迷走飛行症候群



朝のホームルームが始まる10分前、斜めがけの鞄を机の上に手荒に置いたキバが声をかけてきた。
「おーす」
「……おう」
「相変わらず朝は機嫌悪ぃなサスケ」
友人の愛想のない挨拶に特別嫌な顔をするわけでもなく「朝なのに機嫌が良いな」と言われてもおかしくないほどの快活さでキバは音を立ててナルトの席に座った。
「お前に愛想振りまいてどうすんだよ」
「そりゃそうだ。サスケの愛想なんかこっちからお断りだぜ」
気持ち悪ぃと失礼にもキバは笑って付け足した。
キバとの付き合いはかれこれ9年目になる。遠慮も何もあったもんじゃない。だからといってべったりいつも一緒というわけでもないこの距離がサスケは調度良いと思っていた。深く関わることは心の声の聞こえるサスケにとって、時に苦痛になるときがある。それが例えば自分に関わることでなかったとしても、その声は嘘がないだけに深く刻まれた。
「……でナルトのことなんだけどさ」
「…あ?」
勝手に昨日サスケと別れたあとのことを話していたキバが急に声のトーンを低めて身を乗り出してきた。おざなりに聞いていたサスケはキバに向き直る。
「お前さあいつのことあんま覚えてねぇみたいだから言っておくけどさ」
キバはそう前置いてめずらしくも真剣な面持ちで口を開いた。
「あいつが何で引っ越したか覚えてるか?」
「……いや」
やっぱりなーとキバは呆れたようにつぶやいた。
「あいつん家って母子家庭だっただろ?で、あいつの母親が病気かなんかで田舎に帰ることになったんだよ」
「ああ」
そういえば、とサスケは掠れた記憶をたどる。キバのその神妙な顔つきと知っておけと言う前フリに、彼の母親が息子とともにここに戻って来れなかったことを瞬時に悟った。
「あいつが小学校3年のときだって」
サスケの微妙な変化にキバもあえて言葉を選ぶ。
「そうか」
「あいつ明るくて分かんねぇけどよ、結構大変だったらしいぜ。そのあとすぐにばあちゃんも死んじまったらしくて、そっから親戚中たらい回し。今の後継人っての?その人がいなかったらここにも戻って来られなかったって」
キバの言葉に相槌をうちながらサスケはナルトの顔を思い浮かべた。
そんな風にはまったく見えない。どちらかといえば今時のやんちゃな中坊だ。
「今はその後継人と一緒に住んでんだって」
「後継人って親戚か?」
「いや。なんだっけか……親父さんの後輩とか言ってたかな」
「大丈夫かよ、そいつ」
「なにが」
キバはサスケの危惧するところが分からず問い返す。
「後輩って男だろ?」
「そーみたいだけど……?」
察しの悪い友人にサスケはあえて口を閉ざした。キバの無頓着ぶりに自分がそう思うことの方が稀有なのだと思い直す。それでも昨今変態とか変質者と呼ばれる輩がナルトの身近にいないと誰が言い切れるだろう。
(襲われてもおかしくない顔してるっつーか。別に女っぽいとかそんなわけじゃねぇけど。無償でたかだか先輩の息子の面倒みるか?)
途端に気になりだした友人の背景だったが、それもこの後すぐ霧散されるのだった。

「お、噂をすればだ。おーすナルト」
「おはよってばよ!」
今にも駆け出してきそうな勢いで噂の彼は手をあげてキバとサスケに笑顔を向けた。
爽やかなはずのナルトの登場だったが、学生としての風紀が乱れた少年のたたずまいは笑顔の彼に違和感を感じさせる。
木葉学園の男子の制服は濃紺のブレザーだ。胸元に燦然と輝くエンブレムとブルーチェックのツータックスラックスがお姉さま方に可愛いと人気らしい。それもネクタイがなく中に着ているだろうTシャツが見えていれば色あせて見えるというもの。
「うっわ。もう時間がねぇ。キバ、ネクタイやってくれってばよ。オレまだ結べねぇの。お願い!」
自分の席に座るキバにナルトはブレザーのポケットから丸めたクラブストライプのネクタイを取り出しながら中腰になって頼み込む。
しゅるんと大げさにネクタイを投げるように広げると、ナルトはやってやってとキバに押し付けた。
「オレも結べねぇんだよ。悪ぃな」
ふんぞり返りながら全く悪いと思ってない風体で笑いながらキバは答える。
「えー!?お前いつも誰かにやってもらってんのかよ毎日!」
「よく見ろ、もうこれ出来上がってんの」
キバは得意そうに片方の襟を持ち上げた。ちらりと見えた先にネクタイの途中からゴムに切り替わっている。子供用の服によく見かける首にかけるタイプのネクタイをキバは愛用しているのだ。
「んな便利なもんあんの?!オレもそっち頼めば良かったってばよ!」
「売店で売ってんじゃねぇの?」
「今日買って帰ろうかな」
「……ガキくせぇ」
思わずサスケは低くつぶやいた。目ざとく聞いていたキバがサスケに吠える。
「別にいいだろ。面倒臭ぇんだから!これなら10秒かからねぇんだよ!」
「ゴム式のネクタイなんか使えんの1年までだろ、恥ずかしいヤツ」
「うるせー!そんな言うんだったらナルトのネクタイサスケが結んでやれよ!」
思わぬキバの反撃に一瞬サスケは動きを止める。
「……なんでオレが」
「だからオレはできねーっつってるだろ!」
バカにされてキバはあからさまにそっぽを向く。
「もうどっちでもいーからネクタイ結んでくれってばよー」
先生来ちまうーと、賑やかな朝の教室の片隅でナルトの懇願のような気のぬけた声が上がったのだった。






どきどきネクタイ結びに続きます

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