迷走飛行症候群



「ねぇお母さん、ご本読んでー。なぁくんまだ眠くないってば」
愛らしい声が照明の落とされた部屋に響く。子供が一人で眠るには幾分大きなベッドには枕が二つ。親子二人で眠りにつくにはちょうど良いサイズのそれには、可愛らしい小花の刺繍があしらわれたベッドカバーがされていた。
ベッドに乗り上げながら甘えたようにおねだりする息子に彼女は穏やかな瞳を向けた。
「そうねぇ、今日は何がいいかしら。お母さんはシンデレラとか白雪姫が好きなんだけど、ナルくんはやっぱりジャックと豆の木とかガリバーの方がいいのかしら」
ベッドに入るのを手伝ってやりながら、優しい手つきで彼女は可愛い息子に毛布をかける。
「えーとねお母さん、今日はなぁくんの知らないお話がいい」
期待に満ちた目で見上げてくる息子に、彼の母親、クシナは少し困ったように小首を傾げた。
「お家にはもうナルくんの知らないお話はないから、そうねぇ今日はお母さんが昔話を聞かせてあげる」
毛布に包まった息子を見下ろし、彼女はそう言うと優しい口調で話しはじめた。



昔、昔あるところにとても仲の良い恋人たちがおりました。
若者は娘をそれはとてもとても大切にし、娘は若者を深く深く愛しておりました。
若者は強く聡明で村の誰からも頼られ、娘は優しく美しく誰からも愛されておりました。
しかし、そんな幸せそうに愛を語らう二人を快く思っていない者がいたのです。
それはその村に昔から住んでいた白蛇様でした。
白蛇様はその聡明な若者をたいそう気に入っていたのです。
そして二人の婚礼の日、悲劇はおこりました。
身清めの最中、娘が蛇に襲われてしまったのです。
首筋を噛まれた娘は声を失いました。
愛をかわし合う言葉を失ってしまったのです。
若者は娘の心を知りたいと強く願い、娘は若者に想いを伝えたいと深く願うようになりました。
そんな二人を哀れに思っていた者がいたのです。
それは昔からその地を守っていた蝦蟇様でした。
蝦蟇様は言いました。
白蛇の呪いは強く、元に戻すことはできないけれど、お前たちの願いは叶えてやろうと。
蝦蟇様はそう言うと、若者には娘の心の声が聞こえるように、娘には若者にだけ呼びかけることができるようにして下さったのです。



「それで、その二人は幸せに暮らしたの?」
眠たげに口を開くナルトの髪をなでながら、クシナはゆるく首をふった。
「蝦蟇様の言葉には続きがあってね。もし、若者が娘の心の声を疑うようなことがあれば、たちまち白蛇様の呪いが二人を不幸にしてしまうだろうってね」
「じゃあ、疑っちゃったんだってば?」
クシナは悲しそうに微笑むと、小さくうなずいた。
「そう。でもそれには理由があったの。白蛇様はまだあきらめてなかったのよ。若者に毎夜、娘が他の男と仲良くする夢を見せ続け、若者が娘と仲たがいするように仕向けたの」
「悪いヤツだってば」
ナルトは可愛らしく唇をとがらせる。
「そうね。白蛇様が見せ続けた夢のせいで娘の心の声が信じられなくなった若者は、とうとうある日娘に言ってしまったの。『お前の声なんて聞きたくない』って」
「二人はどうなったんだってば?」
「若者は娘の心の声だけ聞こえなくなってしまって、娘は若者だけに心の声が届かなくなってしまったの」
「元に戻ったってこと?」
「ううん。若者は娘の心の声以外の声は聞こえるようになってしまったということ。好きな人の声だけ聞こえないの。他の人の心の声は聞こえるのに。そして娘は他の人にだけ心の声が聞こえるようになってしまったの」
「かわいそう」
ナルトは毛布の端をぎゅっとにぎり、見下ろすクシナを見上げた。
「嘆き悲しんだ娘は毎日、毎日泣き暮らしたの。娘の泣き声は村人中に聞こえたわ。それをナルくんみたいに可哀想に思う人もいれば、うるさがった人もいたの。あまりにその泣き声は大きく悲しかったものだから、静かな夜を好んだ蛞蝓様は娘だけは元に戻してくれたのよ」
「かつゆ様?」
「ナメクジの神様よ」
「なめくじぃ~?あのむにょむにょしたの?」
「そう」
嫌そうに顔をしかめるナルトにクシナは笑って答えた。
「昔からナメクジはお薬に使われてたのよ」
「ふーん」
「声を取り戻した娘とその若者は、蛞蝓様のおかげで幸せな暮らしを取り戻したんだけれど、まれに二人の血を引く子供たちにまで白蛇様の呪いはでてしまうことがあったの」
「どんな呪い?」
「心の声が聞こえてしまう子が生まれるようになって。その子たちはサトリと呼ばれているわ」
「さとり?今もいる?」
不思議そうな顔をする息子にクシナは微笑んでみせる。
「いるかもしれないわね」
「会ってみたいなぁ」
「あら、どうして?」
「だって、しゃべらなくても分かってもらえるんだったらすごいってば」
「そうね。凄いことかもしれないわね。でもね、すべての心の声が聞こえるということは、決して良いことばかりじゃないのよ。嫌なことの方が多いといってもいいくらい。だからサトリとして生まれた子は心の声を聞かせない相手を無意識に求めてしまうの。そうして深く深く愛するようになるわ」
「サトリにも声を聞かせない人っているの?」
「蛞蝓様の力のなごりか、サトリから生まれた子はまったく心の声を聞かせない子として生まれてくるらしいわね」
「……むつかしい……ってばよ」
眠たげに目をしばたかせながらナルトは必死に頭を働かせようとするのだけれど、クシナの言っていることは難しく、ひどく眠気を誘った。
「まだナルくんには難しい話だったかもしれないわね。でも覚えておいてね。遠い昔の話だけれど本当にあったこと。だから、お母さんの家紋は蝦蟇様が好む蓮の葉」
「……お母さん…眠たくなってきたってば…」
開かない目をこするナルトを、クシナは優しく見つめた。小さな丸い手が愛おしかった。
「覚えておいてねナルくん。あなたはいつか選ばなければならない時がくる。サトリはとても孤独だわ。でもね、私にはミナトがいた。あなたもいる。あなた達は私にとても穏やかな日々をあたえてくれたの。ミナトが先に逝ってしまったとき、もう生きてはいけないと思ったけれど、私にはあなたがいた。ナルくんがいるから私は生きているの。あなたがいなかったらきっと私は……」
話し続けるクシナの手元から、小さな寝息が聞こえ始めた。それでも彼女は髪をなでる手を止めることはせず、愛した亡き夫の面影を強く残す息子の寝顔をいつまでも見つめ続けたのだった。

この時語られた寝物語をナルトが心に思い浮かべるのは、サスケと再会してから初めて過ごす夏休みのある暑い日の夜。










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