†††春情遊戯†††



「ぶわっくしょんっ!!」
盛大なくしゃみの後にずずーっと鼻をすすりあげたナルトはむずむずする鼻を袖で乱暴に擦った。
「すっげー埃っぽいってばよ」
房の付いたハタキ片手にナルトは低く唸る。
一見綺麗に片付いているように見える部屋ではあるのだが、ただ極端に物が少ないからそう見えるだけであって、実際は測れそうな程の埃が積もっている。その救いようのない部屋をナルトは一瞥し、はぁ、と本日何度目になるか分からない溜息をついた。
それもこれもこの無駄に広すぎる屋敷とその主人の提案した罰ゲームのせいであり、すなわちは全てうちはサスケのせいなのである。
しかし、まだ12歳の身空で何でこんな立派な屋敷にしかも一人で住んでいるんだ、そのお陰で当分はここに入り浸らなければならないではないかという見当違いのナルトの恨み言も、上司であるカカシからその辺の事情をそこはかとなく聞いてはいたのでぐっと我慢のナルトであった。
それでもざっとこの屋敷の両手では足りない数の部屋であったり、荒れ放題伸び放題の庭であったり2つもある蔵を案内をされた時には目の前のセル仲間とその上司に殺意を抱いてしまうのは仕方がなかった。いや、心の中でなら全ては許される。口にさえしなければいーのだ。
不穏な思惑に心を馳せていた時、背後で人の気配がした。
「少しは綺麗になったかよ?」
襖を開けて入って来たのは、今まさにナルトの世界でボコボコにされそうになっていたサスケである。本当に運のいい奴だ。
ムーっと唇を尖らせ目を細めて見せるナルトを余所に相変わらず表情の乏しい顔に口元だけ器用に吊り上げてサスケはニヤリと笑って見せた。
「何ムクレてんだ、ドベ」
「オレがどんな顔しよーがサスケには関係ないってばよ。言われたことはちゃんとやってるだろ」
これがムクレずにいられるかっ!?とナルトは顔には出しても口には出さなかった。そんなやり取りはナルトが朝からここに来て昼過ぎになる今の時間までに何度となく経験済である。
「じゃあメシはいらねーんだな」
サスケはそう一言残すと律義に襖を閉めて足音もなく台所へと向かって行く。
一瞬言われた意味を理解しあぐねて、その場にポカンと口を開けていたナルトであったが、ぐーと鳴いた己のお腹に催促されると慌てたように、
「いるいる!!いるってばよサスケっ!!」
ナルトは持っていたハタキを放り出して慌ててサスケの後を追ったのだった。




ナルトはやや遅めのお昼をサスケと頂き、ここはいいと言われている台所と続きの居間で食後のお茶をすすっていた。
台所からは食器を洗っている水音が聞こえてくる。もちろん洗っているのはサスケだ。
決して口に出すつもりはないが、昼飯と称して用意されたそれらはとても美味しかった。お醤油を少し垂らしたダシ巻玉子はふんわりとしていたし、昨日の残りだと言っていた白身魚の煮付けはあまり魚を好まないナルトでも、その煮汁だけでご飯をお茶碗3杯はいけそうな代物であった。
何でも出来る奴ってのは料理まで出来んのかよ、と非常に美味しく頂いたことなど隅へと追いやってナルトは心の中でサスケに毒づく。
そういえば手料理を食べたのは先月のイルカ先生宅のお鍋以来であったとナルトは思い出した。
かの厳しくも優しいナルトの恩人の食事サイクルは寒い時期には鍋、暑い時期にはそうめん、外で食べるなら一楽のラーメンとナルトでも分かりやすいパターンで構成されている節がある。それに比べるとサスケはどうやらまめなようだ。
この満腹感をもう少し味わっていたいナルトであったが、調度飲みやすい温度にまでなったお茶を一気に流し込み腰を上げようと座卓に手を付く。嫌なことはさっさと済ませてしまうに限るである。ただ余程手を抜かない限り今週中に終わるということはないように思えた。いかんせん広過ぎるのだ。
その時洗い物を済ませて戻って来たサスケに、部屋を出ようとしたナルトは声をかけられた。
「修業付き合えよ」
え、とナルトは思う。意外なサスケの提案に一瞬言葉を返せなかった。
「だって、これから掃除」
早く掃除をしろと言われこそすれ、いかにもナルトが選びそうな昼食後の予定を言ってくるだなんて、
(何考えてんだってばよ、サスケの奴)
ナルトの言葉にふーんと気のない反応を示すと、サスケはあっさりと背を向けた。
「留守番しといてくれ」
そうナルトに言うと、サイドテーブルの上に置いてあった忍具入れとホルスターを掴み玄関の方へと向かっていく。
その後ろ姿を目で追いながらナルトは少し思案した。
修業はしたい。それはもう相手がサスケであるというのならこれ程絶好の相手はいないと思う。しかしである。この無駄に広いうちは邸の掃除を主人の批判なく完全制覇しようとするなれば何日、いや何週間かかるか分かったものではない。休日である今日も晴天、手を付けずしていつ付けると言うのだ。
でもこんな休日の時間もある時に相手がいるというのはとてつもなく魅力的ではないか。
あーうーと頭を抱えるナルトであったが、実際悩んでいたのは十数秒のこと。何だか昼食からこっちサスケのペースになってる感は否めないが、
「待てってばよサスケェ!!オレも行く!!」
ナルトは玄関にむかって声をあげると、元気よくサスケの後を追ったのだった。



