夜行バスと隣の君
(2008年冬発行めがねアンソロ寄与分)



薄暗い車の中、先程までの騒がしさは二十二時の就寝時間を告げる運転手兼バスガイドの言葉と、有無を言わせぬ消灯をもってして静かになっていた。隣でまだ起きているだろう友人を伺いナルトは小さく身じろぎする。一番安価であった四列シートの高速バスの座席はまだ学生とはいえ男同士で長時間座って眠るには非常に狭く、かつ息苦しい。先程身じろぎした拍子に当たった男の足を己の膝に感じて、ナルトは少なからずムッとした。
「サスケ、足邪魔だってばよ」
自分よりほんの少し長く、持ち主の性格を顕著に表す開き具合でもってナルトの陣地を侵入するサスケの足を、ぐいと押しやり、ナルトは低めた声でそう言った。
とにかく狭い。
そしてサスケが近い。
窓側が良いと主張したナルトであったが、その言葉をこんなに早く撤回しなければならないなんて、と彼は少し後悔する。しかしバスといったら何を押しても窓側ったら窓側に決まっている。それは小学生、いや幼稚園から培われて来た男子のたしなみである、とナルトは思うのだ。バスから見える景色は味気ない高速道路の壁であることも多々あったが、しかし少し頭をあげればそこは高く広い空が見えたりもするもので。
「……」
しかし今ナルトが望んだそこには厚いカーテンがかかっている。狭苦しく感じさせる元凶の一つでもあるのだが、これを開けるには息も白く煙る今の時期、窓側は寒すぎるのだ。この厚めのカーテンは遮光用というよりは、冷気遮断対策なのではなかろうか。だからどうにも体は保温を求めるようで、邪魔だと邪険に押しやったサスケの体温が実は少し恋しかったりする。そうナルトが思った時。
「……寒いのかよ」
いつもよりさらに低められたサスケの声がすぐ耳元で聞こえた。
「……っ」
ぎりぎりまで押さえたその声は時折かすれていて、ナルトは無意識にドキリとする。そこここで小さな話し声はするものの、静かな車内をサスケが気遣っての距離だと分かっているが、顔を寄せて話すこの近さは今までにないもので。
「寒くなんかねぇってばよ」
そう答えた声は不機嫌であるように出てしまった。
「そーかよ」
サスケは意地悪く含みのある言い方をすると、気持ち傾けてあったシートに深く背を預けた。
「……っサスケ!てめっ」
さらにナルトの陣地を侵しに来たサスケの足にナルトは思わず声を上げる。と、その時背中にドンと衝撃を感じて。
「うーるせぇぞ、ナルト」
後方座席より非難するには破棄のない声が上がった。
「だって今のはサスケが」
「どっちだって関係ねぇ」
シカマルはくあぁ……と、大口を開けたのがすぐ様想像出来るような盛大なあくびを一つするとガシガシと頭をかいた。
「オレは何もしてねぇ」
黙って二人のやりとりを聞いていたサスケがぼそりとつぶやく。
「はぁ?ただでさえこっちは窓側で狭苦しいってんのに。寄んなサスケ!」
またぞろ大きくなってきたナルトの声にかぶるように、ドンとまた背中に衝撃が来る。
「だから静かにしろっつってるだろ。サスケで狭いだの息苦しいだの言ってたら、オレはどーなんだよ」
シカマルの言葉に彼の隣がチョウジであることを思い出して、自分より間違いなく思うところがあるだろう彼にナルトはあっと、気まずそうな顔をした。確かに細身のサスケが隣でさえ狭く感じるこの空間。育ち過ぎてしまった感のあるチョウジの隣は自分の比でないくらい狭苦しいに違いない。
「本当だってば」
ナルトは納得した様に薄ら笑いを浮かべると、「もう寝ろよ」と続いたシカマルの言葉に相槌を返した。サスケの隣側の席に目をやれば、窓側にシノ、通路側にキバが座っていて、どうやらすでに眠っているようだった。ただ、シノに関しては普段から外さない色の濃い眼鏡を掛けているため、起きているのか眠っているのか定かではなかったが。しかし、シノに寄りかかって眠るキバはこの状況下の中でも気持ちよさげで、ナルトは嬉しくなる。せっかく仲の良いメンバーで計画した卒業旅行。楽しみたいに決まっている。なのにナルトはサスケにどう接すればいいのか迷うところがあった。
(そりゃ、サスケは頭良いからさ)
卒業したら離ればなれ。分かっているからこそ、こうやって思い出作りをしようと言い出したのは自分だった。都内の大学に入学が決まっているサスケはそれと同時に大学の近くで一人暮らしの予定。電車を乗り継げばいつでも会える距離であるのにナルトにはそれが面白くなかった。ならば実家から通えばいいものを、と思うのだ。自転車を飛ばせば五分で行き来できる距離。学校では毎日顔を合わせていた。卒業すればそれもなくなる。
(サスケは平気なのかな)
自分は就職組。昨今の不景気の中あぶれることなくナルトの就職先が見つかったのも、親身になってくれた担任のイルカのお陰だ。
(あ、イルカ先生にお土産買って帰んなきゃなー)
ナルトは厳しくも優しい恩師の顔を思い出し、頬をゆるめた。初めて行くユニバーサルスタジオジャパン。旅行会社がこの時期、学生目当てで企画するバスツアーにナルト達も申し込んだ。車内を見渡せば自分と同じ歳くらいのグループが比較的多い。皆それぞれ思い出作りに励んでいるのだろう。自分も楽しまなければ、とナルトは思い直す。自分は自分。サスケはサスケ。離れてしまってもそれは変わらない。なら、今を楽しまなければ損だ。
「おやすみってばよ、サスケ」
ナルトはそう言うと、今まで窓側に傾けていた体をサスケの方に寄りかからせた。
やはり、暖かい。
「おい」
すぐ様非難の声が上がるがナルトは無視して、本格的に眠る体勢に入ることにした。頭を支える首の力を抜いてサスケの肩に顔を寄せる。
「寒いんだってばよ」
「さっきは寒くねぇっつってたくせに」
「今寒くなった」
「勝手にしろ」
サスケの体から力が抜かれ、大きな溜息が聞こえた。呆れ返っている様子が暗い車内でも気配で分かってしまって、ナルトはこっそりほくそ笑む。結局は仕方ないと自分を許してしまうサスケがナルトはとても好きだ。そのサスケと離れてしまうのは寂しい。多分、きっと。
(んなこと絶対ぇ言わねぇけど)
だからこの旅行の間、少し甘える事くらい許せよ、とナルトは思う。そう、例えば今だとか。
狭い、息苦しいと思っていたこの空間も、己の状況下よりも下を見た今はそう苦ではなくなって、反対に今までにないサスケとのこの距離が少し慣れれば大変心地よく、そして暖かかった。ナルトは重たくなってきたまぶたに逆らわず、眠りにつこうと小さく欠伸をした時、
「おい、寝る前にコンタクト。取らねぇのかよ」
サスケに声を掛けられた。
「……ん」
「ナルト」
「んー、眠い……」
サスケが耳元で何やら話しかけてくるのを斜めに聞きながらも、前日楽しみのあまりなかなか寝付けなかったナルトは、心地よい睡魔に身をゆだねたのだった。


