時化るは奥底の_前編



もう本当にあの時は体が勝手に動いて
例えば一歩前に足が出るだけで相手の攻撃範囲に入ってしまうだとか
例えばその小さな体に手を伸ばすだけで無防備になってしまうだとか
そんなことは本当に考えてなかったんだ

それが命の選択だということさえ判断できなかった自分は、間違いなく愚かであるという言葉を否定できないだろう。
部屋で目が覚めて、自分を取り巻く状況を受け入れた時まず、最初にサスケが思ったことはそれだった。
自分より強い忍がいることはどうしようもない。それが敵であり対峙することもあるだろう。正しい状況判断が自分を生かし、成さねばならないことを達成することができる。まずは生きなければならないのだ。己を伸ばすのもあたり前に命あってこそ。
簡単に投げ出してしまっていいものではないはずだった。
己にかした責はそんな軽いものではない。


力が欲しい
ずっとそう思ってきた。あの日から。
すべてが自分に優しく、厳しく、そしてあたたかであったものが消え去ってしまったあの日から。
圧倒的な力を。なにをも捩伏せ、奪ってしまえるほどの力。
まだ、手は届いていない。

兄さんのように――――

違う

なれるよ、お前なら

違う

兄さんみたいに――――!

違う!

もっと上を目指さないと
そう、木葉の英雄と言われるくらいに――――サスケ

違う

違う!

今自分が目指す高みは
希む場所は


そんなぬるい甘やかな記憶なんて消し去って。
この深い夜の海に沈めてしまって。
もう同じことにはならないと強く誓った。

そして生き抜いて――――!

首をめぐらせ見上げた先には、薄い雲に覆われた冷たい月。


次にサスケが目を覚ました時目に入ったのは、窓に切り取られるようにしてあった水色の空だった。そして規則的に耳を打つ波の音。前に目を覚ました時には感じなかった全身を襲う鋭い痛みにサスケは眉を寄せた。
ゆっくりと首を仰向けた途端走る痛みに漏れそうになる声を押し殺す。手をやろうとして、やはりズキンと刺さるような痛みにサスケは腕の力を抜いた。
どうやら自分は満身創痍というやつなのだろう。それに熱もあるようだった。自然もれる熱い息。巻かれた包帯が己の汗で湿っているのがわかる。小さく身じろげばさらとするはずの布同士の擦れる感触はなく、着せられた寝巻きさえもじっとり重く感じられた。
「目が覚めたか、サスケ」
「……ぁ…」
声を出そうとして、しかし鋭く走った痛みに息をつめた。
「喉は特に酷いから話さない方がいい。痛み止めも切れてるからな」
言われたとおり開きかけた口を閉じる。それでも声のした方へと首をめぐらせた。ちょうどカカシが立ち上がる気配がする。音もなく近づくとサスケの枕元に腰を下ろした。
「化膿はしてないようだが、腫れて熱を持ってる。しばらくは動かない方がいい。痛みが我慢できないようなら痛み止めを出すが・・・・・・・」
カカシが言い終わる前に、サスケは小さくかぶりをふる。
覚えている限り、床に伏せなければならない程の怪我を負っているのは自分だけだ。この酷い痛みを麻痺させてくれるのはありがたいが、痛みを認識しなければ体の回復は遅くなる。サスケは早々にも床払いがしたかった。
それが分かっているカカシは、熱と痛みに耐えるサスケを見ても特に気遣う様子は見せない。今のサスケにはそれがありがたかった。
「千本を抜いたとき出血した。もう止まったみたいだな。痛むだろうが朝食の前に着替えと包帯を替えるからそれまで」
眠れるようなら眠っておいたほうがいい、まだ朝には早い。そう続けてカカシは腰を上げた。
「……カ……シ…」
痛みを押して呼んだ声は波の音に消されそうなほど、弱々しく小さなものだった。しかし、それに気付いたカカシが振り返る。
「ナルトたちはまだ呼ばないよ。あいつらうるさいからね」
右目だけで笑んで見せるとカカシがそう言った。
言いたいことを先回りされたかたちとなって、サスケは安堵とともに目を閉じる。カカシはうるさいからと言ったが、間違いなくサスケの心情をくんでの言葉だろうと思えた。
いくら仲間を庇うためとはいえ無様に敵の前に倒れた自分。
それ以上の失態はないとは思えるが、だからといって弱っている自分を見せたいだなんて思うわけもない。
だから、庇われたあいつのことを慮ってのことだなんて。ここまで弱った自分を見てあいつがどう思うかなんて。
そんな優しさとも言えないような、甘いことを自分が思うわけが。
「また来るよ、サスケ」
意識の隅にぱたんと閉じたドアの音が小さく聞こえたのを最後に、サスケは闇へと飲み込まれた。


