今、ナルトの息が手にかかった。
迷走飛行症候群
サスケは押し付けられたネクタイを無意識に手でにぎりしめていた。
できたらこういった接触は避けたい。意識することである程度の雑音は遮断することが出来るようになったが、距離が近ければ近いほどそれは困難になる。接触はより酷くサスケの意思は関係なくその声は明瞭だ。
サスケはこれまでに『相手が今どう思っているか』という誰もがあたり前に持っている欲求を今まで感じたことがない。それはそう欲求する間もなく相手の声が聞こえてしまうというサスケの特異な能力が起因しているのも事実だが、それでもこの能力を駆使してどうこうしたいと思ったことはなかった。
「早くしてくれってばよー」
幼い子供が足踏みしながらねだるようにナルトがサスケを急かす。その様子が存外に可愛らしくて、サスケはチッと行儀悪くも舌打ちすると椅子から立ち上がった。
そんなあから様に渋々な態度をとるサスケを特に気にした風もなく、ナルトは心持ち首をあげ大人しく待っている。
両手で持ったネクタイをナルトの首にかけようと腕を持ち上げかけ、サスケは慌てたようにネクタイをナルトに突っ返した。
「結んでやるから、とにかく自分で巻けよ」
「分かりましたってばよー」
ナルトはシャツの襟を全部上げ、突き付けられた自分のネクタイを首に引っかける。
「これでいいってば?」
「ああ」
サスケはナルトの胸元に垂れるネクタイを両手で持つと長さを整え始める。一瞬周囲がざわついたように感じたが、目の前のナルトの首の頼りなさにそれも気にならなくなった。
細い首にのった小さな頭がサスケの手元を確認しようと前へと傾けられる。手に、息がかかった。
サスケは目線をあげることも出来ずに、自分の手元ばかり意識を向ける。黙っていると落ち着かなくて当たり障りのない話題をナルトにふった。
「一番簡単なやつもできないのか?」
「オレってば自分でやったことねぇもん。前の学校は学ランだったし」
サスケの気まずさなど何とも思ってない風体でナルトは軽く答える。
「へぇ、オレも学ランが良かったぜ。ネクタイもねぇし、短ランとかカッコイイしさ」
ナルトを見上げながらキバが羨ましそうに言った。
「えー、学ランだったら長ランの方がぜってぇカッコイイ!」
「……今時長ランはねぇだろ」
馬鹿にしたように言うサスケに拗ねたナルトが唇をとがらせた。
「オレらのガッコじゃ長ランは頂点を極めた男だけが着ることのできる特別なもんだったってばよ!」
「どんな学校だよ。まさか番長とかまでいるんじゃねぇだろうな」
笑いながら冗談めかしてキバが聞く。
「もちろんいたってばよ。ちょーかっけぇの!『鬼のマダラ』っていえば知らねぇやつはいなかったもんな!」
嬉しそうに答えるナルトのかたわら、サスケは沈黙し、キバは「へぇ」と引きつった笑いを浮かべた。
どうやらナルトは非常に特殊な環境で過ごしていたらしい。
そこはかとなく失笑があがったような気がして、なんとはなくだがこんなところにまで名を出される頂点を極めたらしい『鬼のマダラ』さんとやらにサスケは同情した。まぁ本人は目立ちたくてそんな恰好をしているのだろうが。
「それよりてめーは覚える気はねぇのか」
サスケは気を取り直しておしゃべりに興じるナルトに釘をさす。
「なにが?」
「なにがって結び方に決まってんだろ。まさか毎日オレに結ばせる気じゃねぇだろうな」
「も、もちろん覚える気満々だってばよ?そりゃ毎日こうやってやってもらうのもいっかなーとは思うけどさ!」
ニヘラと笑ったナルトを視界に入れた時、周囲が一瞬波打ったような気がした。
直後、近距離から甲高い声がサスケの頭を直撃した。
『やーん!なんて羨ましいヤツって思ってたけど、これはこれで萌えだわっ……!』
『こうやって並ぶと凄くお似合いのような気がしてきたんだけど……!』
(な……ッ!?)
『身長からしてサスケくんが攻めね……!』
『マイカプ決定!!』
『ネクタイ萌えーー……!!』
次々と訳の分からない言葉がサスケを襲う。
ありとあらゆる視線がここに集まっていることに遅ればせながらサスケは気づいた。
周囲を探ろうとして、しかしサスケはその衝動をぐっと我慢する。
「うちは……?」
ピタリと動きをとめたサスケを若干自分より身長の低いらしいナルトが怪訝そうに見上げてくる。
そのあどけない様子が可愛らしく目に映ったのはサスケだけではなかったようで、
『うそっ、転校生ってば何気に可愛い……!!』
『そのまま押し倒しちゃてサスケくん……!』
周囲の歓声も手伝って、サスケの顔に熱が集まりだす。
(てめーら黙りやがれ……!)
