にて候、



第二章2



舞い上がる砂塵が視界を煙らせる。しかしそれくらいでは真っ直ぐ向かってくる相手のほとばしる熱気は、到底隠しようがなかった。
政宗の一撃を受ける幸村の腕が痺れる。その度にたわむ槍が意志を持ったかのように、雷雲の如く放電する男へと振り下ろされた。
互いが放つ闘志ともいうべき強大な熱量が激突し、激しく反発し合う。爆風にも似た”気”を浴びて二人の体が後方へと弾き飛ばされた。
主に仇なす敵を目前としてなお、思い切り槍を振るえる喜びに幸村は打ち震える。
すでにこの身の存在も、槍の重さも感じない。
己が一振りの槍の如く、捉えた竜の首を狙った。
「So_good!良い牙持ってるなぁ真田幸村。だがアンタの牙。この独眼竜が折らせてもらうぜ。覚悟しな」
兜の奥で隻眼が鋭さを増す。にやりと唇の端を吊り上げ、己を竜と称した男は六振りの刀を幸村目掛けて切り下ろす。
それをガチと二槍で受け止め、幸村は猛る思いを咆哮に変えた。
「貴殿が己を竜と例えるなら、この幸村、竜を喰らう虎となりましょうぞ!!」
「Ha!でかい口叩きやがる。アンタは竜に散らされる徒花にでもなっちまいな」
嬉しそうに楽しそうに、しかし本気の殺意を持って六爪を振るう独眼竜を、幸村は渾身の力を持って跳ね返す。
「笑止!!」
陽が陰り始めた薄暗い中で灼熱の眸をむき、幸村は気合の咆哮をあげる。その色は、剣戟が立てる激しい音や血の香りを求め、喉元を過ぎる獣の雄叫びは闇のとばりがゆっくり降りかけた森の空気を震わせる。
紅い炎が宙を飛んだ。それにあわせて蒼い稲妻が踊りかかり、空中で激しくもつれ合う。
唸り吼え、二槍をふるい、猛る魂を全力でぶつけることの出来る至福。
二人は互いの息がかかるほど間近で睨み合った。
その一振りは地を焦がし、牙を起てた。
その一振りは天を貫ぬき、爪痕をつけた。
大地が揺れ、ひび割れる。
天が動めき、色を変える。
よりいっそう激闘の渦へと溺れ込んでいった二人の空間に、誰も近づくことはできなかった。



「やはり、あれはそなたのもとがいちばんのようですね。かいのとら」
柄に手をかけ抜刀の構えをとる長年の好敵手に、信玄は合わせたように大斧を引き寄せた。
「手放したこと、惜しむか謙信よ」
信玄の言葉に、謙信は形の良い唇に笑みを浮かべる。
「いいえ。あのようなすがたをみせられれば、おのがせんじゃくにまちがいはなかったとおもいますよ」
「そなたがあれの烏帽子親となり『幸村』と諱を命名したのは、ワシにあやつを戻すと決めておったからか」
信玄は確信を込めた口調で謙信に問う。
真田の長男として生まれた幸村が、弟弁丸を装って越後へ質となっている間、甲斐を取り囲む戦況は劇的に変わった。それは今まで奇妙な隣国関係にあった越後にも同じことが言えた。両国に隣接する奥州が動き出したのだ。両国が天下を狙うに当たって今までであれば互いだけを意識し、勢力を南下させていけば良かったものが、背後の勢力まで注視しなければならなくなった。もちろん信玄、謙信とて背後の憂いを全く警戒していなかった訳ではない。ただ二人の予想を上回る異様な速さで奥州伊達が天下取りに名乗りを上げてきたのだ。