丁寧に剥がされるガーゼが一枚、一枚とサスケの座る布団の上に散っていく。無造作に置かれたそれには赤黒い丸がひとつ、あるいはふたつと印しのようにあった。
全身に巻かれていた包帯を解けば全ての傷跡に化膿止めの練薬を塗布したガーゼが貼られている。それをカカシが一枚づつ剥がしているのだが、傷口とガーゼが貼り付き、それを剥がすたび軽くはない痛みがサスケを苛んだ。新たな血がにじんだが、化膿するよりはと傷口を消毒し、またガーゼを当てる。痛まぬようにと きつく包帯を巻かれた。
小さくはない包帯とガーゼの山をみやって、よくも己の体にこれだけの穴をあけてくれたものだと思う。痛みはあるが貫かれたヶ所が機能しないということはないようだった。正しく急所を外しているのだ。そんなことにさえ、サスケは白という少年と自分との歴然とした差を垣間見て、苦いどろりとしたものが胸に広がる感覚に眉を寄せた。
淡々と作業をこなすカカシは、初めこそ傷の状態やサスケの具合を聞いてきていたが、今はそれもなく最後に残った右腕の包帯をまいている。
サスケも声を出すのはまだ痛みがともなうため、率先して話しをしたいわけもなく、大人しくカカシに手当をまかせていた。
なので、ふたりのいる部屋はひどく静かだ。ただ波の音だけが控えめに聞こえていた。
そんな沈黙もやがては終わりをつげる。
「写輪眼を開眼させたんだってな」
手を動かしながらカカシが唐突とも思えるタイミングで、口を開いた。
声を出すことはできたが、サスケは小さく頷くにとどめる。それを見るでもなく気配で察したカカシは言葉を続けた。
「やっぱりお前もうちは一族なんだな」
どこか嬉しげに、しかし少しの憂いをおびた声音にサスケは俯いていた顔をカカシに向ける。
「お前が生きていてくれて嬉しいよ」
決して真面目とは言えない上司の意外な言葉に、サスケは怪訝な表情で返す。ただ自分の生還に感極まっただけでは収まらない何かを感じとって、己の手をとるカカシの顔をじっと伺った。
それに気付いたカカシが、困ったように眉を寄せる。
「オレだって部下の心配くらいはするよ。はい終わり」
包帯も巻き終わり、肩にかけられた寝巻の上に腕をとおす。はだけないようにと袷の端を結ぼうとするカカシの手を軽く遮って、自分で結んだ。指先に一度だけ痺れるような感覚があったが、問題なく動くそれにやはり舌打ちしたい気分になる。苛ついて仕方がない。今の自分には何もかもが気に触るようだった。
「回りくどいな…はっきり…言ったらどうだ……」
カカシの言葉の端々にまじるものが何であるのか、心当たりのあったサスケが鋭い目を向けた。
「あんた。今回オレがとった行動に腹を……たててるだろう」
手当もおわり散らばった包帯やガーゼを片し終えたカカシが、サスケの言葉に意外そうな顔をする。
「そんなことないに決ってるでしょ。前にも言っただろう。仲間を大切にしない奴はクズだってね」
「そう言ったあんただから…違和感を感じんだよ。確かにオレは仲間を庇ったことでこんな傷を負ってる。あんたの言葉からすればこれは正しい判断なんだろう?生きてて良かったって言葉は、オレが生きてることによってあんたの負担が軽くなったから出てきた言葉なんじゃないのか?」
カカシは一度目を開くと、目を細めた。笑ったのかもしれなかった。
「つっかかるねぇ」
「違うのか?」
「ちょっと違う…かな」
「完全には否定しないんだな」
マスク越しのため断定できないが、やはりカカシは笑っているようだった。余裕のようにも自嘲のようにもとれるそれに、サスケは苛立ちがつのる。
「別にオレはお前のとった行動がオレの責任だなんて思っちゃいないよ。仲間を大切にするってことが、盲目的に手を差し出すことだなんてお前も思ってないだろう?それともオレの言葉に従ったんだって、お前は自分のとった行動を責任転換したかったのか?だからナルトを庇ったのは自分の意志じゃないと……」
お前はそう言いたいの?じっと覗きこんでくる隻眼が、そんな逃げは許さないと言っている。
そう言われてサスケは何も言い返せないことにくっと息をつめた。カカシの言葉に肯定すれば逃げることになる。だからといってはっきりと否定するにはプライドが邪魔をした。
体が動いていた。
それだけで片付けてしまうには、サスケの背負うものは大きく簡単に切り捨ててしまえるものではないはずなのに。
しかし、結果己のとった行動といえば、すべてを投げ捨て小さな体に手をのばすという、忍としてあるまじきことだったのだ。