震えそうになる手を無理矢理押さえ付け、つかんだネクタイを少々乱暴に手早く結ぶ。
「わ、待って待って。そんな早かったら覚えらんねぇってば!」
慌てたようにナルトがサスケの手を掴む。
『『『きゃーーー!』』』
(うるせぇー!!!)
サスケは心の中で誰とも知れぬクラスの女子に絶叫した。
ふつふつと熱が込み上げるのは羞恥からか。サスケは咄嗟に捕まれた腕を振り払っていた。
「あ……」
顔をあげたナルトの表情は妙にあどけなくて、何も感じとれなかった。サスケは小さく息をのむ。
「いてってばよ」
しかしすぐにナルトは怒ったように唇をとがらせた。一瞬見えた陰りのような違和感が今のふて腐れたナルトの表情が嘘だとサスケに気取らせる。
手を、振り払った。ただそれだけ。力なんて込める間もなかった。嫌だったからとかそんな気持ちからじゃなくて、気恥ずかしさからきた軽い拒絶。
なのにものすごく酷いことをしたように感じてしまった。あんな顔を一瞬でも見てしまったから。
(びっくりしたって顔してた)
まさか自分が拒絶されるなんて思いもしなかったって顔をしていた。きっと思いがけないことがあると人間あんな風に顔色をなくすのかもしれない。
サスケは違うんだとナルトに言ってしまいそうになる自分を、ギャラリーの不信がる声にぐっと押しとどめた。
「……じっとしてろ。また後で教えてやるから。先生来ちまうだろ」
サスケは小さくそう言うと、慣れた手つきで小剣を引いて苦しくない程度にネクタイを締めてやる。
大人しく頷いたナルトにサスケは意識を向けた。自分で作ってしまった幕のような壁の向こう側をサスケは知りたくて。
こんな風に思ったことなんて、一度もない。
「もういいぞ」
「ありがとってばよ」
ナルトの言葉を聞いてサスケはすぐ後ろの椅子にどかりと座った。
タイミングを計ったようにイルカが姿を現したのは、短いやり取りの中、あの距離であの不信の中でナルトの心の声がまったく聞こえなかったことにサスケが気付いたときだった。
夢を見ている。
それは自分がまだ幼く、一日が今よりも随分長く感じていた頃の。
目線は低く押入れの上段を占める布団を見上げなければならないくらいで、しかしそこへ上るのは身軽な自分にとってはまったく苦ではなかった。
サスケは1階から持ち出してきた菓子類を中で待つ想い人へと手渡す。だってサスケの大好きな彼はすぐにお腹が減ったと言い出すのだ。そして次に出る言葉は「そろそろ帰るってばよ」というサスケの大嫌いな言葉だった。
それを聞きたくないためにサスケは自分からねだって買ってもらうことなどない甘いお菓子を彼へと運ぶ。
それらのほとんどが兄のイタチが好んで食すものだと分かっていたが、今のサスケにそんなことを気にしている余裕はなかった。
いつもいつもサスケは彼の帰る時刻が近づくと、言い知れぬ不安感がこみ上げてくる。
今まではそう強く感じるものでもなかったが、彼がうちに遊びに来るようになってからそれは酷くなった。
小学校2年生に上がった頃、サスケは母ミコトに彼の家で遊ぶことを控えるように言われた。どうやら彼の母親の具合がおもわしくないらしい。迷惑になるからと言われ渋々頷いたが、遊ぶことを禁じられたわけではなかったので彼との付き合いが大きく変わったということはなく、ただ見た目上は遊ぶ場所が自分の家に変わったというだけだった。
しかし、常に別れを彼から切り出されることにサスケは慣れることはなかった。反対に不快に感じるようになっていて、彼を引き止めたいと思うようになるまでそう時間はかからなかった。
どちらかといえば我の強いところのあったサスケは他人の家よりも自分の家の方が勝手が良く、徐々に我慢とういものをするのが嫌になってしまっていたのだ。彼をここにとどめるために画策するようになった。
そんなある日ミコトと彼の母親とが電話で話しているのをサスケは偶然聞いてしまったのだ。彼がどこか遠くへ引っ越すことになることを。
冗談じゃない!!
サスケは体が震えるほどの衝撃を受けていた。本当はほんの少しだって離れていたくないのだ。
彼が遊びに来た日、サスケは必ずカーテンをしめきってしまう。少しでも外が暗くなっているのを彼に気取られないようにするために。大きな時計も捨ててしまった。彼は時計を読むのが苦手だけれど、おおよその時刻くらいは分かってしまうから。
そんなふうにしてサスケは彼を少しでも独占しようと必死だ。
なのに、学校も違う名前も知らない遠い土地へと連れて行かれるかもしれないだなんて。
許さない。許さない。自分から離れていってしまうだなんて、どうして許せるというのだろう。
身が千切れるような思いでサスケはどうすればいいのかを考える。
この二人だけの閉ざされた空間にずっとずっとナルトを閉じ込めてしまいたいとサスケは本気で思っていたのだった。
迷走飛行症候群_5→
←迷走飛行症候群_3
←戻る