†恋は夜の帳に歌われる†



色気も素っ気もなくがつがつとお粥を食らう怪我人を横目に、湯飲みにお茶をついだサスケは切れ長の瞳をやや細める。たったそれだけであるのに驚く程その表情は柔らかくなった。よほどこの男には似つかわしくない、優しいだとか、甘いだとかそんな言葉が当て嵌まる顔をしているのだ。そのことに本人が気付いているかどうかは疑わしいところではあるのだが。
耳まで真っ赤にしていたナルトをまずは冷めてしまうからと食事を再開させた。
恥ずかしさを紛らわせるかのように、サスケの作ったお粥をナルトは掻き込むようにしてその唇に何度も運ぶ。
利き手が使えない為やむを得なく左手でレンゲを使っているせいで、さっきからナルトの手つきはぎこちなく危なっかしい。
だからすくった粥を自分の口ではなく、手の上に落とすなんて器用なことをするのだ。さっさと自分に食べさせれば良かったものをと、長年の想い人を心の中でサスケは詰った。
ただそれはサスケの唐突なキスのせいであって、ナルトに落ち度はないのだが、手を伸ばせば簡単に触れられる距離に彼がいる目も眩むような幸福がサスケの認識を誤らせる。彼の表情が蜜あめのように甘くなるのも道理であった。
そのサスケの様子にナルトはせわしなく動かしていた手をぴたりと止め、ムーっと唇をとがらせるとサスケに向かって、
「そんなに見んなってばよ。食いにくい」
たまらず抗議の言葉を口にした。
「気にすんな。別に何もしねーから」
今は、とサスケは心の中で付け足す。
「当たり前だってばよ」
憮然としてナルトは食事を再開した。サスケの心の内など知らずに。
サスケが長の間想い続けた目の前の怪我人は、自分を受け入れたにもかかわらずつれない態度を崩そうとしない。これでは前の方がいっそナルトは自分に対して心砕いていたように思う。しかし、
(嫌がってねぇからな)
サスケはナルトを見つめる瞳をさらに細めた。
粥を嚥下するたびに動く喉元であったり、蒸気して色づいた頬であったり、ナルトの全てがサスケをたまらなくさせる。
ナルトの言うように急ぎ過ぎている感は否めなかった。
だが手にした途端手放すなんてサスケとてごめんである。引き際は心得ているつもりだった。それでも彼に触れて存在を確かめ、唇を寄せるのはもう無意識としか言いようがない。
さすがの彼も十数年に及ぶ積年の想いを抑制するのは困難であったのだ。
ただ本気で嫌がるナルトにどうこうしようと思う程自分も下郎ではなく、もしそんな事が起ころうものなら死んで塵となってしまえ、と半ば己を脅すように戒めたりもしている。
先程のやり取りなどなかったかのようにナルトはすっかりいつもの調子で食べきると、空になった碗をサスケが差し出した手に渡した。
「ごちそーさま、だってばよ」
そう言って満足そうにナルトは行儀良く手を合わせる。
そして、もう大丈夫だと動き回ろうとする怪我人を、サスケは無理矢理布団に押し止め、サクラの持ってきた藥を飲ませた。することがなくなって暇だとぶーたれるナルトの話し相手をしていた時、
「お前、もう忍はやんねぇの?」
思い出したようにナルトがサスケに聞いてきた。
ああ、そうか、とサスケは思う。
自分が里を出るきっかけにもなった事情を今まで一度も話してなかったことに思い当たったのだ。
「お前には言ってなかったけど、忍は辞めてねぇよ」
「はああぁ?」
「他国で間諜をやってた」
身を乗り出して驚くナルトに、どうとでもないとでも言うようにさらりと言ってのけるサスケである。
「間諜って暗部の任務じゃねぇか」
「ああ、だから1年2年の長期任務はざらだったな」
「じゃあ、じゃあ綱手のばあちゃんも知ってたのかよ?!」
