†恋は夜の帳に歌われる†



嵐のような桜色の訪問者が去ってから、うちは邸の比較的居間から近い場所にある和室では奇妙な沈黙が漂っていた。
ここの玄関で意識を失ってから半日以上こんこんと眠り続けていたらしい自分が目を覚ましたのは既に日も暮れて、障子が薄紅に染まる頃。そう時をせずしてここを訪れたのは旧知の仲である春野サクラだった。
やはり力いっぱい、いや彼女が本気を出せばここのガラス戸など破壊されてしまうことは必須なのだが、ナルトにそう思わせる程には十分乱暴に扉を叩きながらここの主人であるうちはサスケの名前をサクラは連呼した。
その突然の訪問者に顔色を変えたのは時間の感覚が危ういながらもサクラが部屋に来ることを思い出したナルトで、彼女が迷わずここに訪れた事に己が部屋に残していった文が彼女の目に曝されたことを知る。無視を決め込もうとしていたサスケに懇願して彼女を通してもらったのが1刻半程前。かくしてサクラの独壇場はナルトの危惧など知らぬ存ぜぬで、無茶をして傷を開かせた事に対してのみみっちり続いたのだった。
そうして嵐の過ぎ去った今、ナルトの横になる和室が静かになるのは当然で、しかしそれが不自然であると確信してしまうくらいこの部屋には奇妙な沈黙が続いていた。
重苦しいわけでもなく、緊張の糸が張り詰められているわけでもなく。
色で言うなれば、散々ナルトに正論と言う武器で打ちのめしていってくれた彼女の髪の色のような空気が一方的に作られているのだ。
その現況たるはナルトが目を覚ましてからこっち、甲斐甲斐しく自分の世話をする目の前の男であって、お前キャラ違ってるんじゃと思わず口に出して言ってしまいそうになるナルトであるが、これが素だと言われるのもまた怖くもあり、そういう訳でこの奇妙な沈黙はまだ続いている。
今ナルトの目の前にあるレンゲにはやわらかく炊かれた玉子粥がのっていた。それに関しては特におかしな処はなく、むしろ若干形の残った玉子がなんとも上手そうである。
問題はそれをのせたレンゲでも上手そうに湯気をたてる玉子粥でも当然なく、その粥を作った張本人であり、もっと詳しく言うならばそのレンゲを持っているのは自分の手ではないことが最大の問題だった。
俗に言う「はい、あーんして」の構図である。
己の意思に反して口元に近付くそれを凝視していたナルトに、一瞬前まで何とも言えない甘い顔をしていたサスケがムッと表情を一遍させて、微動だにしないナルトを詰る。
「食わねぇのかよ」
「・・・食うってばよ」
「じゃぁ、早く口を開けろ。冷めるだろうが」
それはそうだろう。きっちり一口分すくいとられたお粥は随分前に丁度食べやすいくらいに冷まされているのをナルトは知っている。
こうやってナルトの前に差し出される前にフーフーとサスケの息で冷まされていたことを思い出し、そこも問題であったとナルトは思考停止一歩手前の頭で思った。
(もしかしたらそれこそがこの空気の発端かもしれねぇってば)
しかしこうやって頭も体も停止しているわけにはいかない。この場にそぐわぬ腹の生物が今にも一斉に鳴き出しそうなのである。
要は腹が減っているのだ。
「自分で食えるって」
「お前右腕上がらねぇだろ」
やはりムッとしたようにサスケは応答する。こうして見るといつものサスケなのだが左手に碗を右手にレンゲを持って差し出している様はどこまでもナルトの知っているサスケではなく、それらが徳利と猪口であるならば問題は半減したのにと、半ば諦めの極地でそんな事をナルトは思いながら現状を打破するべく口を開いた。
「レンゲだったら左手でも食えるってば」
「いーだろ別に。こんな時くらい」
サスケはそう言うとこのレンゲにのったお粥より、もしくは熱いであろう熱心さでひたとナルトを見つめる。青みがかって見える黒い瞳がナルトの要望を却下しているようだ。
自分は何か間違っていることを言っているだろうか。百歩譲って箸を使って食べないといけない代物であったならば、これもありかもしれない。しかしである。目の前に用意されたナルトの食事はお粥であって、それを食べる為のレンゲとは、つまりは匙であってスプーンなのだ。両手が使えないならともかく、ナルトにとっては有り難くも左腕は健在。何故に人の手を借りなければならない、というのがナルトの言い分である。
「自分で食えんだから食わせろってばよ」
「何で?」
さも意味がわからないとでも言うように、サスケは疑問を口にした。
だーかーらー、とナルトは肩を落し気味にサスケに向かって取り敢えずの相互理解に挑む。
「恥ずかしいだろーが」
ナルトの否やはこれにつきる。
もういい加減自分達もいい大人で、短くはない付き合いだ。昨日のすったもんだのやりとりでサスケという人となりを再学習したナルトは己の理解できる範囲で、サスケの深いところまで知っていきたいとは思っているし、暴走気味の彼を自分が止めずして誰が止められるというのだ、と半ば責任感も手伝ってそう思っている。でもその役は出来れば辞退したい処ではあるのだが。
目線を差し出されたレンゲからサスケへと移し、ともすれば赤くなりそうな顔を必死で押さえてそれだけ言った。出来ることなら今猛烈に叫びたい。
(あああ!何かすっげえ嫌とかじゃねぇけど何か何かここから逃げ出したいってばよ!!)
そんなことをしようものなら、実は結構おセンチなこの男は次に何をするか分からないのでナルトは心の中で叫ぶに留める。
