトは懸命に、おさまれよとそればかりを繰り返す。
カラカラと、視線の先にあった引き扉が予告もなく開いた。
ドクン、と痛いほどに一度鼓動が打ちつける。
ものぐさなサスケの明かりもつけない不意打ちのような出現に、ナルトはさらに掌に力を込めてしまってくしゃりと音を立てて握り潰された封筒の存在を思い出した。
「お前こんな時間になにやって・・・とにかく入れ」
茫然と見つめたまま突っ立って話そうとも動こうともしないナルトを怪訝に思ったのか、サスケは柳眉を寄せるとツカツカと近づき腕を掴んだ。
半ば無理やり引き摺られる様にふらふらとおぼつかない足取りでナルトが玄関をくぐって手を離された時には、開いた時同様カラカラと音を立てながら引き戸が閉じられた。
「風邪引きてぇのか、ウスラントカチ。こんな時間にぼーっと突っ立ってやがって」
まずはあがれ、とばかりにつっかけを脱いであがりかまちに立ったサスケはやはり動こうとしないナルトを振り返る。
「てめー顔が赤いぞ。まさか風邪引いてんのか」
いつもより上にあるサスケの顔がさらに渋いものとなり、すっと近づいた彼の右手が自分の額に触れるかという所で我に返ったナルトは、うわぁと声を上げるとざっと後ろに下がった。その勢いのまま引き戸に頭を打ちつけてしまい、痛てぇと声を漏らす。
「何がやりてぇんだ・・・」
サスケは呆れたようにナルトを見下ろすと、空に浮いたままの己の右手を所在投げに下ろした。
「とにかく入れ」
そう言って背中を見せようとしたサスケにナルトはたまらず声を上げる。
「サ、サスケ!!」
振り返る彼の黒い双眸が見えて、
「オレお前に言っておきたい事があるんだってばよ・・・!」
早口にそう捲くし立てた。
しかし、用意していなかった伝える為の手段はそれ以上出てくることはなく。
ゆっくりと時間が止まったように、しかししっかりと己の鼓動だけは動いているのだと主張するから時を刻んでいるのだとかろうじて感じ取れた。
伝えたいんだ。それだけを強く思って。
今伝えなければ、きっとこのまま流れてしまうから。
せっかく気付いたのに。
「ナルト・・・?」
どうにもナルトの様子がおかしいと思い始めたサスケが訝しげに名を呼ぶ。
ナルトより大人びた、しかし響く声音で。
どうしてだろう、誰にも呼ばれる名前。
気安く音にされるその言葉の羅列。
時に優しく親しみを込めて、時に否定し貶めるように。
なのに、どうしてだろう。そうサスケに呼ばれるだけで、今声を上げて泣いてしまいたいような心地なのだ。
でも、どうしても伝えたくて、伝えたくて。
何故なら、今幸せなのだと。
本当にもう、サスケのいる今が何にも勝さるものなのだと。
無言で、手にしていたぐちゃぐちゃの白い封筒を咄嗟に押し付けた。もう、それしか伝える術が思いつかなかったから。
胸に押し付けられた封筒と顔を強張らせたナルトを見比べて、もう一度封筒へとサスケは目を向けた。
受けとって、中身を出そうとした時、
「てめー、甚だしく使い方間違ってんぞ・・・」
封筒の表に”遺書”と書かれた文字を見つけて、サスケはさらに眉間のシワを濃くした。
そう言いながらも不格好に畳まれたそれを開く。
彼の目が今までにない程見開かれた。
いつもの切れ長で涼しげな瞳が丸くなったのを見とめて、ナルトは顔を赤らめたまま慌てたように口を開く。
「サクラちゃんがっ、そろそろ危険な任務につくようになってきたから遺書くらい大切な人には書いとけってっ。大事なことだからってっ。だからお前にも書こうと思ったんだってば。でもいくら書こうと思っても上手く書けねぇし、ありがとうとか、ごめんとかも思ったけど、なんか違うような気がしてっ。でも最後に残す言葉だからってすっげぇサスケの事考えて考えて、お前に最後に言いたい言葉って何だろうって思ったら、それしか思い浮かばなかったってばよ。でもそしたら、オレが死んでから伝わっても何の意味があるんだろうって。これって今伝えるものじゃねぇのかなって思ったら、ここに来てたっ」
息次ぎもそこそこに一気に言い切った。
ありがとうとか、ごめんだとか、勿論それもいつも思ってることだと気付いたんだけれど、最後の最後に伝えたいと思った言葉は簡単で短くて。しかし何より雄弁に伝わる言葉。
泣きたくなるほど本当のありったけの気持ちだった。





そうナルトの書いた文面は飾りっけもなく、でも一番伝わるんじゃないかと選んだもの。
サスケはゆっくりとした動作でそれを元に戻すと、ナルトへと視線を巡らせた。
「てめーがオレを好きなことくらい知ってる」
「なっ・・・」
「あれだけ追いかけ回されたら嫌でも分かるだろ。それからてめーはもうオレに遺書なんか書くんじゃねぇ」
そっけないと思う程のサスケの応答と、知っていると言われた羞恥心でナルトはさらに顔を赤くして声を上げた。
「サスケ!てめーってやつはオレからの最後の言葉はいらねぇってのかよ!!」
「いるかよ、んなもん。だからもう書くなって言ってんだ」
迷惑だとも言いたげな口調に、さすがのナルトも怒気をあらわに突っかかる。
「すっげぇムカつくっ!!せっかくオレってば悲しむサスケが可哀想ってので書いてやったってのにっ!!」
「だったら死ななきゃいいだろうが、ウスラトンカチ」
「・・・!」
いつものように小競り合いに突入するかと、身構えていたナルトはサスケの酷く真剣な口調に並べたてようとしていた悪態を飲み込んだ。
「死なねぇんだったら、遺書もいらねぇだろ。だからお前は書くな。オレより先に死ぬなんて認めねぇ。無理やりオレをここに連れ戻したお前が先にいなくなるなんざあってたまるかよ」
睨みつけるようにナルトを見下ろしたのも束の間、サスケは気まり悪げにふいと目線を反らした。
「てめーはオレの前でバカやってたらいいんだよ。もういいだろ、早く入れ。それとも帰るのか?」
サスケは今度こそナルトに背を見せると、彼らしくもなく足音をたてて廊下を台所へと向けて歩く。
きっと、冷えているだろうナルトにホットミルクを用意する為に。
やはりサスケ相手ではいつでも小競り合いに発展してしまうけれど、酷いことを言われたような気もしないでもないけれど。

それは、サスケが死ぬまで離れることは許さないということだろうか?

ナルトは慌てたように脚絆を脱ぎ散らかすと、ドタバタと足音うるさくサスケの後を追った。
今日のホットミルクはサスケが渋面を作るまで、砂糖を入れて甘くしてもらおう。
そして、今度は言葉として伝えよう。
そうしたらサスケの仏頂面も少しは甘くしたホットミルクのようになるかもしれないし。
ナルトはこっそりニシシと笑うと、追いついたサスケの肩に腕を回したのだった。



こんなにも君と離れがたくて、



ありがとうの感謝の言葉と



ごめんなさいの謝罪の言葉と



いつも言えないけれど、いつも伝えたいと思っているんだ





END





出来たら次はサスケ視点で続きが書きたいですねv





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