「当たり前だ。直々に任務を下したのが火影だからな」
サスケはナルトが何と言わんとしているか、だいたいの想像が付いた。
「言っておくが人には向き不向きがある。直球勝負じゃ話にならねぇ。あの時お前がいくら火影に頼み込んでも即刻却下だったぞ」
それに暗部の任務は守秘義務があるから知らなくて当然だ、とサスケは付け足した。もしサスケが里を出る際この事を言っていたならば、ナルトは何がなんでも着いてこようとしただろう。任務という名の免罪符をそれと知らずに掲げてサスケを追ってきたに違いない。それでは意味がなかったのだ、あの時のサスケには。
自分でも処理できない妄執とも言える想いを抱えていたサスケには、ナルトと一緒にいることに安らぎを見い出せず、己の汚いところばかりが浮き上がって更に己を苛んだ。
触れてしまえば終わりだと、尋常でない程に追い詰められていたのだ。
そんな矢先に暗部昇格による新しい任務。サスケが飛び付かない訳がなかった。
火影を疑ってはいなかったが表向き自主的に里を出るという設定であったサスケは、自分が里を出る事を何故許可したのかとナルトが火影に問い詰めに来るだろう事を予想して彼女には守秘を約させた。
初めての暗部としての任務が完了し綱手の元を訪れたとき「あの坊やをやり込めるのには骨が折れたぞ」と詰られたのを複雑な気持ちで聞いた記憶がまだ残っている。
「ずりーってばよ、二人してオレを騙してたなんて」
「これは騙す騙されるの問題じゃねぇだろ。それにあん時のオレにはそーするしかなかったんだ」
「何で?・・・・あ・・・」
深く考えもせずに疑問を口に出してはみたものの、昨日の今日の出来事だ、サスケの事情を察したらしい。そんなことが手に取るように分かるナルトの反応だった。
「察しの通りだ。もうこの話しはいいだろ。そろそろ包帯を変えるぞ」
「うん」
ナルトは神妙な面持ちで頷いた。きっとサスケの事情とやらを思い出し、考え込んでしまったのだろう。
サスケはサクラが持参してくれた応急セット一式を布団の側に置くと、ナルトが否やを唱える前に湯を張った桶を用意した。
それを片手にサスケが部屋に入ってくるなり、
「何だってばよ、それ」
ナルトは一瞬ぎょっとしたようにサスケの用意した桶を指差し、分かり切っているだろうにその存在の意義を申し立てた。
「傷を消毒する前にてめーの体を拭くんだろーが。風呂はまだ無理だってサクラが言ってたからな」
サスケはわざとサクラの名前を出し、ぐずるだろうナルトを牽制する。
「それくらい自分で―――――」
「出来ねーだろ。背中を拭くだけだ、後は自分でしろよ。それにてめーがぶっ倒れた後の包帯はオレが巻いた。今更だろ」
サスケはナルトが全てを言い終わる前に言葉を被せた。そしてさらに言い募る。
「そんな意識すんじゃねぇよ。オレまで変な気分になるだろーが」
これは嘘である。
いつもサスケはナルトを意識していたし、今もサスケを意識しているナルトが愛しくて仕方がない。
不埒な真似は慎まなければいけないとは思っている。がしかし、傷口を消毒し包帯を変えることは今や義務であり、体を清潔にする為に拭いてやることは至極当然のことであって、決してサスケの願望からくるものではないのだ。とサスケは心の中で言い訳をする。
「い、意識なんてしてねぇってばよ!」
さっと頬に朱を散らしてナルトはいきり立つ。
そしてふんと鼻息も荒くサスケに背中を見せると、
「背中だけ!ヨロシクオネガイシマスってばよ!」
そう言ってナルトはいっそ潔く上着を脱いだ。
サスケは声は出さずに肩を震わせて笑う。ナルトという人となりはいつまでたっても変わらないと思いながら。
