夜行バスと隣の君
(2008年冬発行めがねアンソロ寄与分)



「寒っ!つか目が!」
バスを出た途端吹き付けてきた冷たい風にナルトは首をすくめた。
(ぐおおぉ、さらに渇くってばよ)
涙を誘おうと何度ぎゅっと目をつぶってみても、一向に潤いは訪れず、一瞬目を開けて周囲をうかがうのがせいぜいだ。
(トラックがけっこう多い)
バス専用のパーキングエリアを抜けると乗用車はまばらである。それでも比較的規模の大きいこのサービスエリアの交通量は油断ならないようで。
(これじゃ引かれそうだってばよ)
少し前を行くサスケを視界にとらえて、ナルトは手を伸ばす。あのコートを掴ませてもらおうと。
しかし、
(え?)
もう少しで己の安全が守られる、そう思ったところでその手はぐいと引っばられた。もちろんナルトの狙っていたコートの裾はそんなことはしない。
「ちが……っ!」
思わぬ強さでナルトの手を引いてきたのは、少し冷たいサスケの手だった。自覚した途端かっとナルトの体温が上がった。ただ手を繋ぐという行為がなんだか恥ずかしくて仕方がない。
(って、小学生じゃあるまいしっ)
「何手ぇにぎってんだってばよ!」
咄嗟にナルトはサスケの手を振り払う。
(オレはサスケの手じゃなくってコートが掴めればいいんだって!)
一瞬離れた手にそれでも何かを掴まねばという使命感だけは残っていたようで、無意識にまたコートに手を伸ばしていたナルトの手は、またサスケの手に掠めとられてしまった。
「ウスラトンカチが。見てて危なっかしいんだよ」
そうサスケは振り返りもせず吐き捨てると、今度は簡単には振り払えない強さでナルトの手を握りこんできた。
これには恥ずかしいとか、驚いたとかそんなものは吹き飛んでしまって、後ろから来ているだろうシカマル達の視線を意識してしまった。これが彼らにはどう映っているだろうとか、そんなことばかりがナルトの頭をよぎる。
(ちがーう!別にこれは今オレってば目ぇ見えねぇから!)
ずんずん進むサスケの後を引っ張られるようにナルトが続く。時折通り過ぎる車のヘッドライトがつぶった目にも明るくて、その度に羞恥心を感じてしまう。思わず振り返った先に危惧した姿はなく、少なからずナルトは安堵した。嫌なら無理にでも手を離せばいい。でも何だかそれはとてもサスケを意識しているようで、たかが手を繋ぐくらい、サスケの分かりづらい親切心を無下にすることもないだろう、とそう思いはするのだが。
(なんでか分かんねぇけど、何か嫌だ、何かすげぇ嫌なんだってばよー)
だって落ち着かない。とても心がせわしない。胸が高鳴っているのが分かってしまって。どこを歩いているかとか、もしかしたら帰りは誰かいないとバスが分からないかもしれないなんて、ふとそんなことを思った。それでも細い通路のようになっているバスとバスの間を抜けようとした時、一際強い風が吹きつけてきて、やはり目の違和感にナルトは顔をしかめた。
「サスケ、サスケ、お前目薬持ってねぇのかよ」
コンタクト愛好者はたいてい目薬を持っている。そう己に当て嵌まらない持論をナルトは思い出し、繋いだサスケの手をぐいと引っ張った。
「あぁ?」
「目薬」
歩みを止めて振り返ったサスケに一縷の望みを託して、ナルトはここぞとばかりに緩んだ手を引き抜く。
「持ってねぇよ」
「えーっ。お前普段コンタクトだろ?何でこんな時に持ってねぇんだってばよ、目薬ぃ」
恨めしげにナルトはうなる。しかしここでサスケを非難しようと、自分が嘆こうと現状は変わらない。まだまだ視界は危うくまともに目も開かない状態なのだ。またぞろサスケに手を取られる前にさっさとトイレに行ってしまおう。ナルトは狭いバスの間を行こうとした。
「目薬はねぇけど……」
すれ違いざま小さくつぶやいたサスケの声に、振りかえろうと歩みを止めたとき、思わぬ強さで肩を掴まれた。
「……っ」
