指針の軸、氷の棺



「祝ってくれなくってもいーってばよ!勝ちはオレがもらっちまうからな!」
ナルトは見下ろすサスケにひたと指を突き付け、声も高らかに宣言した。彼の声は瀑布にも負けずサスケにまで届く。風の属性である彼は常にその加護を受けているのだ。それらは頼まれずともナルトの声を辺りに響かせる。
「ナルト、オレは……」
今つぶやいた自分の声が彼の耳に入っていたならば、彼はいったいどんな行動に出ていただろうか、そんなことを思いながらサスケは真摯にナルトを見上げた。
余計なことは考えなくていい。今は己に課した任務を果たすだけ。
(勝ちはやれないが、できるだけ苦しまずに、安らかに逝けるように……)
まさか自分が殺意を持って挑むとは思っていないだろうナルトに同情した。ましてやこの場所でまた……。
「おい、何さっきから黙ってんだってばよ!それにその格好!何でサスケが暗部の格好してんだッ?」
その問いかけには応えず、サスケは無言でナルトの立つ石像の向かいへと飛び上がった。狐の面で顔が見えない今の状態であれば、隠しもしない気配とチャクラでナルトが『サスケ』と疑うはずがない。
いくら次期火影にまでなる男とて、今のサスケにナルトが敵うわけがなかった。それは先ほどの己との戦いで分かっている。しかし、その九尾の力は邪魔だった。
今更になってサスケの頭に相手を倒さねばならない相手として、算段が思い出される。無意識にそれを拒んでいたのかもしれなかった。目を開き、その声を聞かせるナルトとの再会は思っていた以上にサスケを幸せな気分にさせ、そして絶望させた。
しかし、もうそんなことは言っていられない。今、目の前にはナルトの心臓を持つ標的があるのだ。
サスケは左手をあげ面を押さえると、空いた手で面を留めていた赤い組紐をするりと解いた。ナルトの視線が自分にあることを意識しながら、ゆっくりとした動作で白い面を下へとずらす。
サスケの目元が宵闇の中さらされた。本来の黒い瞳が彼特有の模様に変化する。
「万華鏡写輪眼……?」
向かうナルトの目が大きく開かれる。それだけでどれほど彼が驚愕しているかが見て取れた。
それもそうだろう。彼とてサスケのこれは数度見たことがあるくらいで、ましてや自分にその技が向けられるとは思ってもみないはずだ。
「おまえの中の九尾を封印する」
そうサスケは前置いて、しっかりと目を合わせてしまっているナルトに向かって術を発動させた。
それは一瞬のこと。まばたきをするかしないかの。
しかし、術が確かに発動した証拠としてサスケの眼球がつきと痛む。これであの何度もナルトを救ってきた驚異的な九尾の回復力は彼から切り離された。
昔この場所でナルトの体をこの腕が貫いた。彼の体を通して向こう側が見えるほどの大きく穴の開いた体をも瞬時に治癒させてしまうその能力。今回ばかりは邪魔でしかない。
「んなことしねぇでも九尾の力なんか使わねぇってばよ!」
ナルトは憤慨したように睨み付けてきた。
それもサスケの顔を覆い隠していた面を取り去った時には、驚きで目がふたたび見開かれる。
「え……。サ、スケ……?」
十の歳の差がある。身近にいた彼が気づかないはずがない。
「おまえ、変化してんのか?」
この姿のサスケを見て、それ以外思いつくことは難しいだろう。誰が十年後から自分の命を狙って目の前に現れると思うだろうか。しかも、それは仲間と、恋人と思ってきた相手。
「そう思いたければそう思えばいい」
そう静かに答えたサスケにもう迷いはなかった。