いつもの演習場ではなく近くの森の中で、二人ドロドロになるまで修業した。
お互い気の済むまでやりあって、気が付けば辺りは薄暗くなっている。このまま帰ると言うナルトに、飯はどーすんだと言う遠回しのサスケの誘いに正直なナルトのお腹はどうにも歓迎してしまって、断る理由もなく、またぞろうちは邸へと二人して戻ったのが1刻半程前。やはりイルカ宅では味わえない美味な夕食を頂き、今ナルトは両足を悠々伸ばしてもまだ有り余る広さの湯舟の中にいたりする。
どこで道を踏み外したのか。
顎まで湯に浸かってナルトは考えた。
夕食は昼の間に下拵えしてあったという鶏肉のつくねハンバーグ、ナルトの分には半熟にした目玉焼きが乗っていた、それとえんどうの胡麻和えにキャベツの酢付け、豆腐とエノキの入ったお味噌汁。きっとナルトが掃除をしている間に用意してあったもので、サスケは始めからナルトの分まで用意していたことになる。
(何だかなぁ)
両手に湯をすくってばしゃばしゃ顔を洗った。
ナルトが風呂に入る前、新しい下着と服を用意しておくと言ったサスケを思い出す。特に気負った風もなく、いつも通りの不機嫌そうな顔と声でナルトを風呂へと追いやった。いずれお前が掃除する場所なんだから気にすんなと余計な一言まで付け足して。
全くもってムカつく奴である。それでも何だかんだとくつろいでしまっていて、こんなにべったり誰かと1日を過ごすのは初めてだからなのだろう、自然とナルトの口元には笑みが浮かぶ。
いつもより時間をかけてお風呂を使わせてもらい、戸惑いながらも脱衣所に用意されていた下着と部屋着に袖を通した。
「サスケの服・・・」
変な感じだ。
自分はいったい何をしに来たんだと、今更ながらに思う。
今日はもう風呂も済ませてしまって身奇麗になっているから、本来の目的である掃除はしたくない。
任務が終わってすぐにここに来て掃除をしたとしても、次の休みまでに終わっているとは到底思えなかった。なので今日借りた服諸々は、次の休みの時にでも返そうとナルトは思う。
使わせてもらったバスタオルでまだ濡れている髪をわしわしと乱暴に拭き、どこに置けばいいのか迷った結果、口を開けた洗濯機の淵にかけておく。
ナルトは自分の着ていた下着と服を丸めて一まとめにすると、それを片手に抱えて熱の篭った脱衣所を出た。
こっちだったけなと、一人ごちながらサスケがいるだろう居間へと戻る。広いうちは邸を迷う事なく目的地へとたどり着いたナルトは、胡座を組んで巻物を読んでいたサスケに声をかけた。
「お先だってばよ」
「ああ」
短く答えたサスケは何故かじっとナルトを見上げると、読んでいた巻物を脇に置きナルトに音もなく近づいた。
サスケも風呂に入るのだろうと戸口に立っていたナルトは少し場所をあける。
しかしそのまま通り過ぎると思っていたサスケはナルトの1歩手前で歩みを止めると、ゆっくり顔を近づけて来た。
「サスケ?」
やけに近いサスケと自分との距離に問い掛ける形で名前を呼ぶ。
正直ナルトは人との接触は苦手だった。
彼の生い立ちを思えば至極当然なことではあるのだが、好む好まないと判断出来るだけの材料がないとも言える。
要は慣れていないのだ。
ナルトが今まで親しく接触してきたのは3代目火影であったり、アカデミーに入ってからはイルカ、カカシと大人ばかりで、身長差が手伝ってここまでお互いの顔が近くにあるということはない。
だから酷く違和感を感じた。
「いいにおいがするな」
切れ長の目をやや細めてサスケは小さく呟く。
「サスケも使ってるやつだろ?」
「自分のにおいは分からねぇもんだ」
確かに言われてみれば普段気にしたこと等なかったように思う。
そーゆうもんかと納得しかけた時、さらにサスケの顔が近づいてきて、すれ違い様ナルトのこめかみに温かなものが掠めていった。
「冷蔵庫に麦茶が入ってる」
サスケは一言ナルトに残して部屋を出て行った。
その背中を無言で見送ってナルトは、えーと、としばしその場で考える。
先程自分のこめかみに触れたのは思い違いでなければ、サスケの唇だった、ように思う。でも会話の流れとして鼻先であったかもしれない。
何にしてもナルトにとって全ての距離を近づけるような、優しい接触であったことには変わりなかった。
それからサスケが風呂から上がるまで、よく冷やされた麦茶を片手に彼の読み掛けであった巻物を何とは無しにながめて時間を潰し、その頃には短いナルトの髪も随分乾いていて、暇を切り出した彼にサスケはやはり素っ気ないと感じる程に応と頷いたのだった。
ただ別れの際、明日も頼むぜと声をかけてきたサスケに、お馴染みの不満顔を見せながらも、本当は最初程ここに通うことが嫌ではなくなっていることに気付いてしまって、その不満顔も長くは続かなかったナルトである。
かくしてうちは邸での1日目は順調とは言い難いながらもそうやって過ぎたのであった。