背にバスの車体が当たる感触が、向き合ったサスケをより近くに感じさせて、ナルトは咄嗟にサスケの二の腕に手をついた。それくらいで開く距離などたかが知れているが、胸を騒がすこの距離はどうにも堪え難くて少しでも間を取ろうと、
「な、なんだってばよ」
そうなじった自分の声はどうにも上擦っていて、動揺する自分を自覚させるだけだった。ドクンドクンと騒ぎ出した胸の鼓動にたまり兼ねて、ナルトはぎゅっと目を閉じる。見られている感覚にサスケの視線を嫌って、ナルトは顔に手を持っていこうとしたのだが。
「!」
上げたナルトの手は、何らかの意思を持って近づいたサスケの手に掴まれてしまった。
「サスケ……?」
後頭部に彼の手を感じて俯かされた瞬間。
閉じたまぶたに濡れた感触がした。
「……っ」
あまりの出来事にナルトの思考は真っ白になる。サスケに舐められていると自覚した時には、金縛りにあったように体が動かなかった。それでも胸の鼓動は痛いほど叩き付けていて、一つ鳴るたびにその音が今にも聞こえてきそうなのだ。握りこまれた右手が冷たい車体に押し付けられ、喉がひくりと痙攣したように引きつる。声を上げようとして、しかしまつ毛の生え際とまぶたの際を割るように舌を這わされればそれも出来なかった。
「……もう片方」
低く濡れたような声が今までにないほど近くから聞こえて、それの持つ魅惑の音にナルトの身がすくむ。反対のまぶたに吐息を感じれば慣れぬ感触にぞくりと体が震えた。
「そんなキツく目ぇ閉じんな」
濡らせねぇ、そう言って少し離された体に安堵して目を開いた時、
「あ……」
はっきり映ったサスケの顔はいつもの無表情で、しかし見慣れぬガラス越しの彼の顔は、こちらをうかがうように細められた目の強さとあいまって男の自分が見惚れるほど艶があった。
目を逸らしたくて、でもそれは負けを認めるようにも思えてしまって、ナルトは睨む瞳に力を入れる。魅力的にも映る硬質さから目が離せないのか、それとも彼の行動を見逃すものかと警戒心から目を見開くのか。相反する気持ちがぐるぐるとナルトを悩ますけれど、すぐに答えは出てきそうにない。それでも確実に分かることと言えば、ここで目を閉じてしまえば間違いなく先ほどまぶたに触れたサスケの唇は、そこじゃないどこかに押し付けられるだろうということだった。だからそれを払拭させようとしたからか、
「サスケってば……眼鏡似合わねぇってばよ……」
思ったことと反対の言葉がついて出てしまった。しかし、それにサスケはニヤリと唇を歪ませる。女子どもには非常に好まれ、出来ればナルトは見たくないと、常日頃思っているたぐいのサスケの表情だった。嫌な予感にギクリとした瞬間。
「ちょっ……」
手が離され、ナルトの顔は両手でサスケに掴まれていた。ぐいとそのまま引き寄せられて、目と目が強制的に合わされる。薄暗い中でもこれだけ近づけば、レンズの向こうに見える黒い瞳が意地悪そうに笑んでいることが見て取れた。
「まだ、見えてねぇみてぇだな、ナルト」
「見えてねぇわけがねぇだろ、離せサスケ!」
かすめる吐息から肌の熱まで感じ取れてしまいそうなこの距離が、言葉を交わしたことで取り戻し始めていた互いの位置をまた狂わせる。ガラス越しの黒い瞳があまりに真剣みを帯びていて、ナルトは息をのんだ。呼吸がしにくいようで、指の先が冷える気がした。その反面体温は酷く上がって、鳴り止まない鼓動とともに気付かれてしまいそう。こんなにもサスケを意識してるって。
「なんも見えてねぇよ、てめーは」
そうなじるサスケの目がゆっくり閉じられる。一瞬の躊躇もなく傾けられたサスケの顔がさらに近づき、その終着点は果たして彼曰く、まだ見えてないらしい自分の目か、それとも……。
もう駄目だと、この空気に一瞬でも逃げ出してしまいたいと、近づくサスケを視界から追いやるためにナルトはぎゅっと目を閉じた。なるようになれ!そう思った時、
「どうかしたの?二人とも」
「……っチョウジ!」
チョウジの声とそれに続くようにして聞こえたシカマルの声に、ナルトは慌ててサスケの体を押しのけた。
(見られたっ?)
