にて候、
第一章4



そういえば聞いたことがあった。何故か女子よりも男子の方が、成人するまでの間に死亡する確率が高いことから、尊い男子の魂は悪霊に連れ去られやすいのだと。だから男子にわざわざ女子の格好をさせることによってその家に男子はいないと悪霊を騙し、子供の無事な成長を願うということらしい。
(人の目は騙せるな)
活発すぎるきらいはあるが、見るものが愛らしいと思わずにはおれないくるくると変わる表情。それに似合った明るく柔らかそうな髪。それらを引き立てる鮮やかな紅い着物に、細腰に巻かれた絎紐。お家代々というからにはどこぞの良家の出であるらしい。身綺麗にされていることからも卑しからぬ身分だと思われた。それが男子だとはまったく残念なことだ。
そう思うくらいに梵天丸はこの童のことが気に入っていた。
今まで梵天丸の近くにいた遊び相手たちは、己の身分からしてまず壁を作り、そして疱瘡に侵された右半分の顔をより遠ざけた。醜く眼球は崩れ跡が残ってはいるものの、今さら伝染ることなどありはしないというのに。
奥州権力者伊達輝宗の嫡男、すなわち疱瘡持ちの梵天丸なのだ。好んで寄ってくるものなどいない。そんな環境でしか自分は人と関わって来なかった。
しかし、目の前でようやく落ち着き所を見つけ、葉の隙間を抜ける淡い陽光を受けて枝木に腰付ける少年の、なんと健やかなことか。何のてらいもない言葉と一緒に向けられる眼差しは、今まで見てきた中のどれよりも強く、そして澄んでいた。
それは自分が誰であるかを知らないからだと、梵天丸も分かっている。今だこの眼下に収まる眸であった物を隠すさらしを取ってしまえば、それこそ悪鬼のような己の顔があった。自分でも眸を反らしてしまいそうになる程の。果たしてそれを知ってもこの童は今と同じように、梵天丸につっかかり、屈託のない笑みを見せてくれるだろうか。
試してみたいことであり、ずっと隠しておきたいことでもあって、相反する己の心情が少し苦しい。
梵天丸は手を顔の右側へとやろうとして、はたと止める。じっとこちらを見る眸とかちあったからだ。
「貴殿は本当に麗しゅうござるな」
「!」
今まさに己の醜さを憂えていたところに、その言葉。
素直に受け取れるものでもなく、反対に自分こそがそう思っていたところであったというのに。
「貴殿の髪にお天道様の光があたって、それがしには青く見えまする」
にこと笑って梵天丸の髪を褒める童を前に、強張っていた体の力を抜く。情けなくもあったが、容姿の話題にはどうしても過剰反応してしまうらしい。
「こんなの他のヤツと一緒だろ」
下らないとばかりに言ってのける梵天丸に、童は目を大きくして否定する。
「そんなことござらん!それがし、このように美しい御髪は見たことがないでござる!」
ぐいと身を乗り出してくる童に、梵天丸は肩をすくめた。
「まぁ、手入れはしてある方だろうからな」
そう言いながら、奥州に残してきた乳母を梵天丸は思い出していた。彼女はとかく自分の世話をしたがったから、ともすれば放ったらかしであろうこの髪をせっせとくしけずり、時に香油を使って手入れした。
「でもオレはアンタの明るい色した髪の方が好みだけどな」
「それがしのでござるか?」
梵天丸の言葉に大仰に驚いてみせると、童は前に下がる髪をひと房手にとってじっと見詰めた。
「貴殿がそう言うて下さるのは嬉しゅうござるな」
言葉通り素直に喜ぶ童から眸が離せない。はにかむようにして笑った顔は、梵天丸の目に大層愛らしく映った。
「鍛錬するに邪魔だとしか思わんかったが、切ってしまわんで良かった」
童の言葉に梵天丸は顔を上げた。
「アンタ、鍛錬って武術もするのか?」
「もちろんでござる!」
その明るい声が、好きだと言っている。
梵天丸ははたと思い浮かぶことがあった。確か今日、信玄公と共に自分と同じ歳だという真田の長男が来ると言ってはいなかったか。上田から人質として甲斐に来ていることから、間違いなく武家の出だろう。岐秀も自分の相手に調度良いとも言っていたではないか。
「もしかしてアンタ……」
「こんなところにおったか、若子よ!」
梵天丸の言葉に被るようにして、地を震わすような声が辺り一帯に響き渡った。
「お館様ぁ!!」
童の眸が今一層強く閃く。喜色を浮かべ、声のした方へと勢いよく振り返った。
そこには屈強な体格の、声同様威厳溢るる壮年の男がこちらに歩を向けていた。その隣には我が師虎哉の姿。とあれば彼の呼ぶ「お館様」とは甲斐の虎、武田信玄公に他ならない。高所の恐怖もどこぞへ行ってしまったような有様で童は声を張り上げた。
「若子よ、お主今まで何をしておった!お主が楽しみにしておった儂と虎哉との仕合いはとうに終わってしまったぞ!」
「なんと!?」
信玄の言葉に童は目に見えて衝撃を受けていた。
あれだけ騒いで誰もここに来なかった理由はそれかと梵天丸は舌打ちする。皆それどころではなかったのだろう。であれば白熱した仕合だったに違いない。自分が寝汚かったせいもあるが、せっかくの逸興を逃したと思えば、今は目を爛々とさせた童に怒りも沸き上がろうというもの。
しかし、そんな梵天丸のことなど忘れたように、
「それは申し訳ございませぬ!!お館様も認める御仁との仕合い、見ること叶わぬ自体を引き起こしたのは全て未熟なるそれがしのせい!なんとお詫び申し上げればよいことか!!」
どこか芝居がかったような、しかし、目を輝かせてまさに口上を述べる様は本気。信玄の気に入りは身を乗り出し謝罪をする。
「詫びなどいらぬわ!若子よ、お主惜しいことをしたぞ、次こそは同席できるよう心しておれ!」
「うおおおぉ!お館様にそこまで言わせる仕合い、見ること叶わなんだことが悔やまれてなりませぬうううぅ!!」
小さな拳をにぎって咆える童に、信玄は豪快に笑った。
「して、若子よ。なぜにお前はそこにおるのだ?早う降りて来んか」
「も、申し訳ございませぬ、お館様!!実は申しますとそれがし、落ちていたうぐいすの雛を巣に戻したのでございますが、降りれんようになってしもうたのでございます!」
「誠、情けないことよ!だが若子よ。儂とともに戦場にて駆けるとあらば、そのような高所臆しておるようでは話にならんぞ!見事克服してみせよ!!」
「うおおおぉ!お館様ぁ!!それがし、そのような事にも気付かぬとは何たる不覚!!お館様のおっしゃるとおり、見事克服してみせましょうぞ!!」
「その意気じゃ、ならば来い!若子よ!!」
「分かりましてございます!!」
面白いくらい信玄公に煽られた童は意気揚々と、しがみつく事しか出来なかった枝の上に立ち上がる。その様子にぎょっとしたのは梵天丸だ。その高さ、受け止めることが出来なければ、小さくはない怪我をすることは必須。
「では、参る!!」
今まで下を覗けば顔を青くしていたとは思えない変わりようで、童は枝を蹴った。
そこに迷いや、戸惑いは一切なく、ただ己が望む先しか目に入っていなかった。

なびく髪と紅の衣が中を舞う。

梵天丸は瞬きすることもできず、その光景に魅入っていた。





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