あれから毎日ナルトはうちは邸に日参していた。
始まるのが遅い任務の為(もちろんカカシの遅刻のせい)どうしてもサスケと家に帰り着く頃には日もどっぷり暮れている。時間帯的にも申し分ない頃合いであるのと、礼儀だと言って憚らないサスケの性分から、お手製の夕食をご馳走になり、それから本当に少しだけ本来の目的であるうちは邸の掃除をするというのがナルトの日課になりつつあった。
初日のように風呂まで頂いて帰るということはなかったが、それでも毎日顔を合わせる任務以外にも、行動を共にするというのは気安さや、ナルト宅では決して味わえない夕食も手伝って案外そこは居心地がよかった。
まだまだ終わりの見えない作業は当然と言えば当然に次の休みの日にまで食い込み、修業するんだったら朝から来いよ、と言ったサスケの言葉の通り、ナルトはうちは邸のガラス戸を今朝も早くから叩く。
こうやってまた休日での二人の一日が始まった。
午前中に出来るところまでやってしまって、昼食を取ってから修業しようと本日の予定を立てる。
ナルトは鼻歌でも歌いたい気分で、既に愛用になりつつあるハタキを振るった。
まずは埃を落とし、それをほうきでかき集めてから雑巾がけをする。後これを何回繰り返したら終わるんだろうかと考えて、そこでハタと手づかずの庭と蔵を思い出した。少しげんなりするが、それでもナルトは今の生活リズムをなかなかに気に入っている。
それといつも人のいる気配。
まだサスケの意外な優しさだったり、不自然に感じる接触なんかは慣れないけれど、それもどこかくすぐったくて嫌いではなかった。もちろんたまに言い合いにはなるけれどそれも一人であれば出来ないこと、純粋にナルトは友達のような家族のようなこの生活がずっと続けばいいのにと思っている。
「ナルト」
この部屋は終わりとばかりに水の入ったバケツで真っ黒になった雑巾を洗っていたナルトにサスケが声をかける。
両腕に布団一式器用に抱えて。
「何だってばよ、それ」
「干しておいてくれ」
サスケはいつもの通り素っ気なく言うと、綺麗になった畳の上に放り投げるように置いた。バフンと音を立てたそれから風を受けてナルトの髪が一瞬なびく。
「何でオレが干さなきゃなんねぇんだってばよっ。自分で干せばいーだろ!」
罰ゲームであるからには掃除はちゃんとする。
でもサスケの言いなりになる気はさらさらないのだ。
ナルトは屈んでいる為見上げなければならないサスケの顔を青い瞳でフンと睨みつける。立ち上がっても若干目線を上にしなければならないことはこの際気にしてはいけない。
ナルトは見上げたサスケの顔に眉間のシワを見つけてへへんと笑った。
見下ろす視線を余所にやってサスケはぼそりと呟く。
「てめーの分だからだ、ウスラトンカチ」
やっとけよ、と一言だけ残してサスケは入って来たとき同様音もなく部屋から出て行った。背中を見せる途中に見えたサスケの耳が赤かったのをナルトは見逃さなかった。しかし、自分も同じくらい、いやサスケ以上に赤くなっている自覚はあったので、あえて彼に声をかけることはしなかった。
「オレの分って・・・。そーゆーことだよな?」
ナルトは思わず笑い出しそうになるのを必死で押さえて、それを紛らわせるようにサスケが持ってきた布団の上に転がった。
もう本当にくすぐったくて仕方がない。
言葉少ないサスケの言いたいことを理解するのはいつも大変なのだけれど、今回ばかりは面倒くさいとは思わなかった。
サスケの用意したこの布団を晴天である今日これから干したなら、どれだけ気持ち良く今夜は眠れることだろう。
ナルトはどうにも綻んでしまう口元はもう気にしないとばかりに、体を小さく丸めてクスクスと笑い続けたのだった。





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