焦るナルトをよそに、不機嫌そうに眉間にしわを寄せたサスケが近づいてきた二人に素気なく答える。
「ナルトの奴が目にゴミが入ったっつーから、見てやってただけだ」
「なんだ、二人して顔近づけてるからキスでもしてるのかと思って焦っちゃったよ」
「何言ってんだってばよ!キスなんかしてるわけねぇだろ!しかも相手は男でサスケだし!」
笑いながら言ったチョウジにナルトは顔を赤めながら、動揺する自分を隠すようにわざと声を荒げて否定した。
「そりゃサスケは男だけどカッコいいじゃん。バスの中の女の子たちって皆サスケを狙ってるっぽいよ。眼鏡も似合ってるし」
「そこのウスラトンカチは似合わねぇって言ったけどな」
ぼそりとつぶやいたサスケに、あははと笑ったチョウジが細い目をさらに細めてナルトの背中をばんと叩いた。
「またまた、ナルトったら照れちゃって。サスケがカッコいいって認めたくないんだ。ねぇ、シカマル」
先ほどから渋い顔をしていたシカマルにチョウジは同意を求める。ちらりと自分を見たシカマルにナルトは少し焦った。頭もよくやけに感の良いこの友人が、サスケの嘘を信じたとは思えなかった。間違いなくキスしていたと思っているに違いない。だからといって目を舐められてましたなんてことを言えるわけがなく。果たして勘違いされているのと、本当の事を言うのとであったらどっちがダメージが少ないか……。そもそも最後のあれは何だったのか。
「その男前のツラで、せいぜい良い思い出を作ってくれよ。ただし、バス内の女との揉め事はごめんだ」
面倒くせぇ、と口癖になっている言葉をシカマルはあくびとともに吐き出した。
「良い思い出とやらは、さっき作り損ねたがな」
「悪かったよ」
「思ってねぇくせに」
サスケとシカマルの間で交わされる会話に、ナルトとチョウジは首をかしげる。
(良い思い出ってまだあっちに着いてもねぇのに、それにさっきって……)
「……あー!」
「どうしたの?ナルト」
「うるせぇぞ、ウスラトンカチ」
「そろそろ急がねぇと時間ねぇな、行くぞチョウジ」
「あ、待ってよシカマル。ナルトが」
「ほっとけ。どうせサスケのことだ」
スタスタとナルトとサスケの横を通り抜け、シカマルは振り向きもせずに手をヒラヒラさせた。その後を小走りでチョウジが追いかける。
「オレらも行くぞ」
「ちょっと待って。さっきの良い思い出って」
歩き出そうとするサスケの腕を掴んでナルトは引き止める。これだけははっきりしておきたい。サスケが自分を見るその瞳の色だとか、危なっかしくて放っておけない理由だとか。何よりなぜ自分がこんなにもサスケを意識しているのかとか。
(だってサスケがそうさせるんだってば)
「良い思い出作るための卒業旅行だろ。オレもその企画にのってるだけだ。お前もそうじゃないのか?」
「そりゃそうだけど」
「それだけじゃない。卒業したらオレとお前は離れちまう。そうならねぇための理由も作っておかねぇと」
眼鏡を指で押し上げてサスケはニヤリと男くさく笑った。一瞬その表情に見惚れてしまって、それを隠すようにナルトは乱暴にサスケの腕を放した。
「意味分かんねぇっ」
「そうか?」
「そうだってば!」
「まぁ、まだ分かんねぇでもいい。あと一日あるしな」
何やら自信ありげにそう言って歩き出したサスケを、呆然とナルトは見送る。
「離れねぇための理由って……今のままじゃ駄目なのかよ」
多分、駄目なんだろう。自分もそれは危惧していたはずだ。だから楽しい思い出を作ろうと計画した。距離が離れてしまうということは、心も離れてしまうかもしれない。距離が離れてしまうことが決定しているのなら、せめて心は離れないように。
「がー!もうっ!」
サスケが具体的に何をしようとしているかは分からない。でも多分それはサスケとナルトのことのためで、寂しいとか、悲しいとか、そんな気持ちを払拭させるものなのだ。なによりサスケが離れないようにとそう思っていることを、自分は嬉しく感じている。
「絶対ぇ楽しんでやる!行くぞサスケ!」
先を行くサスケ目掛けてナルトは走り出す。追い越しざまポケットに突っ込まれていたサスケの腕を掴んだ。
「おいっ」
なじるサスケは無視して随分先を歩くシカマルとチョウジを目印に、ナルトはサスケを引き連れながら思う。

楽しもう、今を。
あきらめないでおこう、この繋がりを。
高速バスの隣の君との距離が、いつまでも続きますように。



END.






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