もともと伊達は奥州の強勢力であったが、当主変更を皮切りに前当主の惨劇に続き家督騒動、それを狙いすましたかのように周辺豪族が反旗を翻した。奥州が平定するにはまだ時間がかかると踏んだのだ。しかし、新当主は周辺国の予想を裏切り、親殺しの逸話を真実と裏付ける非道とも言える知略策略を用いた勢いで勢力を伸ばし、瞬く間に奥州を平定してしまった。その破竹の勢いで広大な奥州を平らげた猛将こそが、独眼竜の異名を持つ伊達政宗、現在この武田軍と上杉軍の合戦に割って入ってきた若き奥州王であった。
背後の脅威となった伊達の介入により、武田はより強大な勢力を持つ豊臣と同盟を結ぶことを選び、上杉との同盟を破棄した。その混乱に上じて上杉から弁丸らを呼び戻したのだが、その時彼らに手を貸し土壇場にきて元服までさせたのは謙信公本人であったという。
その意を問えば意味深な謙信の微笑。
「いかようにも」
そう短く答える謙信に、信玄は厳しい目を向ける。
「敵の内まで考え剣を振るうか、謙信よ。弟幸村の死はそなたのせいではないわ。あやつがそれまでの男だったというだけの話し」
信玄の弟もまた幸村という名であったが、武田軍の副大将として上杉軍と二度目の川中島での合戦にて散った。死者の数では上杉方が上回ったが、副大将その他重臣を失った武田側の劣勢となり、和睦は上杉側に有利な条件が提示された。その中に真田家次男の引き渡しがあったのだが。まさかそれに己の弟の名を与え、あまつさえ逃亡の手助けまでするとは。
「ゆきむらのなは、わこのけいまいからつけたもの。うぬぼれもたいがいにされよ」
しかし妙齢の美人はさらりとはぐらかす。
「ふん、言いよるわ。兄信幸、妹村松からとったと言いはるか」
「そういなし」
あくまで真意は語らぬと、その切れ長の眸が細められる。
とその時、中洲のぬるんだ地面が大きく揺れた。各々の陣より唐突の地揺れに驚愕の悲鳴が上がる。
両者ともある一方に首を巡らせた。そこからまばゆいばかりの光が天を突き抜け凄まじい爆音が上がる。すぐ様それによって生じた熱風が物凄い勢いで大軍せめぎあう中を怒涛の如く吹き荒れた。
臣下の忍より不貞の輩の影ありと報告を受け、幸村を討伐に当たらせたのは信玄である。まさにその方角からの余波を全身で受け止めた信玄は唇の端を吊り上げた。
それは信玄の良く知る弟子の若き猛り。それを上回りそうな勢いで激突し喰らいつくは蒼い波動。
「昔を思い出すわ。のう、謙信」
「まるでそうしゅんのごときすがしくわかきたましい。いまこのむねによみがへるここちですよ。かいのとら」
互いに見詰め合い、その邂逅を喜ぶ。痛いほど吹き付ける若い波動は、出会って間もない頃の情景を蘇らせた。
「ならば始めるか」
「むろん。そなたにめぐりあえしこのめいうん、これでさいごといたしましょう」



がくがくと膝が震え、一呼吸するたびに大きく肩が揺れる。膝が地に付きそうになるのを、幸村は必死に堪えていた。
ここで無様に倒れ、敵の前に平伏すなど許されなかった。今この槍がしなるのは私怨でもなければ、私欲でもない。己の矜持や誇りさえ越えた先にある、ただ一人の御方の為だけに、この槍は折れることなく幸村の牙となり振るわれるのだ。
己の持つ全ての力、それは真っ直ぐ慕う主へと返らなければならない。それを最期まで果たすことが忠義を誓った武士の誇りであり、幸村が最善と命を賭して守らなければならない矜持だった。
なのにそれを突き崩す勢いで蒼い稲妻は、純粋な殺意だけを幸村に向けた。
何という覇気――――――!
何という強さ――――――!