あまり笑い過ぎると今度は臍を曲げてしまうだろうことは安易に想像できたので、口元だけに笑みを残してサスケは湯にタオルを浸した。
しかしながらナルトも一端の忍、サスケの配慮も無駄だったようで、
「早くしろってばよ!!」
と不機嫌そうにサスケを促すのだった。
「傷はもう痛まないのか?」
サスケはそうナルトに問いかけると包帯を丁寧に解いてゆく。昨日見たナルトの体には、無数の小さな傷跡があったのだが、今はよく探しても見当たらなかった。
「動かなかったら平気だってばよ」
「そうか」
包帯も傷口に当てていたガーゼも取り去って、サスケは背中にあったはずのそれが殆ど塞がっているのを見て安堵した。
前から貫かれたことが一目で分かる傷痕だったのだ。今は肌の色よりピンクがかっていて塞りかけている部分が少し盛り上がっているだけだった。
サスケは熱めにした湯でしぼったタオルで、まだ痛むであろう傷口は避け、背中から腰、肩から首筋と丁寧に拭いていく。
あまり逞しいとは言えない体だったが、程よくしなやかな筋肉もついていて奇麗な凹凸をした肩甲骨のラインがサスケの目を奪った。それが自分と同じ男のものであるとか、女とは似ても似つかない丸みのないものであるとかそんなことは関係なくて、ただナルトというだけでサスケは魅入ってしまう。
今ここに口付けたなら、ナルトはどうするだろうか?
ゆっくりと下がっていく唇を止めることはせず、そんな事をサスケは陶然と思った。
そして、痛々しくも色づいたそこに唇を落とす。
「サ、サスケ?!何やってんだってばよ?!」>
背中に感じる吐息とあたたかくもあるそれに、ナルトは訳も分からず慌てて問い掛ける。
「ちょっ、サスケっ」
「無事で良かった、ナルト」
サスケは低く押し込めた声で言葉を紡いだ。
じっくり見て、この傷があと少しでもズレていたならば、こうしてナルトは自分の隣にはいなかっただろうことを実感して、サスケはここにナルトを還してくれた偶然と九尾の恩恵にこの時ばかりは感謝する。
今になって溢れてきたナルトへの気持ちをサスケはどうすることも出来なかった。
体中を渦巻く熱に抗えない。
それがナルトであるからと分かっているサスケは戸惑いはしなかった。
しかしこの状態でさえ警告の鐘はうるさくも鳴っているのだ。
それも分かっている。
ただ後少しだけと。
彼の体温を、
その熱を、
においを、
感じていたい。
確かに己のものであると確信したくてたまらなかった。
「ナルト・・・」
熱に侵されたように何度もその名を呼びながら、サスケはまだ引きつるその傷跡に舌を這わせた。
鋭敏な舌はまだ癒えきらない傷跡の小さな凹凸でさえも感じとる。ざらりと引っ掛かりを感じたそこをサスケは丹念に嘗め上げた。
その時、咄嗟に声を飲み込む気配と微かに震えたナルトの体を意識した途端、サスケの体を痺れにも似た快感が走り抜け、理性という手綱が焼き切れたのを眩暈にも似た恍惚境の中で感じた。
たまらずサスケはナルトの首筋に唇を押し当てる。
びくりとナルトの体が先ほどより大きく震えた。
「サスケっ」
「好きなんだ、ナルト」
サスケは唇をナルトの首筋から離して呟くと、後ろから抱き込むようにして両腕を回す。
ナルトの背中と自分の胸がぴたりと重なり、サスケは自分の心臓がめちゃくちゃに鼓動を打っていることに気付いた。剥き出しの肌に触れる両腕に更に力がこもる。
「好きなんだ」
ナルトの耳元に唇を寄せて、伝われよ、と吐息とともに言葉を吐き出す。
目の前にある、既に手が唇が触れいてる甘美な存在に、もう抵抗出来るとはサスケは思わなかった。





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