「おい、ナルト」
自分を呼ぶサスケの声。薄っすら開いた目に柔らかいオレンジの明かりが入って来て、ナルトは数度瞬きをする。
「んん……。ケツ痛ぇ……。しかもコンタクトが張り付いて、目ぇ開けらんねぇってばよ……」
暖房をきかせた車内は思っていたよりも乾燥していたらしく、面倒臭ぇと横着してそのままだったコンタクトレンズが、これでもかというほどナルトの目に張り付いていた。
「だから寝る前取れっつっただろ」
すかさず悪態を穿かれて、ナルトはムっとする。しかし眠りの際に有り難くもお節介な言葉を無視した自覚のあるナルトは「うるせぇ」とだけ小さく返した。
「もう着いたのかってば?」
ざわついた車内の様子にナルトはサスケに問い掛ける。かすれた声に喉の渇きを覚えて、手探りで前席に付いている収納ポケットから飲み残りの緑茶を一口ふくんだ。
「サービスエリア」
「ふーん。あれ、キバ達は?」
首を巡らせた先に二人がいないことに気付いて、ナルトは身を乗り出す。
(すげぇ目がコロコロするってばよ)
己の目の違和感に擦りたい衝動を押さえ付け、ぎゅっと目を閉じる。涙でどうにかならないものかと思うのだが、カラカラに乾いた目はそうそう涙を出してはくれそうになかった。
「便所」
キバ達の行方を明確かつ、男らしくも簡素に答えたサスケに「オレも行く」とだけ答えてナルトは立ち上がった。
「上着きてけ」
サスケはそうナルトに言うと、自分も体にかけていた黒のコートに袖を入れた。
「なに、サスケも便所?」
「ああ」
そう短く答えたサスケは、ポケットを漁ると黒淵の眼鏡をかけた。
「オレサスケが眼鏡かけてんの初めて見た」
「だろうな。……っつかてめー、目ぇ開いてねぇぞ」
依然として張り付くそれに、ナルトは眉をしかめた。薄目で見える限度なんてたかが知れている。今のナルトにはサスケが眼鏡をかけた、という程度しか判別出来ず、よく見ようと無理に目を開けば途端に渇いたガラスの膜は、ズルりと剥がれ落ちてしまいそうになるのだ。
「行くぞ」
ナルトの苦労も知らないサスケはさっさと席を立ち通路を行く。その時、サスケが通り過ぎた座席が一気にざわめいた。
「ちょっと待てよ、サスケェ……」
ふあぁ、と大きな欠伸を一つして、色めき立った周辺を一瞥するとナルトもサスケの後を追った。










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