具現化するほど密集した蒼い闘気は、まさに天を割る雷鳴のような激しさで幸村を何度となく襲った。皮膚を掠るだけで血飛沫が上がり、冷気のようなそれは容赦なく傷口を焼いた。
しかし、そんな痛みなど幸村の歩みを止める何の障害にもなりはしない。
最期の一呼吸まで主の為にこの命の限り戦うのだと誓った時から、自分は熱く猛る魂を胸にただ牙となり道を阻む敵を殲滅させると心に決めた。苦痛や恐怖に屈するなど武士にあらずと。
そうやって邁進してきた自分に、竜の化身はその鋭い眸ひとつで、強烈な感情を植えつける。
この男にだけには負けたくないと自ずから湧き出る闘志。
互角以上の力で刃を向け合い切り結ぶことの出来る僥倖。
槍を振るうそこに、幸村の中でもはや竜以外の存在は完全に切り離されようとしていた。
まさにその時、何もかもを忘れただ天敵と定めた相手の喉笛に喰らいつこうと、幸村が二槍を握る手に力を込め地を蹴る一瞬の前、鋭い牽制の苦無が両者が踏み出そうとしていた地面へと音を立てて突き刺さった。
はっと上空を見上げればそこには、真田忍隊隊長猿飛佐助が移動用口寄忍鳥で浮遊する姿があった。
「ちょいとごめんよー」
今までの緊迫した空気をぶち壊す軽い口調が降ってきて、始めて幸村は今の状況を知ることが出来た。落ちかけていた陽は完全に没っし、辺りは二人の攻防の末見晴らしが良くなってはいたものの重い闇に包まれている。遠巻きにこちらを伺う互いの陣より掲げられている松明だけが、暗くなった唯一の明かりという中、佐助は音もなく幸村の背後に着地した。
「お楽しみの所邪魔して申し訳ないんだけど、大将が呼んでるからこのまま連れて行くよ」
ぐいと腹に佐助の腕が回り、幸村はぎょっとする。
「ちょ…!どーゆうことだ佐助!まだ俺は独眼竜との決着が着いておらんというのに!」
全力以上の力を出し切った激闘は、佐助の腕を跳ね除けることが出来ないほど幸村を消耗させていた。
「おい、てめぇ。お楽しみと分かっててオレとこいつのPartyを邪魔しようってのか。良い度胸してんじゃねぇか。先に殺されてぇか」
闇の中でも眼光閃く隻眼が、仲裁に来た忍に失せろと凄む。
しかし、言葉の内容ほどの破棄は足りず、すぐさま攻撃を仕掛けてくる気配はなかった。あちらも相当の体力を消耗しているらしい。
「俺様なんて損な役周りだよ」
佐助はわざと茶化した口調で嘯くと、己の主に向かって明るく言う。
「別にね、俺様も好きで邪魔しに来たんじゃないんだから。真田の旦那、撤収の狼煙に気づかなかったでしょ。大将に殴られるだけじゃ済まなくなるからね。急ぐよ」
互いの兵達が集まって来たのを確認して、佐助は軽やかに地を蹴った。
「Shit!真田幸村ぁ!てめぇ逃げんのか!!」
二人の様子を伺っていた政宗が、本格的な逃走の体勢に入った幸村を鋭く呼び止める。
傍目にもそれと判るほど狼狽した様子で、佐助に抱えられ見下ろす形となった幸村が政宗に応えた。
「に、逃げるのではござらん!!この勝負ひとまずそなたにお預け致す!!いつか必ずや決着を――――!!」
「待ちやがれ、真田ぁ!あいにくオレはそんなに気が長くねぇんだ」
「確かに気は短そうだよねぇ」
おどけた様に佐助が合いの手を入れる。
「そそそそ、某とてここで背を見せるのは流儀に反するが、主君の命とあれば致し方ございますまい!!」
「巫山戯んじゃ―――!!」
「武田騎馬隊撤収致す――――!!」
政宗の怒声に被る様に幸村は号令し、赤で揃えられた騎馬隊が動き出した。静まり返っていた一帯がにわかに騒がしくなる。
「独眼竜殿、某これほどまでに胸が滾り熱くなったのは貴殿が始めてでござる。今度お会いする時がどのような場所であれ、必ずやこの幸村が一番に名乗りを上げましょうぞ!」