そしてナルト同様頑固なサスケのこと、このとほほな攻防はせっかくの玉子粥が冷めてしまうまで続くのではないかと思われたが、あっけない程のサスケの妥協で幕を閉じた。
そんな訳でまだ十分に熱い碗とレンゲはナルトの手の中にある。
「いただきますってばよ」
拍子抜けしたように、それでもまずは感謝の言葉を口にして、ナルトはかろうじて湯気を立てる粥を口に運んだ。
怪我人を気遣ってやわらかく炊かれたお粥はふんわりとした玉子によく合っていてやはり美味しかった。ナルトの嗜好を知るサスケなだけあって濃くない程度に味付けをしてあり、一口食べただけであるのに何だか体の奥からじんわりと温かいものが広がるのだった。
今だから気付くサスケの好意に、悪い気はしないとナルトは素直に思う。
もう一口と粥を救い取ろうとしたとき、
「ナルト」
サスケに名前を呼ばれた。
え、と顔を上げた瞬間唇にレンゲではない柔らかなものが触れた。
それがサスケの唇だと気付いて反射的に押しやろうと思ったのだが、両手が碗と粥ののったレンゲを手にしていることに気付く。
ナルトが顔を背ける前にぺろりと彼の唇をひと嘗めしてサスケの唇は離れていった。
「ササササ、サスケええぇー?!うわっちぃ!!」
驚いたのと、すくった粥が碗を持つ手にかかって熱いのとでナルトは軽くパニックを起こした。熱さで、いやサスケの唐突な素行に碗をひっくり返さなかっただけでも偉かったと自分を褒めてやりたい。
「馬鹿!手ぇかせ」
そう言ったサスケに碗を取り上げられ一緒に持ってきていたおしぼりでかかった粥を拭われた。
「火傷はしてねぇみたいだな」
少し赤くなってはいるがこれくらいたいしたことではない、それよりも、
「お前ってばお前ってばっ、いきなり何すんだってばよ!」
ナルトはサスケに向かって声を上げた。
せっかく今までこのこっぱずかしい成り行きを叫ばずして我慢していたのに、もう本当にどんな顔をしていいのか困ってしまって照れ臭くて、こんなに恥ずかしいのは生まれて初めてだとナルトは恐らく真っ赤になっているであろう顔に集まってくる熱をも意識しながら思った。
別にキス自体が恥ずかしい訳ではない。人並み程度にはそういったお付き合いも無きにしも非ずなのだ。それでもキス一つでわーわー騒いでしまうのは、長年の友人という間柄が照れを増幅させてしまっていたり、昔から冷めた雰囲気の奴が意外にも情熱的であったり、それがあのナルトの良く知るサスケだからであって、そんなナルトの知らないサスケを見せつけられる度に平常心ではいられないのだ。
「口に触るくらい、いーじゃねぇか」
そんなナルトの思いなど知る由もないサスケは己の常識をナルトに押しつける。
言葉で聞くとたいしたことはないように思われるが、さっきのは手で触るとかいうような類のものではなく、どう湾曲に考えても唇で唇に触れるのであればキスだろうっ、とナルトは思うのだ。
「苦しいのは嫌なんだろ?」
さらに見当違いな発言をサスケは口にする。
なんだ、その怪我に障らなければ何しても構わない的な発言はっ。
「確かにオレってば、そーゆー風にもとれるような発言はしたかもしんねぇけどっ。もうちょっと待てってことだ!」
「充分待ってるじゃねぇか」
「全く待ててねぇ」
「慣れだウスラトンカチ」
「慣れるかー!んな恥ずかしいこと!!」
ナルトはぜーぜーと肩で息をする。
どうしてこうも意思の疎通が上手くいかないのだろうか、とナルトは半ば投げ出しそうになりながらもどう言ったら伝わるのか考える。
もうこれはどうしようもないのだ。相手はサスケ。だからナルトは恥ずかしくて仕方がない。
「お前が今拒絶するのは、恥ずかしいからだけか?」
存外に真剣にサスケはナルトに問いかける。
そう言われてナルトは、自分の中にサスケとキスをするという行為に嫌悪感がないことに気付いた。
それと同時にサスケの危惧していることにも。
だからナルトは素直にああ、と頷いた。
どうしても気まずくてサスケの顔を見ることは出来なかったのだが。
それでもナルトの返答に安堵したのか、隣でサスケが深く息を吐いたのが分かった。
ナルトとてサスケのことは好いていたし、そうでなくてはこんなにもサスケに依存する訳がない。いつも負けたくはないと思っているから小さなことまで反発してしまうが、それでも自分にとって目の前の男はまた特別なのだ。
「サスケが嫌だからとか、気持ち悪いからとかじゃねぇよ」
その言葉を聞いたサスケは心持ち表情を緩めると、
「そしたらもう慣れるまでとことんてめーを追い詰めるしかねぇな」
からかうわけでも揶揄するでもなく、至って真剣にそう呟いた。
「え」
「これからてめーが慣れるまで好きにさせてもらうからな」
そして続くサスケの言葉にナルトは後悔であるとか、学習能力であるとかそういった単語を連想する。もしかしたら自分はとんでもない相手を選んでしまったのではないかと、この時ばかりは自責の念にかられるだなんて、おおよそ似合わない感情を持て余すナルトであった。





何だか初々しいナルトですが、やっぱり長年の友人が恋人?になるのはありえん程の羞恥心があるだろうなぁと。
甘い空気漂ってますが、もう少し二人にはこの雰囲気で続きます。






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