(ふざけんな……!)
サスケはまたぞろ口の中に溜まってきた血を吐き出した。
ここまで手も足も出なかったのは、木葉の忍として額宛をつけて以来初めてだった。悔しさからぎりぎりと歯噛みする。しかし、サスケには今悔しがって地団太踏んでいる暇などなかった。
(とにかく早く)
緩慢に感じる足を叱咤し、サスケはナルトとの約束の場所へと急ぐ。もはや約束を果たすという意識はサスケの中にはなかった。とにかく奴を追わなければならないという使命感だけがサスケを動かしていた。それがなぜ終末の谷で待つナルトのもとなのかは分からない。しかし、そこへ行けば奴はいると確信していた。
どれほど意識を失っていたのかは分からなかったが、月がそう傾いていないことから半刻もたっていないと思われた。
嫌な予感がする。行かなければならないと心のうちで誰かがささやく。
(もうすぐだ……)
かすかに水のにおいがする。
頼む、間に合ってくれ、そうサスケが心の中で強く思った時、瀑布がたてる音に混じってそれが聞こえてきた。
(……!)
獣の咆哮のようにも人の絶叫のようにも聞こえるそれに、一瞬サスケはドキリとする。しかし激痛を紛らわせる甲高い悲鳴でもない。ただ、これがナルトの声でないことに安堵した。
痛む体を無意識に前に進む足にのせて、サスケは樹々を抜けた。
今だ断続的に聞こえてくるその声が、時折言葉を発していることにサスケは気づく。人が感情を押し殺して叫べば、こうも痛々しく声とは聞こえるものなのだろうか。
そうして、己の目に入ってきたその後景に、サスケの足がふいに止まる。
目の前にある川の向こう側。ナルトと思われる黒とオレンジの服を着た男が横たわっていた。
その近く。自分を先ほど軽くあしらっていった暗部の男。いや、おそらくは自分と同じ顔をした男が、地面に額をこすりつけ獣のようなうなり声をあげていたのだ。
容赦なく地面へと振り下ろされる拳は血まみれで、自らの爪で傷つけたのかこめかみから頬にかけて、血の跡とともに酷くかきむしった跡があった。
狂っているとしか思えなかった。攻撃をうけ、あまりの痛みにのた打ち回るような無意識なそれではなく、額を打ち付け拳をふるい転げまわる。そうしなければ到底耐えられない、壮絶な苦しみを発散するかのように咆える男の姿がそこにはあった。
「ナルト……ッ!」
うなる声の中に混じった名を聞いて、サスケはハッとする。
あまりの凄惨な状況にのまれてしまっていた。今になってサスケの胸に警鐘が鳴り出す。
なぜ、あそこまで自分の姿をした、正確に言えばいくぶんか歳を重ねた自分が狂態をさらしているのか。
なぜ、ナルトはあそこに倒れたままぴくりとも動かないのか。
何よりも男から発せられるその慟哭が、深く後悔し、嘆き悲しみに満ちていていることにサスケは困惑する。
(まさか……!)
唐突にやんだ音が不気味な間を作った。放心したように立っていた男が倒れるナルトを熱心に見つめている。嫌な予感にサスケは二人目掛けて駆け出していた。