ぐんと上昇した幸村は、先ほどまで鬼神の如く槍を振るっていた男とは思えない清しさで輝くような笑みを見せる。
「勝手に自己完結してんじゃねぇ!!見ろ、真田幸村ぁ!!」
もちろんそれを見せられても面白くない男は、報復ともいえる手段を取った。
「え?あ…ああああああぁ!!月影えええぇ!!」
見下ろした先には政宗と、その隣に幸村の愛馬『月影』の姿。手綱を政宗に持たれながら体を揺らして何度も足踏みする様が、月影の心情を如実に語っていた。
「独眼竜…伊達政宗ぇ!!貴様、馬を質に取るとは卑怯なりぃ――!!」
「わわっ!ちょ…ッ!!旦那、落ち着いて!!」
身を乗り出し罵声を飛ばし始めた主を慌てて抱えなおし、佐助が焦る。
「降ろせ、佐助!!今すぐだ!!」
「駄目に決まってんでしょ!お願いだからあんな判りやすい挑発に乗らないで!!」
「何を言うか!!月影はお館様より賜った某の大事な馬!!それを見捨てるなど家族同然のお前を見捨てるも同じ!!この幸村そんな薄情な漢ではないわぁ!!」
「うーん、喜んでいいのか悪いのか。――っとと!だから、落ち着いてってば、旦那ぁ!!」
「へぇ、こいつ月影っつーのかよ。よっと」
上空で騒ぐ主従を余所に、政宗は身軽に月影に跨った。
主人とは違う荒々しい手綱さばきに、主想いの馬は体を揺すって己の背に跨る男を振り落とそうとする。
「Ha!主と一緒で暴れ馬だな!それともただの駄馬か?」
「月影は駄馬などではござらん!!誠賢く勇敢な駿馬でござるああああぁ!!」
「だから、そんな暴れないで、旦那ぁ!!」
主の声を聞きさらに激しく足を蹴り上げ、頭を振って荒々しく鼻を鳴らす月影に、政宗は身を屈めると鋭く一喝した。
「Shut_up!!」
一瞬放電したかのように、二つの影に青白い光が奔る。
「月影ッ!!」
ほんの瞬きの間。しかし、幸村が次に目にしたのは、政宗を背に乗せたまま直立不動した月影の鹿毛が美しい大きな体躯。
大人しくなった馬首に手を這わせ、いつまでも挑戦的な態度で見下ろしてくる幸村に、政宗はそれは意地悪くかつ楽しそうに笑った。
「勝負を預けられても仕方ねぇから、こいつを預からせてもらうぜ。返して欲しかったら言葉通り次の戦場、真っ先に名乗りを上げろ。オレに勝てたらこいつは返してやる」
「そ、そんないつとなるとも判らん時まで月影を貴様などに預けられるかぁ!!」
「なら、取り返しに来るか?オレは奥州筆頭伊達政宗。アンタならいつでも歓迎するぜ?まぁ、その間は丁重に持て成してやるさ」
丁重という言葉が、いたぶると言う言葉に聞こえ、幸村の顔色は真っ青になる。
その様子に溜飲が降りたのか、政宗は満足気に唇の端を吊り上げると、まるで己の馬のように馬腹を蹴り、
「撤収だ、小十郎!!」
と背後に控えていた家臣に激を飛ばした。
奥州筆頭を先頭に遠ざかっていく伊達軍を見送りながら、幸村はむせび泣く。
幼い頃から幸村を背に乗せ、どこに行くも一緒であった愛馬。鐙まで足が届かず、最初の頃こそ佐助に同乗してもらっていたが、ひとりで彼の背に乗れた時の誇らしさは幸村の胸にまだしっかり残っている。
しかも、敬愛してやまない主から賜った賢く美しい駿馬。それを思えば申し訳なさと悔しさで、幸村はどうしても叫ばずにはいられない。
「うおおおおおぉ!!必ずや、必ずや!!そなたを取り戻してみせるぞ、月影!!待っていろ伊達政宗――!!」
「はいはい、カッコ悪いから鼻水は垂らさないでね、旦那」
輝く月を背にいつもより重たく湿っぽく感じる主を抱え、佐助は大げさな溜息をついてみせたのだった。





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