「サスケ。正直オレはお前がとった行動が正しかったかどうかなんて分からないんだよ」
言い返せないでいるサスケに、先ほどの挑発するような調子とは変わって、落ち着いた声でカカシが言う。
「それを決めるのはお前だよ。お前はオレに決めてほしかったみたいだけどね」
「オレはもう二度とあんなことはしない」
太ももの上に置いていた手に力がこもった。ここで目が覚めてからずっと思っていたことだった。あんな自分の命を投げ出すような行動をとった自分を誰かのせいにしたかった。そう思っていたことは否定できない。
「サスケだったらそう言うと思ったよ。オレ以外のヤツだったら間違ってたと言うかもしれない。でもやっぱりオレは今回のことが間違ってたなんて言えないんだよ。ちょっと思い出したことがあってね」
カカシが額当てで隠れる左目を指して見せる。
「なんでこうなったかってことなんだけど」
そこでカカシは困ったように笑った。そこにある眼が、今は自分も持つものと同じであると、今回の任務でサスケは知った。
今はサスケを通してさらにその先に思いを馳せるような彼の眼は、ついぞ知らない色をしている。先ほどカカシが言った様に、きっと普段は隠された眼をカカシに与えた人物でも思い出しているのだろう。それとこれとどう関係があるのか分からないサスケは重たく口を閉ざす。
「これをオレにくれたヤツは、同じセル仲間だった。ちょうどこの前のお前のように任務中に写輪眼を開眼したんだそいつは」
カカシが語る昔話しを聞き、白と対峙していた自分をサスケは思い出していた。
「開眼したすぐ後だ。あいつは殉死した。任務中へまをやらかして片目失くしたオレに、たった一度しか使わなかったそれを押し付けて。オレをね庇って死んだんだよ。そいつは……」
そこまで聞いて、サスケは瞠目する。カカシの言うそいつと自分は正しく同じ道を進んでいたのだ。
危機迫る中で開眼し、カカシを庇ったという彼。ナルトを庇った自分。
しかし、決定的に違ったのは、それは自分が生きていたということ。カカシが過去を、しかも庇われた側からすると辛酸を舐めるような強烈な過去だ。それを今回のことで彼が重ねても仕方がないと思えた。
「オレはあいつを思い出す度に自分の弱さを呪ったよ。後悔ばかりだった。ああしていれば、あいつは死ななかったかもしれない。オレがあそこであんな選択をしなければあいつは生きていたかもしれない。そんなことばかり考えていた。今も考える時があるよ」
そう静かに語るカカシの顔は確かに今でも悔いていることが見て取れた。
考える時がある。多分それは今回のことを指しているんだろう。
「その頃オレは上忍になったばかりで。それでも戦友の死は見てきたつもりだったんだ」
それもそうだろうとサスケも思う。手違いがあったとはいえ、下忍の自分達でさえこんな任務があったりもするのだ。中忍、上忍ともなればその危険性は高くてあたり前。カカシの言葉にサスケは小さく頷いた。
きっとカカシは、そのセル仲間の死を受け入れるのに相当の時間がかかったのだろう。続かない言葉がそれを語っていた。
庇って死んでいった彼を恨んでいる。庇われて生きている自分を恨んでいる。
忘れることなんてない。それは一生の枷だ。忘れたように生きていても、ふいに蘇る。
例えば笑った一瞬の後に。例えば眠りに落ちる一瞬の前に。
そんな思いをかかえているんだとカカシは言っている。
当時、上忍だった自分でさえ。
「ナルトは…・・・」
サスケの小さな声を聞き取って、カカシが伏せていた目をあげた。そこにはもう苦渋の色はない。
「ずっとひとりで修行をしてるよ」
「そうか」
それが簡単に想像できてしまって、サスケは相槌を打つ。
「こんなことを言うのは甘いのかもしれない。でもあいつの命を繋げたお前だから言うよ。ナルトはまだ親しい人の死というものに遭遇したことがない。これからはそんなことも言ってられなくもなるだろう。それでも、最初のそれがお前じゃなくて良かったと、オレは心から思うんだよ」
そう締めくくったカカシの言葉に先ほど彼が言った、お前が生きていて良かったという言葉が、ただ単に自分に対するものだけじゃなく、他にも示唆していると感じたのはこのことだったのかと、サスケは思う。罪悪感くらいはあるだろうかと軽く考えていたが、カカシのこの様子からあのウスラトンカチはかなりまいっているだろうことが予想された。





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