その感情は思っていたよりも、覚悟していたよりも、大きなうねりとなってサスケに襲い掛かってきた。
彼の体を貫いた腕は、自分のものではないように重く痺れ、もしこの感情がそこからきているのであれば、いっそのこと切り落として焼き尽くしてしまいたかった。
ふつふつと、どうしようもなく抑えがたい激情が込み上げてくる。
「……ナ、ルトッ」
血を吐き出すように苦しげにサスケはその名を口にした。己の足元にまで彼の血がどくどくと流れ出ている。その瞬間、今まで押さえ込んでいた感情が目の前の瀑布のように弾けた。
抑えられない。今自分は何に手をかけた……?
サスケの肩が激しく上下する。くず折れるように地面に両手をついた時には、手加減なく拳を振るっていた。すぐにサスケの右腕は彼の血であるのか、己の拳から出た血で染まっているのか分からなくなる。
間違えるな……、
間違えるな……!
それはナルトじゃない……!
それは自分のナルトじゃない。だから、
これでナルトは目を覚ます。サスケが唯一と愛したナルトが。なのに、
どうしてこんなにも苦しい。
どうしてこんなにも胸が痛い……!
まだ間に合うと……!
今ここで九尾の封印を解いてしまえば、まだ彼の命は助かるとなぜ思ってしまう……!
サスケは身が千切れんばかりの苦しみを味わっていた。
ギリギリの選択。
心に迷いはない。なのに、無意識にそれもナルトだと認識する自分がいる。
殺さなければならない。殺さなければならない。
でも殺したくはない。殺してはいけない。
なら、オレのナルトは……?
「…はッ……はぁ、はぁ……」
いっそこのまま狂ってしまいたかった。相反する思いに押しつぶされてしまいそう。
打ち付けた額から血が流れ落ちた。艶やかな黒髪も泥にまみれ色あせている。己の喉からほとばしる咆哮が遠くに聞こえた。
「…ナルト、オレは……!どうすればよか……ッ!」
最後にナルトと言葉を交わしたのはいつだったか。
自分は何と答え、彼は何と答えたのか。
その時、彼はどんな表情を……。
初めて会ったのはいつだった。
初めて言葉を交わしたのは。
初めて彼を特別だと意識したのは?
サスケはそこに横たわるナルトを見下ろした。腹部には大きな穴が開き、そこからはまだ新しい血が流れ出ていた。そこここに彼の内臓と思われる肉の塊が飛び散っている。それでもかすかに上下する胸が、まだ彼が生きていることをあらわしていた。
あとは、その心臓を……。
ゆらりとサスケは立ち上がる。目はナルトを捉えたまま。数度彼の瞳がせわしなく黒と赤を行き来した。震える腕を彼に向かってかざそうと、ゆっくり持ち上げた時、
「ナルトに、何をする気だ……」
低く怒りを含んだ声の持ち主が、ナルトと自分の間に割って入った。
ナルトを背に、守るように現れた自分が今のサスケには最も見たくないものとして目に映った。ナルトが重傷を負った時、そばにいれなかった自分。何もできなかった自分が思い出された。
「……どけ。どうせおまえにナルトは守れない」
「こいつはオレの仲間だ。……何で未来のオレがナルトを襲う」
片膝をつき睨み上げ、真実を言い当てる自分にサスケはすっと目を細めた。近すぎる気配、近すぎるチャクラ。何よりその色が自分と同じくする意味を、それと導き出したようだ。
「答える義務はない」
はっきりとした口調。皮肉にも彼の登場がサスケの発狂寸前だった意識を取り戻させていた。
状況は違えど、自分もナルトを失う気持ちを味わえばいい。守れなかった悔恨をその身で知ればいい。暗い感情がサスケを占める。
「……未来でオレとナルトは敵対しているのか?」
そう問いかける彼の口調は腑に落ちないとでも言うように半信半疑だ。先ほどのサスケの狂態を見ていたのだろう、ただ敵対して命を狙うだけなら苦しみがともなうわけがない。
愛しているからこその苦しみ、最愛の者の死の予感。それをこの時の自分はまだ知らない。ナルトの死など考えてもいなかった。
「死の恐怖を知らないおまえに言っても仕方がない」
端から答える気のないサスケは今は血だらけの右手に千鳥の刀を作り出した。もうこのまま自分も殺してしまってもいいとさえ思った。
構える相手の間合いへ一気に飛び込み、本気の一太刀を浴びせる。辛くも避けた先を想定して刀を真横に薙ぎ払った。
(遅い)
男の左腕を切りつけたと同時に、血飛沫が舞う。瞬時に最大量の電気質のチャクラを流した一太刀をくらった彼は左腕を押さえ、片膝をついていた。傷口を押さえた手の間から真っ赤な血が流れ出る。
それを見た瞬間、サスケの胸にどくんと大きく鼓動が打ち付けた。
(嘘だ……)
サスケは自分の左腕にある暗部のマークを見下ろした。その少し下。今でもはっきり残る傷跡。戦いを生業とする自分には無数の傷跡が残っている。いちいちどこでどうやって負った傷だなんて覚えてはいない。しかし、この傷は自分が暗部として命を受けここに色を刺す時、彫師が邪魔な場所にあると言っていた。だからそこに傷跡があることは覚えていたのだ。ただどうやってできた傷跡なのか覚えていなかった。
なぜその時気づかなかった。
(嘘だ……!)
それが今になって思い当たってしまうだなんて……!
これだけはっきり残る傷跡を自分は覚えていなかった。不自然に感じるほど記憶から消えているというのに。それの示す答えはひとつ。
「……は……ッ」
戦う意志をなくした持ち主につられ、手にした千鳥の刀が闇に霧散する。至った答えの残酷さに耐えかね、サスケはがくりと膝をついた。
救えない……。
どんなに足掻いても、どんなに求めても彼を取り戻すことはできないのだ。繋がっていた。この世界とナルトの眠る世界は、一寸の狂いもなく繋がっているのだ。
救えない……。
もう……この手に……。
(ナルト……)
これから己のする行動さえ決まっている。
そう、自分を知る者の記憶を奪う。そして自分は眠るナルトの元へと帰るのだ。もう二度と目覚めることのないナルトの元へ。
「おい!ナルト!しっかりしろッ!」
サスケの戦意が反れたのを感じ取って、この世界のサスケは血の気の失ったナルトを抱き上げ声をあげていた。
「てめーのいつもの馬鹿みてぇな回復力はどうした!ナルト……!」
「ナルトの九尾の力は、オレが封印した」
「なにッ!」
改めて見たナルトの状態にサスケは憤りもあらわに声を荒げる。
「ナルト!目ぇ開けろ!おまえの中の九尾の封印を解く!」
ナルトの体を揺さぶりサスケは必死に声をかけた。封印を解こうにもナルトの目が開かないことにはどうしようもない。彼の焦りが伝わってきた。その時、ナルトの口が微かに開く。
「ナルト!」
「い、まの……状態、……ぼ、そうし…ま……う」
「ふざけんなッ!暴走なんかオレがさせるか!」
「……で…も……」
「早く目ぇ開けやがれ、ウスラトンカチ!オレを信じろ!絶対ぇ暴走なんかさせねぇ!オレが九尾をコントロールしてやる!」
叫ぶように一気にそう言い放つと、サスケは万華鏡写輪眼を発動させた。
うっすらとナルトの目が開かれる。
その瞬間、二人は赤いチャクラにのみこまれていた。



一気に体が沈み込む感覚。一度体験したが慣れることはないと、遠い意識の中サスケは思う。
過去のナルトの一命は取り留め、眠るナルトも消滅せずにすんだ。
そして、二人の記憶も塗り替えた。行き過ぎた勝負の結果、ナルトの九尾の力が暴走しそれを自分が制御した。当たり障りのない結果。
しかし、このどうしようもない感情はどう吐き出せばいいのか。結局は何も変わらない。結局ナルトは戻らない。絶望だけがサスケに残った。

小さな光が見えた。戻ってきたのだ。

足が床に着く感触で術が解けたのだとサスケは実感する。しかし、
(ここは、どこだ……)
見慣れぬ模様を施された部屋。窓もなく家具もなく、ある物といえば円形の術式が描かれた中央に設置された祭壇のようなもの。そこから感じるのは小さな気配。微かに中からもみじのような手が見えた。
(赤子……?)
サスケは誘われるように、その祭壇へと近づく。足元の術式が結界であると気づき、中の邪気のなさにそれを解こうと手を組んだ、その時、
「待って」
戸口から澄んだ高い声がした。
振り返った先にまずサスケの目に入ってきたのは、たおやかに腰まである赤い髪。意志の強そうな大きな瞳。しかしそこに相手を傷つけるような鋭さはなく、端麗な顔立ちは穏やかだった。
「その結界はその子を守っているの」
女はそう言うと、サスケに向かって柔らかな笑みを見せた。それはサスケにある人を思い起こさせる、慈悲深く穏やかな笑みだった





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